昨日の日曜美術館はクールベの特集でしたが、いや〜面白かったなあ。
クールベといえば、学生時代に購入した集英社から出ている「コロー/ミレー/クールベ」の画集で知っているくらい。
なんだかナルシズムの強い画家だなという印象くらいで、どんな生涯を送った人だったか、ほとんど知らなかっただけに、実に興味深く見ていました。
フランスのオルナンという村の生まれ。地主だったため家は裕福だったようですが、法律の勉強をしにパリに出てきたのが、画家への思いが捨てきれず、そちらの道に進んだ人のようです。
テレビではアカデミックな教育を受けてなかったように言っていましたが、wikiによれば(アップした絵や写真はすべてWikiからです)、基本的なデッサンなどの美術教育はキチンと受けてますね。
面白かったのが、クールベという人が思った以上に反骨の画家だったことですね。
トップにアップした大作『オルナンの埋葬』は、当時の美術の権威だった王立絵画彫刻 アカデミー主催のサロン・ド・パリに落選。
こちらもパリ万博に出品しようとして落とされてしまった、いわくつきの作品ですが、なんとクールベさんは、パリ万博からすぐの会場で『画家のアトリエ』を、パリ万博の入場料と同じ値段を取って個展を開催したというのです。
当然、人が入るはずもなく、仕方なく値下げしても入場者は少なかったようですが、あれあれ…なんだか、この話聞いたことがあるぞ。
そう。
あの印象派の形成期…サロン・ド・パリに落選したモネやマネらが、会場の隣で「落選展」を開催したという有名なエピソードです。
番組を見ていたら、クールベの後輩だったモネは20歳ほど年齢が離れているにも関わらず仲が良く、一緒にノルマンディの風景を描いていたというではありませんか。
なるほど、印象派の落選展は、先に同じことをした先輩クールベのオマージュでもあったのですね。
それにしても、若い頃はナルシズム先行の画家。
日曜美術館のタイトルにもあったように、「私は世界でもっとも傲慢な男 ―フランス・写実主義の父 クールベ」がぴったりする画家でありました。
後年、若い頃反骨の画家だった、クールベは成功して、落選されたサロン・ド・パリの重鎮になるんですね。
いや〜、お洒落な太ったおじさんですね。
ところが当時のフランスは、革命後の混乱がまだ続いている時期でした。
以下、 Wikiより。
1870年、パリ・コミューン(コミューン美術委員会議長になっていた)に参加し、反乱に加担し、ヴァンドーム広場の円柱破壊事件の責任を問われて逮捕され、莫大な費用の支払いを命じられる。
事情がややこしく、私自身もうまく説明できないのですが、 サロン・ド・パリの重鎮になっていたため、責任をとらされて投獄までされてしまったようです。
その後、スイスに亡命し客死するわけですが、いやはや、なんともフランスの画家らしい骨のある方だったのには驚きました。
クールベ展は現在、パナソニック汐留ミュージアムで5月30日まで開催中…って、その日まで美術館閉まってるじゃないか!
劇場は良くて、感染ケースのない美術館や映画館が閉館ってどういうことだ、バカじゃねーのか!?