浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

アウトプットが前提

2010-07-17 00:38:35 | 日記
ちまちまと簿記の勉強をしているわけだけど、やっぱり効率のいい勉強法、というのは「アウトプットを前提にしたもの」だと思うんですよね、個人的に。

たとえばさ、ボクシングを練習するにしてもただ単にサンドバッグを叩いているのと、相手を想定して相手の動きに合わせるイメージを持ってサンドバッグを叩くのではぜんぜん効果が変わってくる。

サッカーのシュート練習もただ単にボール蹴る、ってのと相手DFがボールを取りに来ることを想定してシュート練習する、ってのでは試合でのゴール確率だって変わる。

勉強もおんなじ。

人前で説明することが多い仕事柄だからなのか元々の生まれつきなのか、僕は常に何かを勉強(インプット)する時に、極力アウトプットするイメージを持ちながらやるようにしてます。

これって全然自分の理解度が違うよ、まじでまじで。

どういうことかというと「これを人にどう説明しようか?」と考えながら勉強してみる、ってこと。

「Teaching is Leaning(=教えることは学ぶこと)」の言葉じゃないけど、自分がスカッと人に説明出来ないって言うことは自分の理解に曖昧なことがあるってことだし、逆に人にスカッと説明出来れば十分理解出来ている、ということ。

僕は常にこれを意識しています、本当。

意識的に「アウトプットの場をたくさん持つ」ようにしてるもの。

たとえば会社の同僚と電車に乗ってる時とか酒飲んでる時とかに「こないだ為替手形って勉強したんだけどさ、それってさ…」と説明してみる。

ここ最近は会った同僚だいたいに「未収金と売掛金って違うんだよー」って話ばっかりしてるし。

そんなの聞かされるのたまったものじゃない、と思う?

そりゃそうだろうね、大丈夫、僕だってそれくらい分かってる。

興味無い人にそんなの話しても楽しんでくれない、普通はね。

そこをどうやっておもしろがってもらうように話すか、ってのことが大事なんだよね。それを考えているとやっぱり自分の知識量や理解度のチェックになる。

相手がぜんぜん知らないことひどい時にはまったく興味すら無いことを説明して相手に「なるほどね~」と言ってもらったらそりゃもうそんなの自分にとっちゃ完璧に理解した、ってことですよ。

あと、ブログの存在も大きいよ。

映画でも小説をブログに書く時ってかなり自分の思考の整理になる。

ローマ人列伝だってあれだけ書いてると僕の中でローマ史というものがスカッと頭に入った。

そういう感じでインプットしているとまず第一に勉強するときの「ノートの取り方」が変わる。僕がイメージしているのはノートは「黒板(ま、ホワイトボードでもいいけど)」ということ。自分が人に説明しながら黒板に書いていくとしたらどう書いてくかな、と思いつつ書いてる。

ただノートにメモってるだけ、と、そうやって人に説明するような感じでノートにまとめていくのとではそりゃもちろん効果性はぜんぜん違う。

とにかくアウトプット重視ってのは大事ね。

「学ぶ(インプットする)場」ってのは結構世の中にあるじゃないですか。学校とか塾とか。

でも「教える(アウトプットする)場」ってあまり無いのよね、専門家とか先生じゃないと。

「簡易アウトプット場」なんてあったらいいと思うなぁ。

たとえばね、とりあえずでもいいから何でも学んだことを模擬的に教えられる場。

あまり自分も理解してないだろうからぐだぐだになるだろうけどいいじゃん、模擬なんだから。それで「あー自分あんまり理解出来ていないなぁ」と分かるだけでも価値あると思うな。

学校とか塾とかでもそういう場をもっと多く生徒に与えるようにするといいよね。