非国民通信

ノーモア・コイズミ

そして対価は支払われない

2012-06-21 23:06:29 | 雇用・経済

ありがとうを求める 渡邉氏が講演(琉球新報)

 会員制の講演会組織「琉球フォーラム」(主宰・富田詢一琉球新報社長)6月例会が13日、那覇市のホテルロイヤルオリオンであり、ワタミグループ創業者の渡邉美樹氏が「夢をカタチに~新たなる挑戦」と題し講演した。

 外食、介護、宅配事業、農業などさまざまな分野での経営経験を紹介し、「お金のために仕事をする。冗談じゃない。仕事は生きることそのもの」と強調した。

  渡邉氏は「居酒屋でも店はきれいにし、サービスを充実させる。介護でも温かい食事を提供し、毎日入浴してもらう」と話し、「きれい事に聞こえるかもしれないが、利益を求めず、ただお客さまのありがとうを求めたら、お金の上にありがとうを載せたお客さまが集まってくれた」と語った。

 

 日本的採用を象徴するのがユニクロなら、日本的な職業との関わり方、仕事観を象徴するのが、このワタミと言うべきでしょうか。つくづく、日本は資本主義じゃないなと感じさせられます。日本において会社と社員の関係は契約に基づいた雇用関係ではなく、道徳的な主従関係と見た方が適切なのかも知れません。雇用主と従業員が単なるビジネス上の関係であることは許されず、常に道義的な面での一体化が求められる、それが日本の因習として我々の社会に浸透しているように思います。

 例えば東京電力の場合のように、企業が何らかの問題を起こした場合、日本では末端の従業員までもが道義的責任を問われるわけです。末端の従業員が、個人として担当する範囲での職責を果たし、その仕事において何の瑕疵がなかろうとも、それで済まされないのが日本的な仕事観と言えます。「自分は自分の仕事をやった、後は会社の問題」と会社と個人を切り離すことが許されない、会社の一員である以上は責任を負うべきと迫られるのが日本式なのです。この辺は、有給や育休などの権利行使においても顕著で、例えば有給/育休を取得した後の仕事の穴埋めをどうするのかを問われたときに、「それは会社が考えること」みたいな態度は日本の職場では許されません。むしろ会社の一部として自分が休んでも会社が回るように責任を持つことが求められる、それが日本の一般的な職場風景ではないでしょうか。

 取るに足らない公務員叩きの一つに、「公務員が職業ではなく身分になっている」云々という類があります。しかし、日本独特の用語である社会人とはまさしく職業ではなく身分そのものと化している、「職業ではなく身分」という考え方こそ「民間では当たり前」なのが日本社会の現状であるはずです。「お金のために仕事をする。冗談じゃない。仕事は生きることそのもの」とのワタミの社長の言葉はまさに、それを象徴しています。「仕事」が「お金のため」ではなく「生きることそのもの」であるなら、それが身分でなくてなんだというのでしょう。資本主義社会における職業であるなら、まずはお金を得るための手段であるはず、しかるに日本的なるものを象徴するワタミにおいては仕事が「生きることそのもの」だというのですから。

 しかしまぁ冒頭で紹介された「会員制の講演会組織」って、どういう人をターゲットにしているのでしょうね。陸前高田では時給645円で労働者を買い叩いていたワタミです。1円単位ですら最低賃金ギリギリまで人件費を絞り上げるワタミにとって、より最低賃金の低い沖縄は魅力的に映るものなのでしょうか。ただ、人間の値段の安さを当て込んだ企業が沖縄に進出することで沖縄県民が安価なサービスを利用できるようになることはあっても、沖縄で働く人が経済的に豊かになれることはないわけです。それでも満足できる、地域の企業が元気で、地域の住民が安価なサービスを利用できれば100点満点だと、労働者のことをすっかり忘れ去っている人だったりすると、このワタミの社長の言葉をありがたく思ったりするのかも知れません。

 でも、その労働者の存在を黙殺する、経営者と消費者の視点しか存在しないのもまた日本的と言えます。ただし本当にワタミの社長や安価なサービスの利用者が感謝すべきは、その両者の間で割を食っている人たちにでしょう。低い賃金で長時間働いてくれる人の存在なくしてワタミは成り立つのか、その点こそ考えられなければなりません。しかし、そうした従業員に無理を強いる構造的な欠陥を「ありがとうを求める」との美辞麗句でごまかしているわけです。結局のところ道徳本意で資本主義の段階に足を踏み入れることができていない日本社会では「金のため」というのは「悪」であり、「金ではなく、別のもの」を求めることが「善」になってしまう、そうした価値観がワタミ的なものを正当化しているようにも思います。

 

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参考、ワタミ関連エントリ

競争しないワタミ

幸せなおつむ

ワタミの社長は何を偽っているのか


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11 コメント

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自殺者を出した経営者が (nobu)
2012-06-22 08:11:54
「お金のために仕事をする。冗談じゃない。仕事は生きることそのもの」って何かの冗談ですか?

「居酒屋でも店はきれいにし、サービスを充実させる。介護でも温かい食事を提供し、毎日入浴してもらう」たしかにこれらのことを提供するのは従業員の仕事でしょう。でその従業員に十分な休暇と賃金を提供するのが渡邉さんの仕事だと思うのですが、渡邉さんはちゃんとは働いてなさそうですね。
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Unknown ()
2012-06-22 12:51:01
ワタミなどのこの手の発言は単純に本心を言っているだけなのか、それとも騙しのテクニックとして使っているのか迷うことがあります。ワタミの発言って、言ってみればロクに講義ノートも作らず教えるのが下手で生徒から不評を買っている教師が生徒達に対して「下手な教師だからといって不平を言うのではなく、それを克服せんと一生懸命勉強するという心を持つことが大事だ」と説教してるようなものだと思うのです。でもこれって教師が言うとただの責任転嫁でしかないのですよね。

雇用主と従業員の関係にしろ、教師と生徒の関係にしろ、全てではないにしても少なからずゼロ和的な要素を含んでいるため、一方が自分の得るべき利益を無理に遠慮して押し下げた場合、もう一方がその分だけ得をすることになることも多いわけです。雇用主と従業員であれば、従業員側の「給料分は働く」という責務と雇用主側の「働いた分はきちんと払う」という責務の両者のバランスが維持されるべきですが、従業員側が「給料以上に働く」という方向に動くと雇用側はその分だけ「働いた分より少なく払っていい」ことになってしまうのですよね。

もっともこれを雇用主側が「働いた分の給料なんて払う気ない」とストレートに言うと反発もあるでしょうが、あたかも従業員側のリーダーに立ったかのような立場を装って「働くなら給料以上に働こうという意志が必要だ。給料分だけ働けばいい、働いた分だけは給料をくれ、という志では成長できない」などと主張し、相手の立場を押し下げることでシーソーの原理で自分達の立場をより優位にしようとする、この手のやり口が蔓延しているように思います。これって詐欺的話術の一種だと思うのですが、これにコロッと騙される人が多いのですよね。しかもワタミのケースだと、「お客様」なる存在を持ち出せるからさらに騙しの技術が磨かれていると言いましょうか。

雇用主が雇用主としての責務ではなく、別の立場の視点でだけ語ろうとしてるようなとき、そこに一種の詐術が入り込んでいることはもっといろんな人が意識すべきでしょうね。(http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120612/biz12061203170002-n1.htm この社長が雇用主としての責務、雇用主としてどうあるべきかを語っているのと比べると実に対照的です)
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Unknown (takeshi)
2012-06-22 20:42:26
日本って契約の概念が希薄ですからね。ドライな関係が認められない。
将棋の羽生さんも言っていましたがこの日本人の道徳的な事を過度に尊重する風潮は理解できませんね。
実は最近日本で働いている外国人の女の子と話していてしきりに言われたのは
「なんで日本は職務記述書 (・責任・権限の範囲・具体的な仕事内容・期待される結果・必要とされる知識・技術、能力資格、他要件
等職務内容が詳細に記載されている契約書) がないの?」という事です。
これワタミの社長が外国人に聞かれたらどう答えるんでしょうね。
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Unknown (非国民通信管理人)
2012-06-22 23:11:28
>nobuさん

 従業員や部外者がとかく経営目線になりがちな一方で、肝心の経営者が自分の責任を果たせていないケースは少なくないでしょうね。ワタミもまたその典型で、社員の労働環境を整え、社員の仕事の対価を払うという、その本業ができていないですから。

>毛さん

 そう言えば政治でも、他人(官僚なり電力会社なり府や市の職員なり)を咎めばかりで自分が最高責任者であることを自覚していない、世論と一緒になって悪者探しに明け暮れている人が多いですよね。社員の生活を預かる責任を負うと言うより、「従業員側のリーダーに立ったかのような立場を装っ」た感じの態度を見せるような経営者が世間の脚光を浴びがちなのは、こうした世情を反映しているところもあるでしょうか。

>takeshiさん

 仕事は仕事、と言う割り切りが認められないんですよね。日本の場合はまさに仕事=人生が当たり前になっていて、それは日本の「外」で育った人には通用しないもののはずですが、でも日本人従業員の献身ぶりに甘やかされて、人を働かせるってのは本当は簡単なものじゃないと言うことが忘れられがちなのかも知れません。
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仕事はお金のためです。 (davs)
2012-06-23 08:31:58
学生時代、某教育系出版社主催の模試採点のアルバイトの採用面接で、他の応募者が、応募理由をきかれ、口々に
「御社には高校生(中学生)の時にお世話になったから、恩返しです」
と言うのを聞き、それなら、給料もらうなよ、とあ然としたことを思い出しました。
私は、
「お金がいるからです」
と答えて、面接官からあ然とした目で見られました。
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Unknown (非国民通信管理人)
2012-06-23 23:06:46
>davsさん

 仕事はお金のためという当たり前の話が通用しない、それが日本という孤高のガラパゴス社会なのでしょうね。日本の経営がグローバル化の中で立ち後れるのも当然といった感じですが、それでも日本流を反省せず、頓珍漢な改革を掲げ続ける、そろそろ方向性の誤りに日本の政財界も気づいて欲しいところです。
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Unknown (Dursan)
2012-06-24 12:59:08
客、クライアントと相対する時の主体が
欧米と日本とだと全く違う気がするんですよね。

単純な「I」と「We」の違いじゃないんでうまく言えないですけど
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Unknown (非国民通信管理人)
2012-06-24 14:54:16
>Dursanさん

 その辺はあるような気もしますが、具体的に示すのも難しいところですね。裏表なく儲けのためか、道徳的な理由を装ってかで、色々と違いは出てくるのでしょうけれど。
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日本での仕事は (昼行灯)
2012-06-29 20:46:41
いわゆる社会的信用創造ツールなのです。
対価を求めなければより信用が増します。
日本人ほど他者からの信用に固執する民族はいませんよ。
他民族だと同情するなら金じゃないけど
信用するなら対価くれ、くらいは普通に要求されます。
これは他者を信用できない社会にならないと変わらないと思いますよ。
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Unknown (非国民通信管理人)
2012-06-29 23:04:26
>昼行灯さん

 まぁ仕事(職業)次第で社会的な信用、と言うより地位すらもが定まるところはありますね。もっとも日本「以外」が信用を重視していないかと言えば、それは別の話であるようにも思いますが。どちらかと言えば日本的な「信用」は、「信用できない」人を排除する基準として機能しているフシもありますし。
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