さうぽんの拳闘見物日記

ボクシング生観戦、テレビ観戦、ビデオ鑑賞
その他つれづれなる(そんなたいそうなもんかえ)
拳闘見聞の日々。

「学びの機会」は生かされたか? 6戦目で初のドロー

2020-06-15 08:15:29 | 辰吉丈一郎




ということで、辰吉丈一郎の思い出シリーズ、5回目。
運命の1991年に突入です。


前年、1990年12月にジュン・カーディナルを破り、早々に発表されたのが次の試合、WBA7位の南米王者、アブラハム・トーレスとの対戦でした。
期日は1991年2月17日、後楽園ホール。
格下相手のカードで、府立第一を埋めた選手が、現役世界ランカー相手にもかかわらず、ホールで試合をする。
その代わりに、TVは日曜昼間の生中継。
明らかに物事の「比重」が変わったのやなあ、と、当時ぼんやり思ったものです。


トーレスの戦績は確か13勝1敗か何かで、KOは少なく、5つ。
1敗はソウル五輪銅メダリストにして、後のWBA王者ホルヘ・エリセール・フリオに喫したもの。
それ以外に強敵との対戦はなかったようで、辰吉陣営にすれば、ランカーの中では楽な相手を選んだつもりだったのかもしれません。

しかし、このときのWBA王者はあのルイシト・エスピノサで、ランカーは上から順番に、イスラエル・コントレラス(後の王者)、畑中清詞(後に一階級上で王者に)、上記のフリオ、李勇勲と李恩植の韓国勢(当時、みんな強かった)が続き、6位がグレグ・リチャードソン(!)。
で、その次がトーレスですから、6戦目の選手と組むには、限界ぎりぎりのマッチメイクだった、と見るべきでしょう。

にもかかわらず、試合への流れは、けっこうタイトなスケジュールだったし、何より本人、陣営、報道や批評からも、厳しい予見はあまり出なかったように思います。
辰吉本人は「足使って当ててポイント稼ぐ、アマチュア風の選手」と切って捨てるような言葉を発していました。
後付けでなく、正直に「世界どうこうという選手を、そんな風に簡単に断じてしまえるものなのかなあ」と疑問に思ったのを覚えています。


実際、試合が始まると、トーレスは派手さこそないものの、締まった構えから、身体の軸をしっかり決めて回転させつつ放つ鋭いジャブで、辰吉を再三好打しました。
辰吉は相手を見ず、探ろうとせず、最初から外して強打狙い、という一段飛ばしの試合運びに出ましたが、何しろジャブを外せないものだから、攻めの糸口が掴めない。
それでも天才の証明というのか、目で外してヒットをとる場面を徐々に増やし、終盤の挽回もあって、試合自体は成り立ちましたが、僅差ながらクリアに負けている、という内容でした。

ドローの判定を受けて、辰吉は「自分の負け」と率直に語りました。
この言葉がどういう気持ちから出たものか、細かいところまではわかりませんでしたが、かなうことなら、率直に対戦相手の技量力量を踏まえた上で、自身の現状を客観的に見据えたものであってほしい、と思いました。
この試合で見たもの、体感したものと、率直な気持ちで向き合ってほしい。
自身の闘志、負けん気だけで、全てを塗りつぶしてほしくはない。そう思ったものです。

そして、それを「学び」として、今後に生かせるものなら、この天才がこの先、大成したときに、貴重な試練の一戦だった、あれがあったから...と振り返ることも出来るだろう、と。
しかし、後に振り返れば、この「学びの機会」が十全に生かされたか、というと、やはり疑問符を付けざるを得ないのですが。


あと、気になったのは、またも119ポンド契約の試合で、辰吉の足取りに軽やかさが感じられなかったことです。
打たれたり、疲れたりしたあとの話でなく、試合開始の時点でそうでした。
たった1ポンドの余裕が、これほど目に見えて、出来不出来の差になって表れるものか、と少々驚きでもありました。
若さやキャリア、当日計量の時代だったこと、色々要因はあったのでしょうが、この試合も厳しく、118で組んでいればどうなったのかな、と思ったりもしました。


さて、陣営は7戦目で予定していた世界戦を延期して、もう一試合、世界ランカーとの試合を挟む、という「軌道修正」に出ました。
しかし、7戦目が8戦目になったとて、時の王者はWBAルイシト、WBCは桁違いの長身で売ったラウル“ヒバロ”ペレスで、いったいどっちに挑むつもりなんやろう、と思ったものです。
こういうとき、選手に無理な減量を課して、一階級下で...という、いかにもな話が飛び出しやせんやろうか、と心配にもなっていたところ、次の相手は、何とも微妙なところを突いてきたな、という感じの選手が選ばれることになるのでした。




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4 コメント

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Unknown ()
2020-06-25 16:24:34
フリオ懐かしいです。
当時ジュニア・ジョーンズとの試合はリアルタイムで見逃したハーンズVSレナード戦の再来の様な気持ちで見ていました。
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コメントありがとうございます。 (さうぽん)
2020-06-26 09:19:32
>ゐ さん

確かに良いカードでしたし、良い内容でもありましたね。フリオは、王座奪取のエディ・クック戦も凄い試合でした。えらく画質の悪いビデオで見たのですが、感動したものです。今はYouTubeに、良い画質で上がってますね。
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Unknown ()
2020-06-29 11:03:55
同じくクック戦、ジョーンズ戦共にwowow録画してみていたのですがビデオの画質なので今見るとひどいです・・・。youtubeで良い画質で見れるのは嬉しいです。クック戦はまたジョーンズ戦とは違った激しさの面白い試合でしたね。
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コメントありがとうございます。 (さうぽん)
2020-06-29 12:42:37
>ゐ さん

クック戦もWOWOWで放送ありましたか。当時お金が無くて、初期のWOWOWは人に録画してもらって見てましたんで、そこから漏れていたんでしょうかね。私の見たのは、また別のルートで入手した現地実況版でした。YouTubeにあるのはそちらですね。
ジョーンズ戦はWOWOWのを見ました。あの頃の雰囲気は、今見ると味わい深いものがありますね。

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