さうぽんの拳闘見物日記

ボクシング生観戦、テレビ観戦、ビデオ鑑賞
その他つれづれなる(そんなたいそうなもんかえ)
拳闘見聞の日々。

変わらないもの

2020-05-19 09:33:51 | 辰吉丈一郎


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辰吉丈一郎の試合を見ることは、例えればハリウッドの脳天気なアクション映画を見るような行為だった。
単に期待し、胸を躍らせていればよかった。
今は違う。僕は変わってしまった。

それは、あのラバナレスとの再戦、激闘の判定勝利が最初だったと思う。

あの時僕は、彼が能弁に語る理想とはかけ離れた、泥沼であがくような打ち合いを目にして呆然となり、まるで時間が止まったような感覚のまま、絶叫するアナウンサーと大観衆の声を、まるで遠い世界の出来事のように聞いていた。

それ以後、いくつかの格下相手の快勝を除き、彼は以前ならよけられたパンチをよけられず、当てることのできたパンチを外し続けた。
医学上の規定はクリアしているのだろうが、ボクサーとしての視力低下は明白だった。

しかしそれでも彼は闘い続け、みたび世界の王座についた。

彼は、かつて僕に「ナポレス、オリバレス、レナード、いや、辰吉は誰にも似ていない...彼こそが真の天才だ」と思わせたような力を、とうの昔に失っていた。
肉体的にも衰え始めていた。分厚かった上体の筋肉は衰え、下肢は噂された走り込み不足を裏付けるように細く、頼りなく見えた。

にもかかわらず、彼は無敗の王者、シリモンコンを倒した。

そしてそれは僕にとり、あのラバナレス第二戦での勝利と似ていた。
歓喜とは別のところにある遠い世界で、またアナウンサーと大観衆が叫んでいた。

それまでに彼の負った傷の深さを、そして失ったものの多さを考えれば、あんなことができるはずはなかったのに。


彼は本当に凄い男だと思った。
だが同時に彼は、凄いボクサーではなくなってしまったとも思った。
彼は変わらねばならなかった。普通のボクサーとして、まず我が身を守り、勝利のみを考えて戦わねばならないはずだった。
2度の防衛後、専門誌上には「辰吉の闘いぶりには落ち着きが出てきた」という論評が幾度か出た。

僕は首を傾げるばかりだった。
全然、そういうふうには見えなかった。
彼は変わらず、かつてのように天才ボクサーであろうとしていた。


夏の横浜。ポーリー・アヤラ戦で見せた涙はその証拠だった。
ルール通りに運ばれた試合で勝利を得たにも関わらず、不足を感じて取り乱す姿は、人間的には魅力でも、ボクサーとしてはあまりにも危うい心の持ち主であることをさらけ出していた。

そして、冬の大阪。
あの夜、僕は病院のベッドに横たわって、TVを見ていた。
そこに映し出された、控え室にいるウィラポンの、能面のような貌を見た時、こいつはソーサやアヤラが暴けなかった何かを暴いてしまう男ではないかと感じた。
日頃は滅多に当たらない予感がこんな時に限って的中した。

3Rに試合を決めた一撃があった。ウィラポンの右ストレート。同時に肘が当たったようにも見えたが定かではない。
とにかくそれ以降、試合はウィラポンの独り舞台となり、辰吉は見るも無惨に打倒された。


辰吉は自分のボクシングに対する誇りを捨て切れず、再戦を望んでいるのだろう。
あくまで、医学的に、というだけの話に過ぎないが、目に問題がないという診断が下れば、遠からず再戦は実現するのだろう。

多くのものを失い、それでも彼は闘い続けてきた。
しかもかつて自分が無条件で強者であったときとほぼ変わらぬやり方で。

ウィラポン戦でも、足とジャブを使って打ち合いを避けていればと思った。
わざわざ海外からカットマンを招いたのに、カットした後もガードを上げようとしないことに関しては、もはや何も言う気になれない。

だが、彼は自分を変えようとはしないだろう。
だからこそ彼は勝ってきたのだ。
そして敗れてきたのだ。

これまでもそうだったし、きっとこれからもそうだろう。

彼の試合を「ロッキー」のように楽しめた時は遠くに過ぎ去り、いまは例えば「レイジング・ブル」を見るのと似た気持ちで見ている。
だが彼に、もう引退すべきだ、などと言いたいわけではない。
彼が闘うのなら、僕はやはりそれを見ずにはいられないだろう。

昔とは変わってしまった心で。
昔と変わらぬままに闘おうとする、彼を。



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これは1998年12月、辰吉がウィラポンとの初戦に敗れたのちに書いたものです。
再戦については、正式決定はしていませんでした。

人生で初めての入院という経験と、辰吉の強烈な敗北...紛れもなくボクサーとしての「死」に見えた敗北が重なり、暗澹たる気分だったことを覚えています。

何故、辰吉丈一郎は、またはその周辺は、彼の「ボクサー像」を冷静に捉えず、幻想の世界で闘おうとするのだろうか。
この頃、辰吉の試合を見る度に思っていたことです。
対戦相手にいかに勝つか、ではなく、世間が辰吉に期待する「絵」を見せることを優先して闘っているのではないか、と。

そして、本人がそれを自覚せず、周囲もそれを正せない。
メディアの評論も、勝てばそれを称え(危惧を語る個々の記者もいるにはいましたが)負ければ分析とも呼べぬ、後出しで「粗」を語るレベルの批判、という具合。
辰吉の持つ才能が優れているものであるのに反し、周囲の環境、状況は、それに見合わぬレベルのものでないことが浮き彫りになっていました。


その行き着く先として、辰吉を待ち受けていたのが、これ以上無いほどに然るべき、痛烈な敗北だった。
後に、そんな風に思ったものです。
実際、それが起こったことの全てだったわけではないでしょうが、けして的外れでもないだろう、とも。



そして、井上尚弥の生きる「今」は、当時のそれと比べて、進歩したものだと言えるのかどうか。
ふと、そんなことを考えたりもします。
本人の個性や、自覚の言葉は、実に冷静で客観性が感じられるものではあるが、それでもなお、今は誰にも見えていない陥穽があるのではないだろうか。

取り越し苦労に過ぎないかもしれませんが、辰吉丈一郎の持つ希有な才能が、十全に発揮されぬまま終わった事例を繰り返してはならない、と改めて思ったりもします。




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3 コメント

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Unknown (neo)
2020-05-19 15:44:18
今の目で見ると、突き抜けた部分も複数あるけど、必須箇所も複数少しずつ足りないと見えますね。
連打の際の細かく速いステップやヘッドスリップで切り込んでカウンターボディなんかは明らかに天性のモノで、真似したらあかん、となります。
しかしながら、距離で外す、あるいは攻められて時間を稼ぐために左右に切り返すステップなどは明らかに足りず、ガードワークはほとんど出来ず、アウトボクシングに特化できる程のフレームなど突き抜けた部分も足りずと。
やはり、精神面の不安定さも込みで鷹匠に恵まれなかったかな、というのはありますね。タイミングもありましたね。

追伸: 彼のピークはどこにあるとお考えになりますか?自分はもしかしたら岡部繁戦前後(サミュエルデュランから世界前哨戦くらいまで)かも、と思ってしまいます。
返信する
Unknown (NB)
2020-05-19 19:23:25
掘り出して頂き、どうもありがとうございました。
このブログ見始めた時にはもう、辰吉さんの時代終わってまして、さうぽんさんが辰吉をどう見て感じていたのか、と思っていましたので嬉しいです(笑)。
特に関西ボクサーには思いが凄いですから(一部例外アリ)(笑)。
辰吉さんについては誰が指導しようとトレーナーになろうと、変える事は不可能だったと思ってます。
結果これだけの事やってますから、成功ですよね。
しかし、辰吉さんのボクシング人生、世界入ってからは本当いばらだらけで…。こんなんはなかなか無いでしょう。

当時ボクシングを『作品』と称されてましたが、どういう事かわかりませんでしたが、結局作品とは自分が納得出来るものを客にも納得させ喜んでもらう、こんな感じしか理解出来ません。凄い脳ミソされてますからね(笑)。

自分にとっては辰吉さんの世界戦は期待通りにいくものは、ほぼありませんでしたが(井上尚のようなものをいつも望んでおりました笑)、辰吉シリモンコンという大傑作の作品だけは一生ナンバーワンです。
日本人チャンピオンいませんでしたからね当時、応援もトランペットで阪神ファンみたいだし、実況、解説は壊れるし(笑)、あの熱気は異常です。

因みにこの試合の5R開始時にコール要請、全力勝負かけてダウ奪う、でしたが、井上尚ちゃんもドネア戦同じ事しましたね!それが、ドネアがわざわざ歩いてシリモンコンが倒れた位置でダウンして、全て立ち位置が同じだったという偶然(笑)。
全くもってどうでも良い事で申し訳ないですが、何百回見てる自分としては、鳥肌立った場面でした(笑)。
返信する
コメントありがとうございます。 (さうぽん)
2020-05-20 12:47:34
>Neoさん

技術面に関しては、ちゃんと教える人がいて、本人に教わる気があれば、出来ないことなんてほぼ無かっただろうと思います。その辺がいろいろ歪だったんでしょうね。闘い方も同様で、好調なときでさえ、危ない方へ自分から首突っ込んでいくような有様でしたしね。若い頃は早々に相手が倒れましたが、そうでなくなった後は、色々と無理ばかりだったように思います。
ピークという言い方とは違うかもしれませんが、か、全キャリア通じて一番質が高く、それが一試合通じてきちんと維持された、という点で、レイ・パショネス戦は良かったなあ、と思います。リチャードソン戦は当然のこととして。あの試合も、相手の特徴を見た上で闘えていた、という意味で、良い方向性が見えた試合ですね。


>NBさん

大したことを思っていたわけでもなんでもないですが、お読みいただきありがとうございます。
あといくつか引っ張ってきて、後は何か今から思うことを書けたらな、と思っています。
あの「作品」という物言いも、ある部分闘いの苛烈さを直視していない、と感じていました。周囲の教育、指導も足りなかったでしょうし、またそういう彼の個性を過度に持ち上げる空気もありましたね。
応援は凄かったですね。太鼓もありませんでしたっけ。あれ、許可されてたんでしょうか。いまだに疑問です。
何しろ、しまいに「かっ飛ばせー」とか言い出しかねん勢いでしたね(笑)。
シリモンコン戦と、井上にそんな共通項がありましたか。気づきませんでした。凄いところを見ておられますね。


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