小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

千の風になって

2010-11-03 06:40:47 | Weblog
昨日、浅間山(せんげんやま)に登った話をしたら、
60代の柔道仲間に「浅間山なんてたいした山じゃないよ」と一蹴されてしまいました。
うーん、たしかに頂上まで2時間で往復できますから、初級の山なんでしょうけど、
あの時に感じた”怖さ”というのは、別次元のものだったなあ。

イノシシが出てくる恐怖?
それもありますけど、やはり「何かある」という妙な感覚でしょうね。

私は普段は霊感のたぐいが働く方ではないのですが、
身内に何かあった時は不思議と、何かはたらくことがあります。

おじいちゃんが亡くなった時、3歳の私は急に鼻血をダラダラ流したそうです。
また、20代の時にインドのコーチンで眠っていた時、
「アンタ、起きなさい! 起きなさい!」という母の声が聞こえたので、
胸騒ぎがして電話したら、丁度その時に祖母が倒れていたことがあります。
(その時はことなきを得ました)。

浅間山で感じた”怖さ”が、それと同じものかどうかはわかりません。
ただ、ちょっと思ったのは、仮に何かいたとして、こちらが怖さを感じたとしても、
それが必ずしも悪いものかどうかは、わからないということですね。
(でもたぶん、頂上で感じたものは”良くないもの”ですね)。


そういえば「千の風になって」という歌がありますが、
個人的にあの歌詞の元ネタは、インドの古代叙事詩「ラーマヤーナ」の後日談、
チャンカナ・シータ(黄金のシータ)から来てると思ってます。

王子ラーマが魔王ラーヴァナを倒し、
シータ姫を救い出し「めでたし、めでたし」と大団円になった、あとの話ですね。
(風の谷のナウシカのヒロイン”シータ”は、ここから来ています)。
シータが先に世を去り、風になってラーマを見守る、そんな美しいお話です。

人の肉体がなくなったあとは、完全に「無」になるという考えもありますが、
それよりは何か別の存在に変わると思った方が、おもしろいかな。

浅間山で見た景色以来、そんなことをここ数日思ったりしています。


画像はみなと荘のベランダから箱根の山をスケッチしたもの。
スケッチブックを忘れてしまったので、普通のノートとシャープペンで描きました。
コメント (4)
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