第三能変 所依・倶転・起滅門を明かす
第三の能変を九門を以って分別するに、初めの六門は論第五より此に至るに解し訖ぬ。今此の次の頌に三門を明かす。第七所依門と第八六識倶転門と第九起滅分位門となり。
「すでに六識の心所と相応することをば、云何が現起する分位を知るべきなり」(『論』第七九右)
六位五十一の心所法を述べてきました。次に第十五頌・第十六頌において、意識起滅の分位を明らかにしてきます。心所法の精密な分析が終って、三能変の識について、五識及び意識の現起の分位(起滅の分位)が説かれます。『論』には「云何が現起する分位をしるべし」といわれています。
『述記』には「前の第五巻(十七・新導本p211)より已来は第三能変を解す。彼の第二の頌(論五、二十一、心所相応門・新導本p215)より已後、これに至る已前は、六位の心所と倶なることを明かし訖る。今は、第七門の六識の共依と、第八門の六識の倶転と、第九門の起滅の分位とを明かす。これに二頌あり。これは前を結んで後を生じ、問いに寄せて徴起す。次に正しく答し、後に本文を釈す」と、成上起下の義を明らかにしています。問いは「唯、現起の分位ありと雖も頌中の義に所依と倶転とあり、現起の相は顕なり。依と倶とは隠なるが故に」と、心が起きるのは何故か、ということを明らかにするのである、と云われています。
根本識に依止す 五識は縁に随って現ず
或いは倶なり或いは倶ならず 涛波の水に依るが如し
(第十五頌)
意識は常に現起す 無想天に生るると
及び無心の二定と 睡眠とをば除く
(第十六頌)
心が起きるのは、どのようにして起こるのか、という問いに答えて、心が起き、働くのは縁に依って起きるのである、ということを二頌で以て明らかにするところです。
五識は縁に随って現じ、意識は常に現起するという。五識は縁に随って、ということですから、起きる時も有り、起きない時も有るということです。しかし意識は常に起きているといわれます。ただし生無想天・無心の二定・睡眠の時は除くといいます。ともかく、前五識と第六意識とを分けて現起の分位というものが説かれているわけです。
「依止根本識」が第七所依門で、六識の所依は根本識に依ることが明らかにされています。「五識は縁に随って現じ、或いは倶なり。或いは倶ならず。濤波の水に依が如し」が第八倶転門になります。ここでは、五識が倶であるか、不倶であるかは縁に依ることが明らかにされ、意識の方は、生無想天・無心の二定・睡眠と悶絶を除いては常に起こっているを明らかにしています。これが第九起滅門になります。
では、第七所依門から少しずつ読んでいくことにします。