浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

辺境にて

2010-07-28 18:51:11 | 
「朋有り遠方より来たる。亦楽しからずや。」

友達が遠くからやってきたら楽しいなぁーってことですな。

こういうパターンだといくらでもできそうだね。

「夏の暑い日にカレー食べる。亦楽しからずや。」とかね。

もうちょっとアカデミックに行くなら

「朋有り本を薦めてくれる。亦楽しからずや。」

なんてどう?

友人から本を薦められるってのは楽しいもんだからね。

まったくほんと夏休みってのは本がばんばん出版されてたまりません。

京極夏彦の「西巷説百物語」はそっこーゲットしちゃったし、塩野七生の「十字軍物語」もこれまた分厚い4巻シリーズで出そうでよだれがとまらんちん。

そんな中、先日お会いしたむめもさんから「内田樹はいい!」と強くおすすめされました。

(えーっとたぶん内田樹だったよなぁ、うろ覚えなんだけど、たぶん)

元々気になってたんで新神戸の駅の書店でゲットしてみました。

日本辺境論 (新潮新書)日本辺境論

「ゴミ掃除」は足下のゴミを拾い集めることから始めるように雑多な事象を集めることから始めてる日本文化論。

論理としては、とにかく日本人は「他国と比較する」ことでしか日本を語れない、ということ。

この論理は非常に納得できる。

だってね、明治維新だって「西欧列国に負けてはいけないだからなんとかしないと」と他国の比較で始まった。

そもそも「こういう国にしよう」という理念をたとえばアメリカは持ってる。なぜならアメリカはイギリスから反発した人々が海を渡って作った国だから。

言うなれば国より先にイデオロギーというか思想があった。

でも日本は違うよね。思想なんて言葉が出来るより前に人がいて生活をしていた。

そんな普通の生活をしている中で「そもそもあなたの国は何を目的にしてるんだ?」って言われても困ってしまう。

困ってしまう、と言い続けていてもこの国際社会の中では生きていけない。だからなんらかのイデオロギーや主張を無理くりにでも作り出さなくてはいけない。

そうなった時に我々日本人は「他国との比較」でしか語れないんだよね。

たとえば「経済成長率第二位の国として…」とか「アジアの中の一国として…」とか。

僕はそれを悪いことだとは全く思わない。だって言うなれば「生まれ」が違うんだもの。

これね、本当に良書で読んだ後には自分の知識が少ないながらも「学問」をし出したくなる。

つまり「問う」ってこと。

「アメリカとは違うのは分かった。じゃあイギリスはどうなんだろうか?」とかね。

本当はすっごくいろいろ考えたことがあって書きたいんだけど今はちょっと酔ってるから割愛。バーのマスターが異常に井筒監督に似てておもしろかったのさ~♪

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