宇宙のエネルギーは無限エネルギーである。
トーラス状、つまり、環状体エネルギーとなっているために尽きることが無い。
だから、本来地上のエネルギーも無限であるのだが、
有限状態にしているのは、地球外生命体の支配下に由るためである。
彼らは階級制度を持ち、全てを司るとするお山の大将的進化となっている。それは、
善悪を持たないエネルギーの法則の、それ故に絶対善の動きとなっていることに対するエネルギー進化であるために、
正負でいえば負のエネルギー進化となっている。その対する進化が、法則のエネルギー本来の進化、正のエネルギー進化である。
いわゆる、悪魔と神、悪神と善神の存在である。
人間に善い人と悪い人がいる様に、また、生きとし生けるものに善悪を持ち、存在のすべてに良い悪いが存在するものである。
それはエネルギーの法則が自由から成っているための性質である。
対するものという相対にあり、また、どちらともつかずどちらにでもなりうるという、三つ巴となって廻っているのが、
エネルギーの法則である。のどちらともというのは曖昧としてあるものの、
陽炎の様な空ろな存在としてある。量子の見方をすれば、不確定でありながら、確実に影響を与えるものであり、
それでいて、決して辿り着くことのない到達点を持っている。この
ゴールのない到達点が宇宙のエネルギーを覆っているものである。
あると思えばある、無いと思えば無いという捉えどころのないというものである。
それが自由というエネルギーである。
全てがこの物語の存在、だから、私は誰という答えは明確には出ないものとなっている。
それが明確な答えなのである。宇宙というものである。
トーラス状、つまり、環状体エネルギーとなっているために尽きることが無い。
だから、本来地上のエネルギーも無限であるのだが、
有限状態にしているのは、地球外生命体の支配下に由るためである。
彼らは階級制度を持ち、全てを司るとするお山の大将的進化となっている。それは、
善悪を持たないエネルギーの法則の、それ故に絶対善の動きとなっていることに対するエネルギー進化であるために、
正負でいえば負のエネルギー進化となっている。その対する進化が、法則のエネルギー本来の進化、正のエネルギー進化である。
いわゆる、悪魔と神、悪神と善神の存在である。
人間に善い人と悪い人がいる様に、また、生きとし生けるものに善悪を持ち、存在のすべてに良い悪いが存在するものである。
それはエネルギーの法則が自由から成っているための性質である。
対するものという相対にあり、また、どちらともつかずどちらにでもなりうるという、三つ巴となって廻っているのが、
エネルギーの法則である。のどちらともというのは曖昧としてあるものの、
陽炎の様な空ろな存在としてある。量子の見方をすれば、不確定でありながら、確実に影響を与えるものであり、
それでいて、決して辿り着くことのない到達点を持っている。この
ゴールのない到達点が宇宙のエネルギーを覆っているものである。
あると思えばある、無いと思えば無いという捉えどころのないというものである。
それが自由というエネルギーである。
全てがこの物語の存在、だから、私は誰という答えは明確には出ないものとなっている。
それが明確な答えなのである。宇宙というものである。