唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 随煩悩 諸門分別 (17) 第六 別境相応門 (1) 

2016-02-06 19:49:16 | 第三能変 随煩悩の心所
      

 今日の表題の言葉に重なるような問いかけがありました。以前、高 史明先生が大谷大学で講演されました「『歎異抄』そして蓮如上人の今日的意義」のなかでご自身の経験をふまえて私たちに語っておいでになる言葉なのです。ご存知のように高先生は眼の中に入れても痛くないほど可愛がっておいでになった一人息子さんを亡くされているのです。それも自死というかたちで。少し長い文章になりますが掲載します(抜粋です)。
 「私たちは二十一年前に、一人子に死なれたのでした。その子の自死という悲しみがなかったら、今日の縁が、私にあったかどうか。私が浄土真宗の教えを頂くようになったのは、その悲しみからでした。『歎異抄』を開き、『教行信証』を頂くようになった。そして、最近はしばしば蓮如上人の教えを頂いています。その蓮如上人のお言葉で、最初に頂いた言葉は何であったか。いわゆる「白骨のお文」が、その縁のはじまりです。私は子に死なれて、初めてこの教えを頂いたのでした。 

「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。いまいいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。いたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さいしもあるべき事ならばとて、野外におくりと夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々おろかなり。・・・」

 もう二十一年前のことになります。夏の七月十七日のことでした。そのひ、子は夏休みが近いということで、昼前に学校から帰ってきました。いまでもそのときのことをよく覚えています。私たちは、連れ立って近くのソバ屋さんに出掛けました。ソバ屋でお昼を頂いた。ソバを頂いていたとき、それからその帰り、私たちの間には、つねに談笑がありました。そのとき私は、その数時間後に何が起きるかを、まったく予感していなかったのでした。それどころか、夏休みとともに始まるさまざまな楽しい予定で、浮き浮きしていたと言っていい。家に帰ってから、私は机に向かい扉の向こうに消えていこうとしている子の後ろ姿がありました。私は「行っていらっしゃい」と言いました。そして、それが子との永別の瞬間となったのでした。・・・愛別離苦という言葉がありますが、子との永別は、まさに悲しみの極みだと言えましょう。私は毎日、その意識もなく白骨となった子と向き合いました。そして、蓮如上人のお言葉と出会ったのでした。「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり・・・」と言われている。・・・私に視座から、死んだ子を悲しみ、自分の視座から、白骨を見つめていたのでした。そして、十年、二十年という歳月が経ったのでした。長い歳月でした。長い悲しみの歳月です。だが、その涙とは生きている自分を中心にして、死んだ子の白骨を見つめて、可哀想にと泣いている私の涙だったわけですね。・・・その私とは何か。それこそ見ている自分にほかなりおません。亡き子の方から、さらに言うなら仏様の方から、まっすぐに見つめられていることに気づかない私です。悲しんでいる自分とは、実は亡き子の方から悲しまれているんですね。人間が悲しむことができるのは、仏さまの方から悲しまれているからなんです。あるとき突然、それに気づいた。私はわずか十二才の年で自死した子を思って泣いていたわけですが、その涙とは実は、泣いている私を悲しんでいる亡き子の涙だったんですね。あるとき突然、亡き子の声が聞こえてきたといってもいいでしょう。

 「ただ白骨のみぞのこれり・・・お父さん、あなたは、いつまでこの言葉をぼくのことだと思っているの。これはもうぼくのことではないんだよ。これから白骨になるのは、お父さん、あなたの方じゃないか。・・・あわれというもなかなかおろかなり、と言われているのは、あなたの方なんだよ」

 その亡き子の声は、まことに根本的だったと言えます。この声が聞こえなかったとき、私は自分中心に亡き子をみつめ、同じように自分中心に蓮如上人のお言葉を読んでいたのでした。それ故、「ただ白骨のみぞのこれり」のお言葉には、骨に響く震えを覚えながら、『お文』の結びには、同じような震えは覚えなかったものです。『お文』の結びは、どうなっているか。その結びを、いま読んでみます。「されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。」  いまに思えば、「白骨のみぞのこれり・・・」という言葉には、骨に凍みる響きを感じながら、この結びはただ知識をして読んでいたわけです。そこに紙一重ほどの透き間があった。・・・いまは亡き子の声が聞こえるのです。「お父さん、あなたのぼくの骨を見ている眼は何か。ぼくの死を悲しんでいるその悲しみは何か。それを一度根こそぎに見つめてみたらどうです。阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて・・・と言われているのは、お父さん、あなたの方なんですよ」と。・・・亡き子の白骨が、長い歳月をかけて、いつも自分中心の私に、その根源的闇を教えてくれたのだとも言えます。人間とは、白骨との対面に連れ出されてなお、自分中心に見ていて、その白骨が自分の身の事実だと思わないのですね。白骨の方からの呼び声には、なかなか耳を澄まそうとはしない。手を合わせていながら、手を合わしめられていることに気づこうとしない。蓮如上人はその人間の迷いの深さを、白骨において示し、真実の道への歩みを励ましているんですね。・・・」そして、ある人の質問に答える形で「死を前にして、不安のないようにと言うから、無理なんです。どうです、ここで一度、いままでの眼の向きを変えたら。あなたはいままでに、自分がどこから生まれてきたかを考えたことがありますか。多分、ないでしょう。それが自我中心の人間の生き方なんです。それで幸せだと思っていたわけだ。ところが、死はその自我を打ち壊すんですね。そうであれば、ここらで自分が何処からこの世界に来ているのか、その自分のいのちの故郷に眼の向きを変えてもいいのではないか。死を考えるのは、それからでもいいんです。・・・死を考える前に一生に一度でいいから、いのちの故郷を考えてみたらどうです。それを考えるのが仏教なんです。」

 高 史明師先生の講演の抜粋なのですが、私たちに、いのちの琴線に触れた重くて深い教示を与えておいでになります。尚、全文は『親鸞教学』71号p69~p101に掲載されています。

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 第六は、別境相応門です。
 五別境(欲・勝解・念・定・慧)と二十の随煩悩は相応するのか、しないのかを検討します。
 
 「是の如き二十は、別境の五と皆倶起す容し、相違せざるが故に。」(『論』第六・三十三左)
 (このような随煩悩の二十は、別境の五とはすべて相応するのである。何故ならば、その行相は相違しないからである。)

 「 論。如是二十至不相違故 述曰。第六別境相應門。皆得倶起。行相不相違故 此總解訖。下逐難問答。問忘念云何與念倶。惡慧云何與慧倶。」(『述記』第六末・九十五右。大正4・463b)
 (述して曰く、第六に別境相応門なり。皆倶起することを得、行相相違せざるが故に。此れは総じて解し訖る。下は難を逐って問答す。問う、忘念は云何ぞ念と倶なるや、悪慧は云何慧と倶なるや。)

 二十の随煩悩は別境の五とすべて相応することを明らかにしました。その理由はその行相が相違しないからであるといいます。
 『述記』には、随煩悩と別境の相応についての問題点が指摘されています。後半はこれについて説明されます。

 尚、別境について概略しますと、
 『唯識三十頌』 第十頌「初遍行触等 次別境謂欲 勝解念定慧 所縁事不同」

 この第十頌は第九頌を受けて述べられていますが、遍行については初能変に詳しく述べているので、ここでは省略し、別境について述べられます。ただ別境についても初能変 巻三にて述べられていますが簡略されていて、第三能変に至って詳しく述べられるているのです。
 別境という意味を、本文と『述記』」から考えてみたいと思います。
 「次に別境とは、謂く、欲より慧に至るまでなり。所縁の境の事。多分不同にして、六位の中に於いて、初めに次いで説くが故に」 (『論』)
 「述して曰く、第一に名を列して別境の義を釈す。第二句の上の三字(次別境)を解す。以下の二字(謂欲)と第三句の全(勝解念定慧)は文に別に解するが如し。第四句(所縁事不同)を釈し、および次の言を解す。別境の名を釈すなり。一一に知るべし。五十五に、所楽と決定と串習げんじゅう)と観察との四境の別なりといえり。つぎに別に五を解す第二に出体なり。体のうちに二あり、初めに別を出す。後に総じて遍行に非ざることをいう。」(『述記』)

 『論』では所縁(認識対象)となる境の体は、それぞれがそれぞれの認識対象が異っているといい、その境は四境の別であると釈しています。所楽(しょぎょう)・決定(けつじょう)・串習(げんじゅう)を曾習(ぞうじゅう)・観察を所観の境と記されています。この境が五の別境に配されて述べられます。欲は所楽の境に対し、勝解は決定の境に対し、念は曾習の境に対し、定と慧は所観の境に対して活動するといわれています。

 (意訳) 次の別境とは、つまり、欲から慧に至るまでである。(別境の)認識対象となる境の体は、その多くが同じではなく、認識対象が異っているので別境という。六位の心所の中で、初めの遍行の次に述べられるから次別境といわれるのである。

 尚、「多分不同」という意味は、五の別境がすべて異った境に対して活動するのであれば、不同でいいわけですが、定と慧は同じ認識対象としますから、多くは同じではない、多分不同であると述べられているのです。

 『唯識三十頌』聴記 安田理深先生の多分不同に関する講義を紹介します。(選集第三巻 P274)

 「別境という意味は、「所縁事不同」で語る。「所縁事不同」なるがゆえに、欲・勝解・念・定・慧を別境というのである。所縁事とは境であり、不同とは別々であるということである。 『成唯識論』では「多分不同」と「多分」を補っている。多分というのは、別境の心所は五つあるのであるから、境も五つあらねばならないが、定と慧の境は同じなので「多分」というのである。 
 欲  -  所楽の境(未来の境)
 勝解 -  決定の境(かって定まらなかったものが今決定した・・・・・現在の境) 
 念  -  曾習の境(過去にかって経験した境)
 定     
   } - 所観の境(三世に通ずる境) 
 慧

 これは五つの作用である。作用は五つ。境は四つなので多分不同というのである。」と教えてくださっています。

 巻三の記述は「欲は所楽の事を希望して転ず。・・・勝解は決定の事を印持して転ず。・・・念は唯曾習の事を明記して転ず。・・・定は能く心をして一境に専注ならしむ。・・・慧は唯徳等の事を簡擇して転ず」と説かれています。
 別境についての詳細は、復習でもありますので、明日述べます。