小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

「死刑は国家による殺人」か?

2010-04-14 06:41:25 | Weblog
先日書いた死刑は野蛮か?のコメントに、ある国会議員が
「中国に抗議できなかったのは日本にも死刑があるからだ。
これを機に日本の死刑の存廃議論を」
と発言したという意見がありましたので、続きを書きます。

以前、光市母子殺人の遺族がテレビに出ていた時、死刑廃止論者の弁護士が
「キミは犯人が死刑になって、それで満足なのか?」
と質問していたのを覚えています。

遺族の人は、はじめ質問の意味がわからない、と戸惑った表情をしてから、
怒り狂ったように「満足です!」と答えていました。
(ほとんど、この質問こそ暴力ですね)。

犯人の元少年は反省するどころか、
遺族を愚弄する内容の手紙を友人に書き、毎日が「ヒマヒマヒマ」と綴っていたようです。
その友人はさすがに、これはひどいと思ったのでしょう。
手紙を証拠として法廷に提出したわけです。

それにしても、こうした人間を世間に戻して良いものか。
(それに加え、少年法や心神耗弱を理由に無罪を主張できるのも疑問なんですが)。

以前、女子高生をコンクリート漬けにして殺した元少年は、
出所したあと30代半ばになって、恐喝事件を犯したといいます。
「オレは人、ひとり殺してるんだ」と凄んだという。

死刑の次に重い、無期懲役では世間に戻れる機会も与えられるわけで、
死刑廃止論を唱えるなら、
少なくとも永遠に檻から出さない終身刑を最初に言うべきでしょう。
(私個人は終身刑では、死刑の代替えにはならないという考えですが)。

「死刑は国家による殺人」と言えば、如何にも聞こえは良いが、
ならば実際に巷で起こる「本物の殺人」に
国が然るべきペナルティを与えず良いものか。

もちろん菅谷さんのような冤罪で17年服役した人もいます。
それはおそろしいことだ。
しかし、冤罪と死刑廃止の議論というのは、実は別の問題のように思える。
冤罪は死刑に相当する罪でなくともありえるからです。
まず、”どうすれば冤罪がなくなるか”が先であって、
間違いかもしれないから「廃止しましょう」では、何のための法律なのかわからない。


写真は山形イタリアン、アル・ケッチァーノの岩ガキのモロヘイヤソース。
平和な味。もう少ししたら登場です。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする