つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

信じるものの徳

2017-02-16 | Weblog
釈迦は梵天に対して、悟りの内容を話したところで、
到底理解されないことであると答えた。
梵天は、話したことによって、理解することができるものもいる。
話されなければ、理解できたものも理解することが無いままとなる。
だから、何とか話してもらいたい、と。
そうして、まんべんなく悟りの内容を説き聞かせた。
すると、聴くものと聞いたものとが現れ、
聴くものはごくごく少数にして、聞いたものは多数であった。
聴いたものは同じく釈迦の道をたどり、聞いたものは今まで通りであった。
独覚であれ声聞であれ、聴く耳を持つものは、良し悪しを見分けられ、
吾を知ることができた。
信じるものは、終には救われることとなるものである。
「終には」である。
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