今日の日曜日、この地域の小学校では、運動会が開かれました。お昼ごろからあいにくの雨模様で、楽しみにしていた運動会が午後の部から中止になってしまいました。私の家の前は通学路になっていまして、朝早くから親子連れが楽しそうな会話をしながら学校に行く姿が見られました。そして友達同士・親同士が挨拶をしながら行き会う姿に、人と人とのつながりの大切さを垣間見ることができました。普段は中々見ることの出来ない風景ですが、みんなと共に頑張ろうという姿勢に人の生きることの原点を見る思いがしました。
- ・ ー
『唯信抄文意』に聞く。 その(1)
『唯信抄文意』は聖覚法の『唯信抄』の漢文の部分を親鸞聖人が注釈を施されたものであります。『唯信抄』について、さらにその意味を述べられたわけではありません。その理由は『文意』のあとがきから知られます。
「いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きわまりなきゆえに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、たびたびとりかえしとりかえし、かきつけたり。こころあらんひとは、おかしくおもうべし。あざけりをなすべし。しかれども、おおかたのそしりをかえりみず、ひとすじに、おろかなるものを、こころえやすからんとて、しるせるなり。
康元二歳正月二十七日 愚禿親鸞八十五歳 書写之」(真聖p559)
康元二歳正月二十七日 愚禿親鸞八十五歳 書写之」(真聖p559)
と、ここに聖人のお心が知られます。もともと『唯信抄』は誰を対象にしてお書きになったのかは、その内容をみてみますと、『五会法事讃』・『法事讃』・『往生礼賛』のお言葉や、経文は原文を引用されています。注釈といおうか、解釈なしで引用されていますので、このことから、仏教に素養の有る人、経論に親しんでいた人であろうと想像できます。これは都の人々でありましょう。在家の人、或いは出家の人もおられたのでしょう。そのような人を対象にお書きになられたものとみることができるのではないでしょうか。特に著者の聖覚は唱導の大家といわれていました。非常に弁の立つ人であったのでしょう。人をひきつける魅力の有る人といっていいのでしょう。ですから、聖覚の法座があるときには、都の人はこぞって参詣されたのであります。非常にカルチャー的な雰囲気も漂うわけです。しかし、一方いなかの人々はどうでしょうか。今この一瞬に命の灯をともしながら、明日をも知られない日々を暮らしておられたのではないでしょうか。しかし、聖人は引用されている経文等を注釈し、そのお心をお述べになって、浄土往生のいわれ、仏願の生起本末のいわれを開かれてくるものとして、『文意』を通し、『唯信抄』を繰り返し、繰り返し読むことを勧められたのです。
聖人は『唯信抄』は念仏の要義を簡潔にのべたものとして、引用されている経文等に注釈を施されて、門弟ならびにいなかの人々に読むように勧められていました。『唯信抄』は、法然上人の『選択集』の要となる浄土往生の要義を述べた仮名聖教です。
神戸和磨師は『唯信鈔文意』は、その最後に記されているように「いなかのひとびと」、また「愚痴きわまりなき」人びと、つまり、民衆に教えを伝えたいという宗祖の願いがあります。教えが教義ではなく、本願の念仏に生きる道を民衆の人びとと共に明らかにされたのです。本願念仏の教えをわが人生、わが身に聞き、すべての人と共に救われていく道が示されています。いい換えますと自信教人信の道です。仏道の課題をどこまでもわが身、人生に受け止め、他の人と共に生きられたということです。
この自信教人信ということは、まず私たち一人ひとりが真宗門徒になるということです。そして同朋、朋なる人びとと共に歩む。つまり、真宗、真実の宗(むね)を自ら信知し、仏の教えに照らされる道が、自信教人信の共なる道、歩みというのです。時代社会はさまざまな問題があります。そういう中、仮名聖教を通して私たちの人生、不安や苦悩のある人生が本願に喚び覚まされ、根本のいのち、主体を回復していく歩みとなるのか。そういうところに教えを聞き学ぶという課題があるのではないでしょうか。」と教示されています。
この自信教人信ということは、まず私たち一人ひとりが真宗門徒になるということです。そして同朋、朋なる人びとと共に歩む。つまり、真宗、真実の宗(むね)を自ら信知し、仏の教えに照らされる道が、自信教人信の共なる道、歩みというのです。時代社会はさまざまな問題があります。そういう中、仮名聖教を通して私たちの人生、不安や苦悩のある人生が本願に喚び覚まされ、根本のいのち、主体を回復していく歩みとなるのか。そういうところに教えを聞き学ぶという課題があるのではないでしょうか。」と教示されています。
それでは蓬茨祖運師の講義から『唯信抄』と『文意』との違いを伺っていきます。
「特に『唯信抄』の方には、始めには「それ、生死をはなれ、仏道をならんとおもわんに、ふたつのみちあるべし」とあって、「ひとつには聖道門、二つには浄土門なり」と、こういうように始まっております。ところが親鸞の立場はどこから始まっているかといえば、この逆から始まっている。共に法然の弟子です。聖覚法印は兄弟子、親鸞は弟弟子になるわけで、まあ兄弟弟子と伝えられている程の仲であったというわけですが、『選択集』で申しますと、『唯信抄』は初めの方から出ておりますね。聖道・浄土の二門という、まず二門を分けてゆくということですね。聖・浄二門をたてる。それから次に、正行・雑行の二つを分けるというふうにね。そして本願に入ってゆくというふうな次第になっております。『選択集』には、
「夫れ速に生死を離れむと欲はば、二種の勝法の中に、且く聖道門を閣きて、選びて淨土門に入れ」(真全P990)
と、あります。
「聖道門をさしおきて」というのは、これは「選択集」の初めにもありますね。
(二門章)
「道綽禪師、聖道・淨土の二門を立てて、而も聖道を捨てて正しく淨土に歸するの文」
「道綽禪師、聖道・淨土の二門を立てて、而も聖道を捨てて正しく淨土に歸するの文」
とあるのですけれども、一番終わりのところへゆきますと、今みましたように「聖道門を閣きて、選びて淨土門に入れ」と、こういう言葉がある。(総結三選の文)
これは『唯信抄』には、初めには出ておりません。
(『唯信抄』には「それ、生死をはなれ、仏道をならんとおもわんに、ふたつのみちあるべし。ひとつには聖道門、二つには浄土門なり・・・末法にいた濁世におよびぬれば・・・速証すでにむなしきににたり・・・まことにこれ大聖をさることとおきにより、理ふかく、さとりすくなきがいたすところか」(真聖p916)と、過激的には述べてはいません。どちらかというと、やんわりとですね、聖道門では生死一大事は解決しませんよ、といっているわけです。ここには当時の教界の事情が絡んでいたと思われます。)
それは、そういうことをいうことが当時の時代としては非常に過激だったのでしょうね。京都にいる坊さんはほとんど天台宗の坊さんですから。「聖道門を閣きて」とある、この「閣きて」とは、捨てるということなのです。そう表現することは過激というよりも、すでに反抗的と受け取られるよりほかにないでしょう。自分らの宗門に向って反抗的にいうておるというよりほかに受けとりようがない。叡山の影響下にある都でありますから、僧といわず一般人といわず、公家といわず皆、叡山を霊場とあおいでいる。ですから、「聖道門を閣きて、選びて淨土門に入れ」ということは、いってみれば戦いをいどむ言葉としか受けとれないのであります。ですから聖覚法印としては、叡山に反抗したり戦いをいどんだりすることが何も浄土門の本意じゃない。何も仏教の本意ではない。いわんや浄土門をすすめるという本意にならない。浄土門をすすめるということは仏教の心であり、同時に我々人間の本当の救いということを明らかにすることが仏教の目的である。その意味で、聖道・浄土の二門ということを仏教の中で分ける。そして次第に聖道門は末法の下根の者には及びもつかないという現実を押してゆくわけですね。
やむを得ず「求生而死、求死而生」というのが現実ではないかと。いかに願っても願うことがかなわないものではないか。それをもしあえて願わねばならぬという時には、何も得ることなく一生を終るというよりほかに何もないではないか。ですから、やはり中途半端なものになってしまう。そこから退いてもう一度人間に生まれかわって修行しなおそうと願う。そういう意味で人間に生まれることを目的にするということになってしまう。あるいは生まれてくることも容易でないものですから、霊場仏閣に参拝をして、そして悪趣に沈まないようにお祈りをする。あるいは弥勒菩薩がこの世に再び仏となって出られるのを待つ、ということのほかにないではないか、と。
そういうふうにして浄土門の外には末法の下根の者の助かる道はないのだというふうに導いてゆく、そういう文章でありますね。『唯信抄』は、そういう意味で述べられております。巧みな誘導の仕方ですね。しかし巧みな誘導の仕方でありますけれども、巧みであるためにかえって範囲が限定されるわけです。つまり京都中心の、あるいは京都より離れておりましても、そういう教養を受けた人が中心ということに限定を受けてしまうわけですね。ですから一般庶民には、それが伝わらない。
関東の荒野に住居をしている親鸞の御門徒には到底そのようなことは及びもつかぬことであります。しかし親鸞は、そういう意味でこそ関東の人たちに『唯信抄』を送って読むように勧められた意味もあろうかと思います。と申しますのは、そういう聖覚法印の巧みな導きというものに会われないけれども、しかし、その当時の神社、仏閣というのは一つであって、真言の寺院などが田舎の人たちの精神的な支柱としてあったわけですね。守護・地頭というものは、それを利用している。利用しているというよりも、自分もまた、それに頼っているというわけですね。ですから、その状況はある意味で聖覚法印のこういう巧みな表現が必要であったかも知れません。そういう意味も考えられる。そういう意味で、関東方面の人々にこれを特に読むように勧められた、と。 (つづく)