さうぽんの拳闘見物日記

ボクシング生観戦、テレビ観戦、ビデオ鑑賞
その他つれづれなる(そんなたいそうなもんかえ)
拳闘見聞の日々。

和製レナード、いや、それ以上 壮大な夢の入口

2020-05-30 16:14:30 | 辰吉丈一郎



辰吉丈一郎の思い出、三回目です。


岡部繁戦は、当然TVで見たんですが、これが関西では数日遅れの録画放送。
結果は知った上で見ました。
なのに、30年経った今でも、その試合は「驚愕」そのものとして、記憶に焼き付いています。


岡部繁については、この試合まで映像を見たことはありませんでした。
ただ、専門誌の記事で見る限り、日本チャンピオンとして抜きん出て強いという内容や結果があるでなし。
もちろん弱いチャンピオンではないだろうが、さりとてサムエル・デュランより強いはずもない。
従って、不調でありながらもデュランに勝った辰吉が勝つだろう。そんな風に思っていました。

そして、報じられた結果もその通りでした。
想像を超えていたのは、その内容でした。


覚えているのは、一見して辰吉の身体の切れが、それまでの三試合と全然違った、ということでした。
無用な力みが見えず、下肢のバネが効いていて、膝が柔軟。
若干、前傾気味のバランスを、ぎりぎりのところで補正する。
その足捌きは、前後共に軽やかで、まるでキャンバスの上を浮遊しているかのように思えました。

初回は左を下げていたが、2回以降、ほどほどにガードも上がり、両肩は程良くリラックス。
構えた位置からジャブ、コンパクトな右が、適時、岡部を脅かす。

岡部は打てば敏捷に右を返され、下がれば上下に散らすジャブで追われる、という流れで、時折鋭いパンチを見せるも、劣勢は否めず。
4回、徐々に手詰まり感ありありだった岡部が、安易に出した左を、本当に最小限の幅でスリップした辰吉が、それまで右を返していたところ、突然の?左フック。
コンパクトに振り抜かれた一撃で、岡部が後方へ崩れていきました。

このとき、アリやレナードのように右手を回したシーンは有名ですが、私がより鮮明に覚えているのは、この後、それこそレナードばりに厳しい「詰め」の連打で二度目のダウンを奪ったあとの様子です。
中立コーナーに立った辰吉は、客席から投げ込まれた何か(パンフか紙テープか?)が足元に転がったのを見て、試合の邪魔にならないようにと、右足で軽くリング下に蹴落としました。

先ほどのパフォーマンス、猛攻、その直後、熱狂に包まれた場内で、この歳若いボクサーが、誰よりも一番冷静な貌を見せている。
その事実が、何よりも衝撃的、そして感動的でした。
初のタイトルマッチ、メッカ後楽園ホールのリング上で、この恐るべき才能の持ち主が、様々な「余計」を排して、真の強者たりうる境地に、足を踏み入れた。そう感じたのでした。

初めて練習映像を見てほぼ一年、やっぱり、辰吉丈一郎は本物だった。
そう思えた喜びは、その先に見た夢の壮大さは、今も心中から消えていません。

もう、三度目のダウンを奪う様子は、単なる付け足しでした。



このときの辰吉の試合ぶりは、もちろん相手との相性や力関係ゆえだと言えばそれまでですが、心身ともに一番バランスが取れていた、と思います。
慌てずに圧し、力まずに打っていきながら、同時に「強打」出来るパンチは何か、その選択肢を探りつつ、要所を押さえて得点していく。
終始冷静で、緻密で、なおかつ好機を得たら爆発的。

まさに和製レナードではないか、いや、そのキャリアの浅さを考えれば、レナード以上の天才ではないか。
こんな凄いボクサーが、日本に現れるとは。
この男こそ、日本の枠を超えて世界を驚愕させる、次代のスーパースターになる男だ。
そんな風に思ったものです。




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この試合については、ひとつだけ、長年、疑問に思っていたことがありました。
何故、岡部繁とその陣営は辰吉の挑戦を受諾したのだろう、ということです。

辰吉は確かこの試合の時点で日本1位ではなかったはずです。2位だったか。
何しろ、挑戦者コーナーのすぐ下の席に、当時日本1位だったサウスポー、松尾隆がいて、鋭い眼光を辰吉に向けていた覚えがあります。
(この松尾は、後に眼疾を患い引退しますが、次の試合で辰吉に挑んでいたら、サウスポーだったことも含め、健闘したんじゃないか、と思うくらい、好選手でした)

何しろ、岡部陣営が辰吉と闘うとしたら、大物ルーキーを倒して声名を高めよう、という理由しかないでしょうが、私にしたら、勝ち目の無いカードに、大事な選手を出す理由としては弱いなあ、という感じでした。

しかしこの試合から10何年も経って、関東のファンの方々とも、色々接することが増えて、友人も出来るようになり、その辺の疑問をぶつけてみたことがあります。
その友人が答えて言うには「それは、辰吉があんなに強いと思われてなかったからですよ。悪いですけど、また大阪から口だけの選手が出てきたな、くらいにしか思われてなかったんです」とのことでした。

あー...そういうことだったのかあ、と。
もちろん、そんな風には思ってなかった、という意見もおありでしょうが、一方で、一定以上の割合で、そういう断じ方がされていただろうことも、容易に想像が出来ます。


聞いてみれば他愛も無いというか、簡単な話でした。
そういう側面からも、あの試合は、痛快な試合だったのでした。
出来ることなら「その場」に居合わせて(当然、結果知らずに)あの試合を見てみたかったなぁ、と改めて思った次第、です。




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