つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

思いの力

2006-04-05 | Weblog
 死後の世界はある。そして、来世に生まれ変わるとしても、
亦、人に生まれる。
けっして、他の生き物に生まれ変わることは無い。
それは、縁によるものであるためである。
人は、人としての行為をし、経験をつんでいくために、この繰り返しが、絶対となり、縁となっていく。これが法則となっているために、無くなることが無く、続いていく。そのために、人は人として生まれ変わる。
この縁を滅して行けば、人との縁はなくなる。

たとえば、人として生まれたが、オオカミに育てられ、オオカミとして生活し、
オオカミとしての行為をしていけば、その繰り返しの経験が絶対となり、正しいとなって、縁となっていく。そのために、姿は人としていても、やがて死んで、
今度生まれてくるときは、オオカミそのものの姿となって、オオカミとして生まれてくる。縁起の法である。

釈迦は、もう二度と人として生まれたくないとした強い思いが、修行となって、
悟りを開いていった。そして、縁起の法を発見することができた。
その釈迦の修行が、完全なものだったために、人との縁を断つことができ、
輪廻することがなくなった。
だから、釈迦の啓示は一切無い。

二度と生まれたくないと思ったのは、人生は苦るしいものだからである。
この世に生まれてくること事態、苦しみだからである。
輪廻することは苦しみだからである。
人生には、それなりに楽しいこともあるだろう。
幸せと感じるときもある。生きていてよかったと思うことが必ずある。
でも、その何倍もの苦しみがほとんどである。
必ず訪れる死の恐怖からも逃れることができない。
どんなに美しくても、やがて醜く、朽ち果てる。
この世は、「一切皆苦」なのである。
この苦から逃れるために、修行となっていったのである。

心念の力が、極めたのである。



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