さうぽんの拳闘見物日記

ボクシング生観戦、テレビ観戦、ビデオ鑑賞
その他つれづれなる(そんなたいそうなもんかえ)
拳闘見聞の日々。

足取り重き、119ポンドの逸材

2020-05-28 09:20:02 | 辰吉丈一郎


辰吉丈一郎の思い出、とりとめもなく二回目。


デビュー戦のKO勝ちは、試合単体が録画中継されたわけではなかったはずです。
スポーツニュースや、スポーツバラエティ的な番組では、何度も取り上げられていましたが。

デビュー戦前のジムワーク映像で見た印象は、本当に凄い素材なので、適切な指導を受けて順調に伸びたら、どんなに凄いボクサーになるだろうか、というものでしたが、デビュー戦を見ると、正直言って余計な「粋がり」が目につき鼻につき、という部分もあり、そこはがっかりしたところでした。

相手との力量差を見て取ったら早速、両手を下げて、アゴを少し出して、余裕を見せる。
ちゃんと指導者が教育してないのか、それとも、どうにも手に負えないものを、これでもまだ抑えている方なのか。

いずれにせよ、これだけ凄い才能を秘めているのに、なんでこういう余計なものが入り込んでくるんやろう。
アリやレナードの「芸風」を悪く解釈しているに過ぎないんだろうが、もっと良いお手本をしっかり見て学ぶべきだ、と思ったものです。



二戦目は、これまた関西地方で試合自体の放送は見られませんでした。
これもニュースか情報番組かで、初回のダウンシーン、2回の逆転KOシーンを見たんだと思います。

初回、タイ王者チューチャード・ウアンサンパンの左ロングフックを食って尻餅、笑いながら立つ。
2回、タイ人の連打、その繋ぎ目を切り裂くように差し込んだ左ボディでKO。

この試合について報じた記事、確か Number のものだったか?専属トレーナー氏のコメントは

「(初回のダウンは)これほどのレベルの選手が、あんなチョンボをしたのが可笑しくて、笑ってしまいました」

という内容のものでした。

一読して、こういう人はすぐに外した方がええな、と思いました。
デビュー戦にも通じますが、これほどの素材、逸材ならばこそ、もっと強い相手と闘う日のことを見据える必要がある。
だが、歳若き本人は仕方ないにせよ、指導者や周囲が、文字通りの「指導」を怠っているのではないか。そういう印象を持ちました。




そして三戦目。
後に思えば相当な試練、難関たる一戦でした。

サムエル・デュランはこの試合の三ヶ月ほど前に、タイのサミン・キャットペッチをKOして、WBCインター王座を獲得したばかり。
このサミンというのは、デビュー戦でインター王座を獲得し、二戦目でデュランに敗れ初黒星、というキャリアの選手。
詳細は不明ですが、ムエタイのスターか、アマチュアの有力選手かどちらかだったのでしょう。
そういう選手を国際式に転向させ、少ない試合数で世界戦に持っていく。タイではよくあるパターンです。

ちなみにデュランは91年の11月にも、ムエタイからの転向選手であるオーレイ・キャットワンウェーをKOしています。
このオーレイは「アンダマンの真珠」と呼ばれたムエタイのスーパースターだったそうですが、この黒星により、国際式のキャリアをたった三戦で断念しています。

いわば、少ない試合数で世界を目指すホープの目論見を打ち砕くのが得意な?デュランを、これまた三戦目で迎え撃つ。
当初、ジム側は三ヶ月前の試合で負けたサミンの方と組むつもりだったのを、辰吉が「勝った方とやりたい」と言ったので、デュランを選んだ、とのことでした。
終わってみれば、辰吉本人も陣営も、おそらく、思う以上に危ない橋を渡った、という一戦になりました。


この試合、契約ウェイトは119ポンドだったと記憶しています。
動きがどうにも重く、果敢に攻めてくるデュランのパンチを外しきれない場面も。
しかし3回、相手の左を外して、次の右が来る前に左アッパー、という天性の一打が決まり、ダウン。
その後、デュランの反撃に晒され、危ない場面もあるが、7回に左右アッパーで倒し、KO勝ち。

全体を見て、たった三戦目の選手にしては、考え得る中で最強の相手をKOした辰吉は凄い、となる反面、最後は明らかにダウン後のパンチを効かせていたことも含め、どうにも印象の悪い試合でした。
はっきり言えば、辰吉の反則負けになっているべき試合でした。

そして、それを抜きにしても、強敵相手に見せたセンスや闘志は凄いが、調整を含めた経験不足も露呈した試合でした。
手を下げ、目を外す選手としては、もう少し身体に切れが欲しい。
119ポンドで組むと、足取りが多少重く見える。足から動いて外すのでなく、上体だけだと外しきれず、打たれる。
そこは心配な点でした。


この試合はフジ系列の関西ローカル、関西テレビで深夜放送されました。
当時、関西テレビは渡辺二郎、ローマン戦、そして六車卓也の試合を放送していた局で、その流れで辰吉の試合も取り扱ったのでしょう。
しかし、次の岡部繁戦における「爆発」以降、辰吉の試合は全て、日本テレビ系列での放送となります。

この試合放送における、関テレの番組作りは、相当熱が入ったものだったように思います。
冒頭の煽り部分では、人気アナウンサー桑原征平のナレーションが入り、解説は渡辺二郎、六車卓也が並ぶ。
ですが、そのナレーションは幼稚というか、有り体に言って馬鹿みたいな内容で、TV局というものにとっては、どんなに優れた才能であっても「浪速の」ナントカである方が大事で、それ以外は二の次、というものでしかありませんでした。

このあたり、今から思えば、優れた才能を取り巻く環境の貧困、その一端を見ていた(に過ぎない)のだろう、と思います。
そして、それは後に見ることになる様々なものの前触れでもあったのだ、と。


しかし、この次の試合で、そういう危惧は全て吹き飛び、再び、私は壮大な夢の世界へと引き込まれることになります。



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