唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 別境 八識分別門 定の七の名について

2010-10-06 22:50:29 | 心の構造について

第三能変 別境 八識分別門 護法の正義を述べる

         『了義燈』における定の七名

 「論に遮等引故と云うは、定に七の名有り。

  1. 一には、三摩?多(さんまきた)と名け。此には等引と云う。三摩とは等と云う。?多は引と云う。
  2. 二には、三摩地(さんまじ)と云う。此には等持と云う。
  3. 三には、三摩鉢底(さんまぱってい)と云う。此には等至と云う。
  4. 四には、駄那演那(だなえんな)と云う。此には静慮と云う。
  5. 五には、質多翳迦阿羯羅多(しったえいきゃあきゃらんた)と云う。此には心一境性と云う。質多とは、心と云う。翳迦をば一と云う。阿羯羅は境と云い、多は性と云う。
  6. 六には、奢摩他(しゃまた)、此には止と云うなり。
  7. 七に現法楽住(げんぽうらくじゅう)と云う。等引と云う有無心に通ず。唯、定非散なり。

 『瑜伽』の十一には云く。欲界の心一境性には非ず。等持は有心(定)なり。定と及び散に通ず。然れば経論の中には勝れたるに就いて、且らく空無相願を説いて三摩地と名けたり。等至と云うは、通じて有無心定(有心定と無心定)に目けたり。然るに経論の中には勝れたるに就いて。唯説いて五現見の等きと諸定に相応する、名けて等至となすなり。静慮と云うは、通じて有無心定と漏と無漏と染と不染とを摂す。色(界)の四地に依って、余の処には有に非ず。諸処には勝れたるに據って多く色地の有心の清浄の功徳(色界の有心定の清浄功徳)とを説きて、名けて静慮となす。心一境性は、即ち等持なり。心一境性を以て等持を釈せるが故に。奢摩他とは、唯、有心(有心定)なり。浄定なり。散の位には通ぜず現法楽住とは、唯、静慮に有り。根本なり、余には非ず、浄なり。散には通ぜず。然るに等引は寛くには通じて一切の有無心の位の諸の功徳に摂するが故に。『瑜伽論』の中にも、偏に地の名を立てたり。等至は爾らず」(『了義燈』第五本三十三左)

 (参考文献 ・ 『瑜伽論』巻第十一・本地分中三摩?多地第六の一)

 「若し略して三摩?多地を説かば、まさに知るべし、総標に由るが故に、安立の故に、作意の差別の故に、相の差別の故に、略して諸経の宗要等を摂するが故なりと。云何が総標なる。謂く此の地の中に略して四種あり、一には静慮、二には解脱、三には等持、四には等至なり。静慮とは四静慮なり、・・・解脱とは、謂く八解脱なり、・・・等持とは、謂く三の三摩地なり、一には空、二には無願、三には無相なり。・・・等至とは、謂く五現見三摩鉢底、・・・云何が安立なる、謂く唯だ此等を等引地と名く、欲界に於ける心一境性に非ず、此の定等は無悔、歓喜、安楽に引かるるに由ってなり。欲界は爾らず、・・・」

 等至 - 三摩鉢底のことで定の一名。定の力に由り、惛沈・掉挙を離れ心を平等安和に至らしむ、という。

 駄那演那 - 禅と音表し、略して禅という。訳して静慮といい、総じて色界定に名ける。

 参考書として、深浦正文著『唯識学研究』下p155~156