つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

最初の経験が要

2006-04-23 | Weblog
なにものにも属さず、人の知識を受け入れず、ただ自然の摂理にあわせて暮らす。
社会生活を避けて、人に会わずに、自分も自然の一部であるとして自然に暮らす。
そうして人の知識を排除していけばどうなっていくのか?
自然と共に、自然の変化の刺激を受けて、その変化に正しく対応していくことで、
正しい記憶となり、それが感情の動きとなって、意識となり、心の判断となって、行為となっていく。
この記憶というエネルギーが、脳細胞に現象して保存されていくために、体験したことが正しく保存されていくことによって、正しい判断がされて、正しく行為となっていく。
記憶が正しい判断で、正しく現象され保存されたかによって、頭の善し悪しとなる。
人の行為のエネルギーが脳みそに保存、蓄積されて、現象のエネルギーとなっていて、そのために物の判断ができ、変化に対応できる。
これが想いとなっていて、心となっている。
そのために、心は体験によって創られていく。

思いが、経験をただしいものとして善し悪しを決めている。
心が経験によって創られていくために、はじめの経験を正しいものとしていくために、最初の体験を誤ると、人生、一生の誤りとなっていく。

山伏として、難行、苦行に明け暮れる生活は、果たして悟りを開けるものだろうか。
修験者という僧は、今はあまり聞くことは無いが・・・
仏教色濃く、密教の装いをしているが、属してはいなかった。           難行苦行は肉体を痛めつけるのみで、得るものはないと釈迦は説いたのだが・・・
コメント
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