唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

『唯信抄文意』に聞く

2010-10-03 19:00:42 | 唯信抄文意に聞く
 今日の日曜日、この地域の小学校では、運動会が開かれました。お昼ごろからあいにくの雨模様で、楽しみにしていた運動会が午後の部から中止になってしまいました。私の家の前は通学路になっていまして、朝早くから親子連れが楽しそうな会話をしながら学校に行く姿が見られました。そして友達同士・親同士が挨拶をしながら行き会う姿に、人と人とのつながりの大切さを垣間見ることができました。普段は中々見ることの出来ない風景ですが、みんなと共に頑張ろうという姿勢に人の生きることの原点を見る思いがしました。
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     『唯信抄文意』に聞く。 その(1)
 『唯信抄文意』は聖覚法の『唯信抄』の漢文の部分を親鸞聖人が注釈を施されたものであります。『唯信抄』について、さらにその意味を述べられたわけではありません。その理由は『文意』のあとがきから知られます。
 「いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きわまりなきゆえに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、たびたびとりかえしとりかえし、かきつけたり。こころあらんひとは、おかしくおもうべし。あざけりをなすべし。しかれども、おおかたのそしりをかえりみず、ひとすじに、おろかなるものを、こころえやすからんとて、しるせるなり。
    康元二歳正月二十七日       愚禿親鸞八十五歳  書写之」(真聖p559)
 と、ここに聖人のお心が知られます。もともと『唯信抄』は誰を対象にしてお書きになったのかは、その内容をみてみますと、『五会法事讃』・『法事讃』・『往生礼賛』のお言葉や、経文は原文を引用されています。注釈といおうか、解釈なしで引用されていますので、このことから、仏教に素養の有る人、経論に親しんでいた人であろうと想像できます。これは都の人々でありましょう。在家の人、或いは出家の人もおられたのでしょう。そのような人を対象にお書きになられたものとみることができるのではないでしょうか。特に著者の聖覚は唱導の大家といわれていました。非常に弁の立つ人であったのでしょう。人をひきつける魅力の有る人といっていいのでしょう。ですから、聖覚の法座があるときには、都の人はこぞって参詣されたのであります。非常にカルチャー的な雰囲気も漂うわけです。しかし、一方いなかの人々はどうでしょうか。今この一瞬に命の灯をともしながら、明日をも知られない日々を暮らしておられたのではないでしょうか。しかし、聖人は引用されている経文等を注釈し、そのお心をお述べになって、浄土往生のいわれ、仏願の生起本末のいわれを開かれてくるものとして、『文意』を通し、『唯信抄』を繰り返し、繰り返し読むことを勧められたのです。
 聖人は『唯信抄』は念仏の要義を簡潔にのべたものとして、引用されている経文等に注釈を施されて、門弟ならびにいなかの人々に読むように勧められていました。『唯信抄』は、法然上人の『選択集』の要となる浄土往生の要義を述べた仮名聖教です。
 神戸和磨師は『唯信鈔文意』は、その最後に記されているように「いなかのひとびと」、また「愚痴きわまりなき」人びと、つまり、民衆に教えを伝えたいという宗祖の願いがあります。教えが教義ではなく、本願の念仏に生きる道を民衆の人びとと共に明らかにされたのです。本願念仏の教えをわが人生、わが身に聞き、すべての人と共に救われていく道が示されています。いい換えますと自信教人信の道です。仏道の課題をどこまでもわが身、人生に受け止め、他の人と共に生きられたということです。
 この自信教人信ということは、まず私たち一人ひとりが真宗門徒になるということです。そして同朋、朋なる人びとと共に歩む。つまり、真宗、真実の宗(むね)を自ら信知し、仏の教えに照らされる道が、自信教人信の共なる道、歩みというのです。時代社会はさまざまな問題があります。そういう中、仮名聖教を通して私たちの人生、不安や苦悩のある人生が本願に喚び覚まされ、根本のいのち、主体を回復していく歩みとなるのか。そういうところに教えを聞き学ぶという課題があるのではないでしょうか。」と教示されています。
 それでは蓬茨祖運師の講義から『唯信抄』と『文意』との違いを伺っていきます。
 「特に『唯信抄』の方には、始めには「それ、生死をはなれ、仏道をならんとおもわんに、ふたつのみちあるべし」とあって、「ひとつには聖道門、二つには浄土門なり」と、こういうように始まっております。ところが親鸞の立場はどこから始まっているかといえば、この逆から始まっている。共に法然の弟子です。聖覚法印は兄弟子、親鸞は弟弟子になるわけで、まあ兄弟弟子と伝えられている程の仲であったというわけですが、『選択集』で申しますと、『唯信抄』は初めの方から出ておりますね。聖道・浄土の二門という、まず二門を分けてゆくということですね。聖・浄二門をたてる。それから次に、正行・雑行の二つを分けるというふうにね。そして本願に入ってゆくというふうな次第になっております。『選択集』には、
 「夫れ速に生死を離れむと欲はば、二種の勝法の中に、且く聖道門を閣きて、選びて淨土門に入れ」(真全P990)
と、あります。 
 「聖道門をさしおきて」というのは、これは「選択集」の初めにもありますね。
 (二門章)
 「道綽禪師、聖道・淨土の二門を立てて、而も聖道を捨てて正しく淨土に歸するの文」
とあるのですけれども、一番終わりのところへゆきますと、今みましたように「聖道門を閣きて、選びて淨土門に入れ」と、こういう言葉がある。(総結三選の文)
 これは『唯信抄』には、初めには出ておりません。
 (『唯信抄』には「それ、生死をはなれ、仏道をならんとおもわんに、ふたつのみちあるべし。ひとつには聖道門、二つには浄土門なり・・・末法にいた濁世におよびぬれば・・・速証すでにむなしきににたり・・・まことにこれ大聖をさることとおきにより、理ふかく、さとりすくなきがいたすところか」(真聖p916)と、過激的には述べてはいません。どちらかというと、やんわりとですね、聖道門では生死一大事は解決しませんよ、といっているわけです。ここには当時の教界の事情が絡んでいたと思われます。)
 それは、そういうことをいうことが当時の時代としては非常に過激だったのでしょうね。京都にいる坊さんはほとんど天台宗の坊さんですから。「聖道門を閣きて」とある、この「閣きて」とは、捨てるということなのです。そう表現することは過激というよりも、すでに反抗的と受け取られるよりほかにないでしょう。自分らの宗門に向って反抗的にいうておるというよりほかに受けとりようがない。叡山の影響下にある都でありますから、僧といわず一般人といわず、公家といわず皆、叡山を霊場とあおいでいる。ですから、「聖道門を閣きて、選びて淨土門に入れ」ということは、いってみれば戦いをいどむ言葉としか受けとれないのであります。ですから聖覚法印としては、叡山に反抗したり戦いをいどんだりすることが何も浄土門の本意じゃない。何も仏教の本意ではない。いわんや浄土門をすすめるという本意にならない。浄土門をすすめるということは仏教の心であり、同時に我々人間の本当の救いということを明らかにすることが仏教の目的である。その意味で、聖道・浄土の二門ということを仏教の中で分ける。そして次第に聖道門は末法の下根の者には及びもつかないという現実を押してゆくわけですね。
 やむを得ず「求生而死、求死而生」というのが現実ではないかと。いかに願っても願うことがかなわないものではないか。それをもしあえて願わねばならぬという時には、何も得ることなく一生を終るというよりほかに何もないではないか。ですから、やはり中途半端なものになってしまう。そこから退いてもう一度人間に生まれかわって修行しなおそうと願う。そういう意味で人間に生まれることを目的にするということになってしまう。あるいは生まれてくることも容易でないものですから、霊場仏閣に参拝をして、そして悪趣に沈まないようにお祈りをする。あるいは弥勒菩薩がこの世に再び仏となって出られるのを待つ、ということのほかにないではないか、と。
 そういうふうにして浄土門の外には末法の下根の者の助かる道はないのだというふうに導いてゆく、そういう文章でありますね。『唯信抄』は、そういう意味で述べられております。巧みな誘導の仕方ですね。しかし巧みな誘導の仕方でありますけれども、巧みであるためにかえって範囲が限定されるわけです。つまり京都中心の、あるいは京都より離れておりましても、そういう教養を受けた人が中心ということに限定を受けてしまうわけですね。ですから一般庶民には、それが伝わらない。
 関東の荒野に住居をしている親鸞の御門徒には到底そのようなことは及びもつかぬことであります。しかし親鸞は、そういう意味でこそ関東の人たちに『唯信抄』を送って読むように勧められた意味もあろうかと思います。と申しますのは、そういう聖覚法印の巧みな導きというものに会われないけれども、しかし、その当時の神社、仏閣というのは一つであって、真言の寺院などが田舎の人たちの精神的な支柱としてあったわけですね。守護・地頭というものは、それを利用している。利用しているというよりも、自分もまた、それに頼っているというわけですね。ですから、その状況はある意味で聖覚法印のこういう巧みな表現が必要であったかも知れません。そういう意味も考えられる。そういう意味で、関東方面の人々にこれを特に読むように勧められた、と。 (つづく)
  
 

第三能変 別境 八識分別門 (2)

2010-10-03 11:10:38 | 心の構造について
第三能変 別境 八識分別門 (2)
        - 第六意識における別境の有無 -
 「第六意識には諸の位に倶なる容し。依を転ずるにもあれ、転ぜざるのもあれ、皆遮せざるが故に」(『論』第五、三十三左)
 「述曰。若し因の中に在って(若し因位のうちに在れば)、或いは五ながら倶起す。或いは(或るときは)一々別に生ず。若し果に在る時には、一向に定んで(定めて)有り。此の中には即ち是れ諸位に有る容しと云う。若しは転依・未転依、皆遮せざるが故に」(『述記』第六上二十三左)
 心王と別境との関係がつづいて述べられています。第六意識には全部の心所が相応すると述べられます。第六意識においては、五別境は因位であれ、果位であれ、第六意識と倶に生起する。転依の時であれ、未転依の時であっても、遮せられないからである。『述記』の記述では、因位においては、五別境は同時に生起したり、あるいは、一つ一つ別々に生起したりすることがある。果位においては必ず存在する、と述べられています。
        - 前五識におけれ別境の有無 -
 「有義(安慧の義)は、五識には此の五皆な無し。已得の境を縁ずるを以て、希望(けもう)すること無きが故に。審決(しんけつ)すること能わざるを以て、印持(いんじ)すること無きが故に。恆に新境を取るを以て追憶すること無きが故に。自性散動するを以て専注(せんしゅ)すること無きが故に。推度(すいたく)すること能はざるを以て簡擇(けんじゃく)すること無きが故に」(『論』第五三十三左)
 已得の境 - すでに把握している対象。
 希望 - 熱望すること。
 審決・印持 - 「勝解の心所」は、審決(決定すること)し、印持(はっきりと認めて受持すること)する心の働きである。決定の境に於て、はっきりと印をつけ、それを保持するという。
 新境 -新しい対象
 推度 - 推量、思いはかること。
 (意訳) 安慧は言う。前五識にはこの別境の五は存在しない。それぞれの理由が五つ述べられてあります。
 (1) 五識はすでに把握している対象を縁じるので、希望することが無いから。五識に欲の心所は存在しないという。(欲は五識に存在しないという。五識は、新導本には、「現在已得」と注釈がありますように、現在の已得の境を縁じ、任運に活動する識であるのです。それに対して、欲は「所楽の境の於に希望するを以て性と為す」といわれています。未だ得ていない認識対象を縁じて、そちらに心を向け願う心の働きである。)
 (2) 五識は審決することが出来ない為に、印持することが無いから、五識には勝解の心所は存在しないという。(勝解は審決し、印持する心の働きであるからである。)
 (3) 五識はつねに、新しい境を取るので、追憶することがないから、五識には念の心所は存在しない。(念は「経て過ぎにし事を心のうちに明らかに記して忘れざる心なり」といわれるように、念は追憶する心の働きであり、過去のものとなった事を心のうちに明記して不忘しない心の働きであるからである。)
 (4)五識の自性は、散動するものであって、専注することが無いから、五識に定の心所は存在しない。(定は「所観の境の於に心を専注して散ぜらしむるを以て性と為す」といわれますように、散乱しない心なのです。ですから自性散乱するものであっては、五識に定の存在は無いというのです。)
 (5) 五識は推度することが出来ない。推度する働きをもたないということは、そこに簡擇することがないから、五識に慧の心所は存在しないという。なぜならば、慧は簡擇する心の働きであるからである。(所観の境の於に簡擇するを以て性と為す、といわれていました。また「万の知らんと思う事の徳失をよく簡び弁えて疑いを除く心なり」と良遍は述べていました。)
 このように別境の心所の五は五識の性格と違背するから「五識には此の五無し」と安慧は述べています。
 この説に対して護法が反論しているのが次の科段になります。護法の正義が述べられてまいります。
 『述記』並びに『演秘』の記述を伺いますと、
 「述曰。此の五皆な無し。
 (1)五識は現在の已得の法を縁じて起こる。任運に縁ずるが故に。欲は未得の境を縁じて作意し希望を生ず。故に五識無しなり。
 (2)五識は任運に境を縁ず。勝解は審決し印持す。故に五に勝解無し。
 (3)五識は刹那に恒に新境を取る。過去の故き境を縁じて生ぜざれば、而も追憶すること有ること無し。故に念なきなり。
 (4)五識は対法の第一の末に説くが如し。自性散動にして専注すること有ること無し。故に定なきなり。
 (5)五識は推度すること能わず。簡擇有ること無きが故に、慧なきなり。
此の師(安慧)は天眼耳通は是れ意識と相応する慧というを以てなり。『瑜伽論』(巻六十六)は眼耳と倶時の意識相応の智に依て説いて通の性と為すなり。後師は即ち彼のニ識を所依と為し、智を能依と為す。故に慧ありというなり。 (『述記』第六本二十三左)
 『演秘』に依りますと、「此師以天眼耳通是意識相応慧等」と云うのは、此の師の意に准じて推し量ってみると、但だニ通のみではなく、成事智(成所作智)も亦五識相応の慧ではないという。しかし因果の五識にもすべて慧がなければならない。或いは、因のみに慧はないということであって、果位には慧が有るのである。このような訳で、後の師は仏の五識の成事智を以って第一師の説を論破する。後の釈理が優っているのである、と説いています。
 成事智(成所作智)の記述は『論』には巻第十の諸門分別において述べられています。変化身について「諸の如来の成事智に由って変現したまえる無量随類の化身なり」、と。(『選註』p245・『新導本』p464)
 護法の正義について、安田先生は次のように教えてくださっています。
 「第六識と同じように顕著な希望を起こすことは有りえないが、意識の影響を受けて微劣な希望を持ちうるとする。第六識の内容として考えられるものであるから、第六識の影響を受けて五識にも影がさす。微かな意味で希望が考えられる。増上なる意味で境を決定することはないが、与えられた意味で境を印可することがあるといっている。厳密にいえば五識には起こらぬともかんがえられるが、六識の影響を受けて五識にも別境が微かに起こるとも考えられる」。(『選集』第三・p320)
 このように第一師の考えは間違いなのではなく、五識のみを考えられると五識は直覚ですから、別境は無いといわざるを得ないですね。しかし五識は第六意識の影響下にあるわけですから、微妙に五識にも別境の五つの心所が働いていると考えられるのですね。
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 蓬茨祖運先生の『釈尊伝』の書き込みを終了しましたが、『釈尊伝』から学んだことが、今の私に何を伝えているのかを、今度は宗祖親鸞聖人にお伺いをしたい。テキストとして『唯信抄文意』に生きることの意味を尋ねたいと思います。今後は日曜日に『成唯識論』はお休みにさせていただいて、『唯信抄文意』を配信したいと思います。参考文献は、本文は『真宗聖典』に依り、現代語訳は親鸞仏教センターの訳に依ります。尚 蓬茨祖運述の『唯信抄文意講義』・安富信哉著の『唯信抄講義』・大阪教区難波別院主催、真宗講座、三木彰円述の『唯信抄文意に聞く』の筆録をもとに、私探しの旅に出かけようと思います。十月三日より毎週日曜日に配信します。