さうぽんの拳闘見物日記

ボクシング生観戦、テレビ観戦、ビデオ鑑賞
その他つれづれなる(そんなたいそうなもんかえ)
拳闘見聞の日々。

晩夏

2020-05-21 07:04:42 | 辰吉丈一郎


==================



試合開始の時点で辰吉の足のバネが切れているのを見た時、心中僅かに残っていた勝利への期待は完全に消えた。
それ以後起こった事はほとんど全て事前の悪い想像と違わなかったと言っていい。

かつて辰吉丈一郎はボクサーとして豊壌の実りに満ちた天才だった。
しかしこの日の彼はすでに草木一本残っていない焼け野原だった。

3Rに何の確信も根拠もないのに早くも勝負をかけて打って出る姿を見て悲しみで胸が満ちた。
その有効打に乏しく短い攻勢を最後に目を覆いたくなるような劣勢が続き、7Rにやっと試合は終わった。

我が身のことだけを思うなら、辰吉は昨年の敗戦を最後に引退すべきだったのだ。僕は否応なしにそう気づかされた。
しかしそうすることが当然だと言わんばかりに闘われたこの再戦は、ただ単に辰吉一人の雪辱のためでなく、辰吉に何らかの思いを抱く全ての人間に対する最後の惜別の為に闘われたのではないかと感じた。
辰吉の意志は勿論別だろうし、あくまでこちらが勝手にそう感じただけの話だが。


かつて最後の4割打者テッド・ウィリアムスが何のセレモニーもなく無言で引退し、それに対して人々が不満を述べた時、ジョン・アップダイクは「神々はいちいち手紙の返事など書かないものだ」と言ったらしい。

ならば辰吉は神ではなく人間だった。良くも悪くも徹底的に人間だった。


試合が終わってもリングサイドは騒然としていた。
泣きながら辰吉の名を叫ぶ者がいれば、ビデオカメラを辰吉に向け「撮れた撮れた」と喜ぶ場違いな芸術家もいた。
それを横目で眺めつつ僕は別のことを思っていた。この日セミファイナルに出た若きフェザー級、洲鎌栄一のように、勇敢に闘い続けていくであろうボクサー達を、これからも応援していこう、と。

人の思いは様々である。
そしてこれほど多くの思いを引き寄せて闘えるボクサーは、二度と出ないとは言わないが滅多には出ないだろう。
その様々な思いの中心に、いつも辰吉がいた。
ありがとう辰吉。あなたは偉大だった。



==================




それほど頻繁に観戦に出かけられたわけではない時期だったこともありますが、色々と思い出のある観戦でした。

かなりの出費をしてリングサイドの席を取りました。5列目か6列目くらいでした。
アンダーに全日本新人王、洲鎌栄一の試合があって、その前だったか後だったか...試合の合間に、急に周りが騒々しくなりました。
どうしたんだろう、と思って周りを見、振り返ると、私の斜め後方に松本人志さんが着席していました。

笑顔は一切無く、思い詰めたような表情でした。それこそ一声も発せず、黙りこくっていました。
隣にはマネージャーらしき男性が一人だけ、付き添っていました。
何人かの観客が、サインや握手を求めてやってきましたが、マネージャー氏が「ひとりにすると際限なくなるので、お断りさせていただいてるんです。すみません」と丁重に断っていました。


そういえば、辰吉と親交があるという話だったなあ、忙しいやろうに、わざわざ大阪まで...と思って、前に向き直り、そのまましばらくアンダーの試合を見ていたのだったか、次の試合開始を待っていたのだったか...突然、私の肩越しに、後方から何か物が飛んできて、顔をかすめて足元に落ちました。
なんだと思って見ると、固く絞った小さいタオル状の布。いわゆる「おしぼり」でした。

振り返ると、後方の通路で、何人かの男女が、松本さんにカメラを向けて、笑いながら写真を撮っていました。
松本さんも一瞬、驚いて振り返ったのでしょう。そこを狙って写真を撮るために、おしぼりを松本さんに向けて投げつけたら、僅かに逸れて、光栄なことに、それが私に当たった、というわけでした。

世の中には、何とも独創的な発想の持ち主がいるものだ、と呆れかえっていると、松本さんが申し訳なさそうに、私に小声で「すみません」と詫びました。
同席していたマネージャー氏も「すみません、ご迷惑を...」と詫びるので「いえ、そちらは何もしていないんですから」と笑って返しました。

まあ、世の中には色んな人がいてはるわ、という話です。


そうこうするうちに、メインイベントが始まり、改めて書くまでも無く、目を覆いたくなるような辰吉の劣勢が続きました。
我々の席は、バックスクリーンを背にする位置だったので、ラウンドの合間に映るスロー映像を見るため、何度か、インターバル中に後ろを振り返りました。

するとその度、松本さんの姿が目に入りました。
両手で頭を抱え、文字通り、二つに折った身体を震わせていました。


ああ、この人はホンマに辰吉のことが好きなんやなあ。
有名人同士の、通り一遍の関わりではなくて、ホンマの友達なんや。

辰吉丈一郎が体現するものに、心底から惹かれ、それ故に、それが打ち砕かれる光景を見て、冷静でなどいられない。
その気持ちが、痛いほど伝わってきました。よくわかる、という気持ちでもありました。


試合が終わったあとの様子は、記事にも少しだけ書いたとおりです。
リングサイドは喧噪に包まれていました。
それから逃れるように、松本さんはマネージャー氏に促され、試合終了後、即座に席を立ちました。

辰吉丈一郎のボクシングそのものに魅了された者も、その個性に惹かれた者も、友人関係を築いた者も、「闘い」の苛烈さの前には、ただ平等に無力である。
それを目の当たりにした、数多の思いを、心を、私はあのとき、その内の一人として、見ていたのだと思います。


しばらく経って、帰路に着きました。
辰吉丈一郎がどうやってリングを去ったか、つい先刻、見たばかりのはずの、その後ろ姿を思いだすことが出来ませんでした。
今も、何故か記憶に残っていません。不思議です。




コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夢は形を変えてゆく | トップ | ミドル級戦再延期、観客はや... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (NB)
2020-05-28 19:26:41
松本人志の命を守った男!格好良いです(笑)。でも松本さん、同志って感じで好きですね。

ウィラポンⅡに関しては録画したものもほとんど見ず、戦前からも拳闘としての楽しみではなく、辰吉の生きざま、ケジメを見届けなければ、みたいな感じでした。ですが、やっぱり勝たせてほしい、的な願いを抱いておりました。

辰吉選手ほど華ある全盛から、普通なら間違いなく引退し人には晒さない域の姿まで見せたボクサー、いやスポーツ選手はいないでしょうね。…キングカズさんも同類でしょうか(笑)。
生涯現役、職人気質って言いますか、何をやってもこうだったのかと。でもボクサーしてもらって良かった、と凄い思います。楽しませてもらいました。
ボクシング、相手の良さを打ち消しながら、自分のペースにもっていく所を、辰吉ボクシングは相手の良さを、わざ、わざ、引き出して、その上をいこうとしているのでは…と、考えたりします(笑)。まぁ、面白くはなりますよね。

質問ですが、ウィラポンⅠでは入院されてたようですが、勿論観戦予定だったのですか?戦前からも見るからに辰吉には危険な匂いプンプンでしたからねウィラポン。
序盤、ウィラポンは制御するとはいえ、この日の辰吉かなり調子良かったように見えるんですよね、やがて全て見切られる事になりますが…。シリモンコン戦の感触が更に厳しい現実になったような。結果は変わらなかったでしょうが。
返信する
コメントありがとうございます。 (さうぽん)
2020-05-30 18:20:55
>NBさん

いや、座っとったらおしぼりぶつけられただけなんですが(笑)
そういえば私もあの試合、なかなか録画したビデオ見ようという気になれませんでしたねー。もう、試合としてどうとうかいう次元で見てなかったんでしょうね。
辰吉という人間の個性は、確かに他人が容易に御せるものではなかったと思います。しかしそれは、例えばデュランやアルゲリョのような人であっても同じ事で、彼らが十全にその才能を発揮出来たのとは違う何かが、辰吉の周囲にはあったのだ、と思っています。勝負に対する考え方も、自己顕示欲と戦略が矛盾無く成り立つ道は絶対にあったはずです。しかるに...というところですね。
ウィラポンとの初戦は、観戦はしたいと思っていたんですが、年末の多忙な時期で、今ほど生活に余裕もなく、観戦予定は立ててませんでした。どっちにしても病気で倒れたんで、駄目だったんですが。


返信する

コメントを投稿

辰吉丈一郎」カテゴリの最新記事