合宿の晩、恒例の討論会では憲法9条の話になり、実際の条文を読んでみることにしました。
日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」だって?
改めて普通に読めば、そもそも自衛隊の存在自体が完全に憲法違反です。
また集団的自衛権の行使にしても、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と書いてあるのですから、これまた憲法違反。
日本語として普通に条文を読めば、自衛隊も集団的自衛権の行使も間違いなく憲法違反であります。
憲法学者という人たちが「憲法違反だ」というのも、彼等の立場からすれば致し方ないこと。
自衛隊を持つのであれば、最初から憲法改正をするというのが正しい手順です。
それを「憲法解釈」という名目によって、自衛隊という「軍隊」という言葉を使わない軍隊を持ったことが、ここまで話がこじれた原因でしょう。
しかしながら、憲法が国民を守らず、憲法そのものを守るためにあるとすれば、それは本末転倒。
なんでもイスラムの専門家に言わせると、コーランの原文通りに何でも解釈すると、今のIS、イスラミック・ステーツに近いものになるそうです。
もちろん、コーランには「目的のためなら人を殺して良い」なんて書いてないでしょうけど、そこをゆがめて解釈するのが原理主義というもの。
護憲が原理主義とまでは申しませんが、法律は現実社会に生きる人間のためにあるもの。コーランと違い、状況に応じて変えていかないといけないものでもあります。
条文通りに解釈すれば、日本は戦争(含、自衛戦)ができないわけだし、そのための軍備も持てないわけです。
現実問題としては、家に鍵をかけてはいけないという法律に等しい憲法なわけですが、そういう法律をいつまで金科玉条としてあがめておくのか。拡大解釈にも限界があります。
30代の米国人が作った日本国憲法、見直す時期はとっくに来ているはずですが・・・。
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