38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

秋じゃが発芽、彼岸花。

2010年09月28日 | 農と暮らしの日記
最初に植えた秋じゃが芋の発芽がほぼ揃った。
昨夜の雨で畑はかなりぬかるんだので、ここから草がどんどん生え、土も固くしまってきて今後収穫までの作業はまた苦労しそうだけれど、とりあえず芽が出てくれれば、それだけでひと安心である。遠くに彼岸花。例年よりかなり遅いそうだけれど、これもまたその姿を見れば、それだけで季節は進んでいることにほっとする。



火曜、雨は予報より早く朝にはあがってほぼ終日の晴れ。
午前:ごはんのあと収穫、しながら、雨後のあれこれの世話も。ピーマンがまた枝を垂れているので小さめから摘んでスーパー出荷用に。昼までにセットづくり。
午後:ごはんのあと新居浜方面に配達、西条市街に戻ってスーパー出荷、種屋さんなど。15時戻り。以降は机しごとなど。

<本日の野菜セット>例
里芋、さつま芋、茄子、ピーマン、伏見甘長唐辛子、枝豆、以上がほぼ全セット共通で一部セットには他に、穂紫蘇、オクラ。



今朝のNHKラジオビタミンではゲストに宇根豊さん。
田んぼの生き物調査でも有名な有機稲作農家は、現代農業が自分の田んぼの様子を見て害虫被害の可能性を推し量ることなく一律に農薬を使うことの弊害を説く。稲作は生き物を大量に殺す仕事だ。耕耘したり水を張ったり、かと思えば抜いたり、いきなり刈り取ってしまったり。しかし、来年にはまた同じ生き物が戻って来てくれると信じて殺している。それとは違って、もう来るなと願って殺す農薬は百姓に大きな葛藤を強いているというような話に、なるほどなと思った。農地を集約して担う大規模農家も、それぞれの田んぼの様子に応じて農薬の使い方を工夫するということはしているのだろうが、大変な苦労があるように思う。

朝日新聞は昨日の社説「日本の農業」、今朝の「天声人語」と米価下落の話題が続いた。
まず社説は見出しに「安いコメで発展する道を」と掲げ、「『安いコメ』は、生産者にとってつらい話でも、消費者から見れば喜ばしい」とし、零細農家への所得補償を批判して「大規模生産者への農地集約」を進めるなどして「安いコメ」への道を開き、その結果として価格競争力が高まって有望な輸出品となれば、貿易交渉における「最大の弱み」がなくなり国民全体の利益となると説いている。

明けて今朝の天声人語。
米価の下落について、「消費者は歓迎だろうが生産者はつらいだろう(中略)経済の原則に感傷は禁物とはいえ、米作りに明日はあるのかと心配になる」と書き、「稲作の伝統と文化を背負う」近年の新品種について、「前途がでこぼこな難路とならず、幸多きことを願うばかりだ」と前日の社説の勢いは脇に置いて他人事のよう。

米価の下落はどれほどに消費者の喜びなのだろう。
これでまた今晩も飯が食える、そしてまた明日も働けるという喜びだろうか。生産者のつらさはどれほどのつらさだろう。つらいのは大規模な専業農家だろうか、零細な兼業農家だろうか。そういう単純な区分けには意味がないのだろうか。とすれば、消費者は喜び、生産者はつらがっているというのは、実際にどういうことなのだろう。
コメント
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