非国民通信

ノーモア・コイズミ

本当に量刑は軽いのか

2010-03-07 22:57:31 | ニュース

「性犯罪の量刑軽過ぎ」強盗強姦未遂に懲役7年(読売新聞)

 窃盗目的で侵入した民家で17歳の少女に乱暴しようとしたとして強盗強姦未遂罪などに問われた大阪市港区の無職・池田宏被告(41)の裁判員裁判の判決が5日、大阪地裁であり、杉田宗久裁判長は「これまで性犯罪の量刑は軽きに過ぎた。裁判員裁判が始まったのを機に一般市民の健全な処罰感覚で検討し直す必要がある」と述べ、求刑通り懲役7年の実刑を言い渡した。

 判決理由で杉田裁判長は「凶器を使っておらず、性犯罪の前科がないなどの要素から見れば法定刑の下限(懲役7年)を下回る量刑が相当」としたうえで「(性犯罪の量刑が軽すぎたという)基本的視点に立って考えた場合、求刑が妥当と判断した」と述べた。

 判決後、裁判員の女性2人と補充裁判員の男性1人が地裁内で記者会見し、女性の一人は「裁判員だからこそ出た判決」と話した。

 裁判員裁判で「刑が軽すぎる」とのコメントが出るのはもう慣例と言いますかお約束のようになりつつありますが、今回は裁判員ではなく裁判長の発言でした。俗説によりますと「ペッパーランチ心斎橋店女性客拉致監禁強姦強盗事件で、元店長の求刑10年に対して懲役12年」、「女性5人が被害にあった強姦と強姦未遂の事件で、検察側の懲役12年に対して、懲役14年」などの実績があるようで、まぁ性犯罪には検察の要求するところを超えた重い罰を下したがる人なのかも知れません。この人にとって裁判員裁判は渡りに船だったのでしょう。

 裁判員制度を性犯罪の場合にも用いるべきかについて、当初はそれなりの論議がありました。被告側のプライバシー保護の観点からすれば裁判員裁判の対象から外すべきではないかという意見もあったわけです。ただ今回の裁判員も「裁判員だからこそ出た判決」と語るように、裁判員裁判になれば被告への刑は重くなる傾向にあります。そこで被害者が厳罰を望んでいた場合、裁判員裁判の方が望み通りの判決に近づくわけです。結局、性犯罪だろうがお構いなしに裁判員裁判が行われていますけれど、被害者はどっちを望んでいるのでしょうね。(参考、やっぱり厳罰化の方向

 何はともあれ、今回は求刑通りの判決が言い渡されました。そこで裁判長曰く「これまで性犯罪の量刑は軽きに過ぎた。裁判員裁判が始まったのを機に一般市民の健全な処罰感覚で検討し直す必要がある」、「(性犯罪の量刑が軽すぎたという)基本的視点に立って考えた」と。う~ん、この辺はどう見るべきでしょうか、「それはおまえの価値観に過ぎないだろうが!」と突っ込みたくなる部分がないでもありません。まぁ人それぞれ、重すぎると思う人もいれば軽すぎると思う人もいるでしょう、その辺の価値観は否定しませんけれど、その価値観を判決に影響させる上では、異なる価値観を持つ相手にも妥当な判断であることを客観的に示せるだけの何かが求められるはずです。

 しかるにこの裁判長が要点として持ち出してきたのは「一般市民の健全な処罰感覚」「(性犯罪の量刑が軽すぎたという)基本的視点」です(もしかしたら記事に載らない部分でもう少し説得力のあることも述べていたのかも知れませんが)。これは典拠たり得るのでしょうか? 今回のケースでは裁判官と居合わせた裁判員の「感覚」「基本的視点」が一致した、だから合意は形成できていると言えるのかも知れません。ただ、「一般市民の健全な差別感覚」「ユダヤ人は抹殺しても構わないという)基本的視点」だったらどうでしょう。こういう代物でも裁く立場の人間と国民の間とで合意が形成されることもあります。それでも市民の健全な感覚と合致しているからと、ユダヤ人を収容所に送るべしとの判決を下したとしたら……

 「性犯罪の量刑が軽すぎた」、確かに今回の裁判長はそう思っている、居合わせた裁判員もそう思っている、そして国民の多数もそう思っているのかも知れません。しかし、誰もが「太陽が地球の周りを回っている」と思っていた時代にも、地球が太陽の周りを回っていたわけです。いったい何を根拠に「性犯罪の量刑が軽すぎた」と言うのでしょうか。周りが皆そう思っているから、「性犯罪の量刑が軽すぎた」と言えば何の疑問もなく受け入れられる、異論は出てこない、しかしこれが裁判官に相応しい態度であるとは考えられません。

 そして「一般市民の健全な処罰感覚」とも言いますが、何を持って健全と呼ぶのでしょうか? それは不健全であるかも知れないはずです。市民の多数派の意見であれば、すなわち健全であると断定して良いのでしょうか? 「一般市民の感覚」が健全と言うからには、その対照的な立場におかれているであろう「専門家の感覚」や従来の法律は不健全なのでしょうか? そうであるならもはや司法などいりませんね。裁判官と裁判員が話し合って、被告が嫌な奴なら厳刑、逆に被害者側が感じの良い人間でなければ刑は軽いものに、それで済みそうなものです。

 この裁判長の様に、もっと刑を重くしたいとする立場の人間からすれば、「裁判員裁判が始まったのを機に一般市民の健全な処罰感覚で検討し直す必要がある」ということになるのでしょう。ただ私には、あまりにも無批判に称揚されている「一般市民」の感覚とやらが本当に健全なものなのかどうか、まずそこを検討する必要があるように思えます。そして一般市民の感覚が不健全でヒステリックなものであるとなれば、その市民感覚を廃して厳正に裁く方向へとシフトする必要が出てくるでしょう。その辺の検証を抜きにして、一般市民が一般市民であることを理由に「健全」と定義するのなら、それこそ野蛮と言えます。

 

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13 コメント

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専門家でない市民の感覚はいつも正しい? (moon)
2010-03-08 00:56:31
> 「凶器を使っておらず、性犯罪の前科がないなどの要素から見れば法定刑の下限(懲役7年)を下回る量刑が相当」としたうえで「(性犯罪の量刑が軽すぎたという)基本的視点に立って考えた場合、求刑が妥当と判断した」

 「凶器・前科の情状酌量により7年を下回る量刑が相当」と言いながら、未遂による減刑も行わずに「懲役7年」とした理由は、「これまでの量刑が軽すぎた。」と言う。
 これは、「自身の行為によって被告が負うべき責任は懲役7年を下回る程度であるが、過去の裁判官が誤っていた責任を被告に負わせる。」ということ?
 やっぱり、裁判員裁判って怖い・・・。
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Unknown (非国民通信管理人)
2010-03-08 18:53:29
>moonさん

 裁判員裁判で厳罰への理解を得やすい状況だからと、相場より重い刑を下した感じですね。本来であれば減刑しない理由も求められるのでしょうけれど、裁判員裁判の元では「皆(一般市民)が『これまでの量刑が軽すぎた』思っているから」で済まされてしまうのかも知れません。感情で裁かれてしまうんですね……
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ぼくらはみんな罰したい? (金魚草)
2010-03-08 18:58:35
この手の話を聞く度「ヴォイス」というドラマの最終回(女子高生レイプされる→親がバッシングを恐れて告訴取り下げ→自殺→親友が正当防衛に見せかけ仇討ち殺人→主人公達が真相解明→親友は理事長の親族だったので教授は地方に飛ばされる)を思い出し嫌な気持ちになります。
本当に市民の処罰感覚が健全なものであるのなら被害者がそれこそ加害者並み、あるいはそれ以上の(性犯罪でなくとも)バッシングを受けるなんてありえないはずなのに。
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一方で (人格破綻者)
2010-03-08 20:03:11
はじめまして、非国民通信管理人さん。いつも拝読させてもらっています。

このような酷い裁判の一方で、このようなことが公然と行われています。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090718/trl0907180736003-n1.htm

一体何なんでしょう?「裁判員裁判」とは、手足をもがれた弱者と成り果てた復讐される危険のない水に落ちた犬を棒で殴りつけるリンチ制度・大衆の欲求不満を加虐行為で満足させるシステムだということを、検察が認めている。

「署名運動のつもりで」光市事件弁護団に懲戒請求を出した連中こそ、組織本体が残存している広域暴力団構成員や華僑系マフィアの凶悪犯罪について最優先で裁判員にするべきです!

(もちろん私は裁判員制度違憲論者・廃止論者です。上のパラグラフはあくまで極論的主張と解されたい。)
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Unknown (非国民通信管理人)
2010-03-08 21:58:17
>金魚草さん

 そのドラマは見たことがありませんが、まぁどうなんでしょうね。結局、司法を通じてどうこうと言うよりも復讐的な、より私刑的な考え方が一般化しているのかも知れません。冷静に裁くことを世論が許さないところもありそうです。

>人格破綻者さん

 ある意味で「弱い」被告を一方的に裁くことには乗り気でも、被告が暴力団員となると及び腰なんですね。確かに裁判員を守るという側面はあるにせよ、じゃぁ反撃される恐れのない相手なら構わないのかと、そう考えてみないと行けないでしょうし。自分は安全なところから「刑が軽すぎる」などと口にする、その軽々しさにも自覚が求められますね。
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Unknown (sage)
2010-03-08 23:36:03
最近の、マスコミの報道・警察及び検察の捜査・そして裁判の有り様が“真実・事実を明らかにする”から“いかに一般人の溜飲を下げさせるか”にシフトしつつあるような気がします。


溜飲が下げられるならば、被告人が真犯人である必要も無いですね。
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Unknown (バサラ)
2010-03-08 23:40:33
ごめんなさい。
先の投稿、無記名でした。
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Unknown (非国民通信管理人)
2010-03-09 14:30:17
>バサラさん

 それ以前に、政治がそうなっている気もします。安倍晋三と拉致問題の関係など最も顕著ですが、問題解決よりも国民の「溜飲を下げる」ことが重視されている、民主党/ポピュリズム系首長と官僚/公務員の関係などもその類ですね。
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Unknown (nanami)
2010-03-10 21:58:20
そもそも性犯罪は、犯罪として扱われてさえいない事例が圧倒的に多いのですが。実際は泣き寝入りが殆どですよ。
それを考えれば、軽すぎると判断するのは当然の事でしょう。
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Unknown (非国民通信管理人)
2010-03-10 22:07:42
>nanamiさん

 それまた大したトンデモ理論ですね。

犯罪として扱われてさえいない事例が圧倒的に多い
→(犯罪として扱われた場合の刑が)軽すぎると判断するのは当然の事

 これを他の事例に適用するなら、例えば「駅構内のコンセントで勝手に携帯を充電する」などは犯罪として扱われないケースが圧倒的に多いですが、これも刑が軽すぎると判断するのが当然ということになりますね。こいつはビックリ。

 個人的な価値観に基づいて刑が軽い、重いと言い張るのは勝手ですが、本文でも書いたように、それはあなたの頭の中でしか通用しない「好き嫌い」に過ぎないことを自覚なさい。
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