つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

知る人はいたし、今もいる

2018-01-15 | Weblog
何かの本で読んだのか、ネットで見たのか、いつだったのかも忘れてしまったのだが、
まことにそのとうりであると思った文章を書き留めて置いた。こんな内容であった。
「かつて、ここには人が住んでいた。多くのドラマがあった。
幸福な時もあれば、不幸な時もあった。幸福な人もいれば、不幸な人もいた。
人々は話し、笑い、怒った、泣いた、苦しんだ。
人の出会いもあった。別れもあった。愛しあった人もいた。憎しみあった人もいた。
裏切りもあった。傷ついた人もいた。
大切なことは、ここに、今の私達と同じ人達がいたということ。
あなたがいて、私がいたということ。
言葉や習慣の違いなど、ささいなこと。何が違うというのか。
野に散る頭蓋骨を見ればよい。彼も、彼女も、一度は、この青い空を見た。
広い星空を見て、遠い宇宙に思いを馳せた。
私達は、どこから来たのか、それを問い続けた。
なぜ私達はここにいるのか。そして、何のために?
私達は死んだらどうなるのか?誰がそれを教えてくれるのか?
その人は、どこにいるのか?
長い時間が過ぎ、いつの間にか、人は消えた。
長い時間が過ぎ、新しい人々がそこに住んだ。
新しい笑い声と、新しい悲しみの声。新しいドラマが、再び始まった。
「人は、来りて、また去る。人、来りて、また去る。かくして、私の、あなたの、彼の、彼女の、そして、
彼等の人生が流れる。あたかも、何事もなかったかのように。あたかも、何事もなかったかのように。」
もう一度、廃墟を見よう。そこにいたはずの私やあなたを見よう。
そこにいた私は、どこへ行ったのか。私やあなたはどこへ消えたのか。
いやいや、どこへも行っていない。消えていない。
彼はここにいる。彼女はここにいる。それが私である。それがあなたである。
失うということを恐れてはいけない。死ぬことを恐れてはいけない。
あなたは何も失わない。あなたは消えることもない。
長い時の流れの後、私は生まれる。あなたは生まれる。
違った時代の、違った場所で。
命は、自然の恵みを受ける。命は、自らを繰り返す。
あなたは、違った言葉を話す。違った生活をする。が、それがどうしたというのか。ささいなこと。
今の私、今のあなた。同じ私がそこにいて、あなたがいる。
その私が青い空を見る。星空を見る。
私達は、かつてここにいた。今もいる。
私達は、いつかここに戻ってくる。
あなたがどこに住み、なんであるかは問題ではない。あなたが誰であるかも問題ではない。
私が誰であれ、また何であれ、私達は今ここにいる。
分子と光の織りなす世界で生きている。
星々が瞬く、その瞬間に生きている。
これを奇跡と言わずして、何と言う。
人間に違いはない。人間の歴史に違いはない。
傲慢になってはいけない。貪欲になってはいけない。
私やあなたは、謙虚になろう。生きていることに、謙虚になろう。
この時人間は、動物から離れ、精神的な存在となる。
これこそが、その答え。
なぜ、私達が今、ここにいるのか、
それこそが、その答え。

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