つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

こころ

2006-04-24 | Weblog
生れおちて、まっさらな記憶のなかに、時とともに経験のエネルギーが刻まれる。
刻まれるといっても記録されていくというのではない。
エネルギーはかたちあるものではなく、蓄積していく。
エネルギーである為に消えることがないし、消すこともできない。

経験のエネルギーが蓄積されたものが記憶となる。記憶は知識となって、様々な知識を一つにまとめて識として、この識が想いとなっている。
外からの様々な刺激を五官で受けたものが、五蘊のエネルギーであり、想である。

この世が色であり、色が想となって、想がエネルギーの蓄積したもので、意識となり、心となっている。
想いは自由であるために、正しく創られていかなければ、心は正しい判断ができなくなる。

心は大きなエネルギーである。かたちあるものではない。
だから見ることはできないが、あることは知ることができる。

自分の体は重いが、機械的にもちあげて、移動しようとおもえばかなりエネルギーがいる。
でも自分が立って、歩いていこうと思えば簡単に移動できる。
かなりの重さを平気で運んでいる。これをさせているのが心のエネルギーである。

体を動かす動作を機械にやらせるには、かなり難しい技術がいる。
大きなエネルギーが必要だ。
でも心のエネルギーは簡単にできる。心は巨大なエネルギーであることがわかる。

その巨大な心のエネルギーにもとずいて、人は動く。動かされる。
心が正しく創られていかなければ、誤りの人生となっていき、苦しみの一生となってしまう。
人生、苦しいのは、
いまだ心が迷っているから・・・

その巨大な心のエネルギーは、コントロールすることによって、
あらゆる思いをかなえる。
良く善く調えていくことが要。

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