■映画「デリシャスパーティ♡プリキュア 夢見るお子さまランチ」感想
(「デリシャスパーティ♡プリキュア」第28話OPより)
おばあちゃんが言っていた「今日のご飯が明日の自分を作る」、そこから出てくる課題が二つ。
・負の要素を取り込んだなら、明日はないのか
・そもそもの「明日」に希望はあるのか
特に後者は歴代プリキュアの根底テーマとも言えます。
今作は珍しく「過去」に比重があるシリーズだと感じていたのですけど、ここにきて「未来」が壁になってきた。
昔は良かった。でも今はそれが壊れていて、未来は破綻している。
10周年(シリーズとしては11作目)の「ハピネスチャージ」では、最初の「ふたりはプリキュア」を見ていた視聴者が中高生になったことを背景に、「現実は、あのキラキラした世界とは違った」が描かれました。
15周年の「ハグプリ」では、いよいよ破綻した未来が眼前に迫った。小さな子供も社会人になり、今までとは桁違いの理不尽に晒された。
デパプリは19年目。15年の節目からカウントするなら4年。5歳でプリキュアを見始めた子供が9歳。あるいは社会人4年生。
無邪気にお子様ランチを楽しんでいたのを卒業し、お子様ランチの無邪気さに恥ずかしさを覚える年齢です。
早く大きくなりたい。だけど、未来に希望はあるのか。
ケットシーのミスは、「子供も戦っている」の見落としのように思えます。
無邪気(≒理想)と現実は共存する。もともと彼を救ったのも、幼少のみぎりの和実さんです。
コメコメはまだ子供で、漠然と思い描く「ヒーロー像」は現実の問題を正しくとらえてはいないのかもしれない。でも確かにコメコメも戦っており、彼女もヒーローです。
というか、プリキュアさん自体がそうですね。子供・大人判定で「△」が出ていたように、彼女たちも境界線上にいる。
大人と子供でバッサリ世界が分かれるのではなく、地続きでどちらの要素も混在しています。大人がお子様ランチ(理想)に夢見てもいい、子供だってヒーローとして(現実を)戦える。
良いも悪いもひっくるめて、今日食べたものが明日の自分を作る。それを延々と繰り返して、やがては大人になる。
そしてそれらは地続きで、ある日を境に分断されるものではない。
19年目(最初期の視聴者が20代後半)のイメージとも通じます。
10周年の中学・高校入学や、15周年の学校卒業・新社会人と比べて、制度や環境面での変化は少ない。
今回の映画はいわゆる「悪の大ボス」が出てこなかった(ケットシーに既に倒されている)こともあり、何か激動の展開というより、夢を見ているような「ある一日の物語」の感じを受けました。その一日の中で、成長したり童心に戻ったりする。
一つのプレートに様々な美味しい物が並ぶお子様ランチのように、私たちの人生も様々なものが共存しています。
同時に、様々な問題も溢れているけれど、とりあえず目の前のごはんを食べれば笑顔になれるんです。
「お子様ランチ」は、子供の無邪気さとも人生ともプリキュアシリーズとも色々と置き換えられるので、見返せば見返した分だけ感想が出てきそうな気がする。
【その他感想】
・シリーズ初、「黒幕は既に壊滅していた」。
ケットシーが所属していた謎の組織の野望は、プリキュアさん達が知らぬ間に潰えていました。
クッキングダムは何やってるんですかね…。デリシャストーンの管理が甘すぎる。
・シリーズ初、「民間企業の警備員相手にプリキュアで応戦」。
ドリーミアへの不法侵入は、あの時点ではマリちゃん側に非がある。和実さん達も真相を知っての変身ではない。
警備員さんが(この時点では正当だと認識される理由で)掴みかかってきたのをプリキュアで殴り返した…というのは何気に思い切ってる。
それとも薄々「これ、さすがに発明の一言で済ませられないな」と思っており、警戒してたのかしら。
・セクレトルーさんが前線に!そういうの全然しない人だと思ってたのに!
銀幕と聞いて張り切ったのかもしれない。
・和実さんを助けたブラぺ。「君とは初対面のはずだが?」とか大分ノリノリです。
こういうのをずっとやりたかったんだろうな。
・ドリーミアの警備員さんは、初戦の描写からするとアンチプリキュア的機能がついてるんだろうか。その後の戦闘では関係なかったけど。
デリシャストーン由来なんだから、対プリキュアの何かがあってもおかしくはなさそう。
・過去3作の皆様による「みんなのお子さまランチ」も、無理やりなカオスのようでいて「様々な要素が一つの枠に共存している」「それを誰かに伝える」の面でちゃんと本編に沿ってますね。
ところで夏海・花寺・星奈の3名だと、夏海さんが一番料理が得意なのかしら。花寺さんは何か謎パワーでごまかしていらっしゃったし、星奈さんに至っては市販品を並べて皿を殴っただけだものな…。久々に星奈さんを見ましたけど、改めてキラやばい。
(「デリシャスパーティ♡プリキュア」第28話OPより)
おばあちゃんが言っていた「今日のご飯が明日の自分を作る」、そこから出てくる課題が二つ。
・負の要素を取り込んだなら、明日はないのか
・そもそもの「明日」に希望はあるのか
特に後者は歴代プリキュアの根底テーマとも言えます。
今作は珍しく「過去」に比重があるシリーズだと感じていたのですけど、ここにきて「未来」が壁になってきた。
昔は良かった。でも今はそれが壊れていて、未来は破綻している。
10周年(シリーズとしては11作目)の「ハピネスチャージ」では、最初の「ふたりはプリキュア」を見ていた視聴者が中高生になったことを背景に、「現実は、あのキラキラした世界とは違った」が描かれました。
15周年の「ハグプリ」では、いよいよ破綻した未来が眼前に迫った。小さな子供も社会人になり、今までとは桁違いの理不尽に晒された。
デパプリは19年目。15年の節目からカウントするなら4年。5歳でプリキュアを見始めた子供が9歳。あるいは社会人4年生。
無邪気にお子様ランチを楽しんでいたのを卒業し、お子様ランチの無邪気さに恥ずかしさを覚える年齢です。
早く大きくなりたい。だけど、未来に希望はあるのか。
ケットシーのミスは、「子供も戦っている」の見落としのように思えます。
無邪気(≒理想)と現実は共存する。もともと彼を救ったのも、幼少のみぎりの和実さんです。
コメコメはまだ子供で、漠然と思い描く「ヒーロー像」は現実の問題を正しくとらえてはいないのかもしれない。でも確かにコメコメも戦っており、彼女もヒーローです。
というか、プリキュアさん自体がそうですね。子供・大人判定で「△」が出ていたように、彼女たちも境界線上にいる。
大人と子供でバッサリ世界が分かれるのではなく、地続きでどちらの要素も混在しています。大人がお子様ランチ(理想)に夢見てもいい、子供だってヒーローとして(現実を)戦える。
良いも悪いもひっくるめて、今日食べたものが明日の自分を作る。それを延々と繰り返して、やがては大人になる。
そしてそれらは地続きで、ある日を境に分断されるものではない。
19年目(最初期の視聴者が20代後半)のイメージとも通じます。
10周年の中学・高校入学や、15周年の学校卒業・新社会人と比べて、制度や環境面での変化は少ない。
今回の映画はいわゆる「悪の大ボス」が出てこなかった(ケットシーに既に倒されている)こともあり、何か激動の展開というより、夢を見ているような「ある一日の物語」の感じを受けました。その一日の中で、成長したり童心に戻ったりする。
一つのプレートに様々な美味しい物が並ぶお子様ランチのように、私たちの人生も様々なものが共存しています。
同時に、様々な問題も溢れているけれど、とりあえず目の前のごはんを食べれば笑顔になれるんです。
「お子様ランチ」は、子供の無邪気さとも人生ともプリキュアシリーズとも色々と置き換えられるので、見返せば見返した分だけ感想が出てきそうな気がする。
【その他感想】
・シリーズ初、「黒幕は既に壊滅していた」。
ケットシーが所属していた謎の組織の野望は、プリキュアさん達が知らぬ間に潰えていました。
クッキングダムは何やってるんですかね…。デリシャストーンの管理が甘すぎる。
・シリーズ初、「民間企業の警備員相手にプリキュアで応戦」。
ドリーミアへの不法侵入は、あの時点ではマリちゃん側に非がある。和実さん達も真相を知っての変身ではない。
警備員さんが(この時点では正当だと認識される理由で)掴みかかってきたのをプリキュアで殴り返した…というのは何気に思い切ってる。
それとも薄々「これ、さすがに発明の一言で済ませられないな」と思っており、警戒してたのかしら。
・セクレトルーさんが前線に!そういうの全然しない人だと思ってたのに!
銀幕と聞いて張り切ったのかもしれない。
・和実さんを助けたブラぺ。「君とは初対面のはずだが?」とか大分ノリノリです。
こういうのをずっとやりたかったんだろうな。
・ドリーミアの警備員さんは、初戦の描写からするとアンチプリキュア的機能がついてるんだろうか。その後の戦闘では関係なかったけど。
デリシャストーン由来なんだから、対プリキュアの何かがあってもおかしくはなさそう。
・過去3作の皆様による「みんなのお子さまランチ」も、無理やりなカオスのようでいて「様々な要素が一つの枠に共存している」「それを誰かに伝える」の面でちゃんと本編に沿ってますね。
ところで夏海・花寺・星奈の3名だと、夏海さんが一番料理が得意なのかしら。花寺さんは何か謎パワーでごまかしていらっしゃったし、星奈さんに至っては市販品を並べて皿を殴っただけだものな…。久々に星奈さんを見ましたけど、改めてキラやばい。