「幸福度」の指標化立ち消え 途上国が反対 リオ+20(朝日新聞)
ブラジル・リオデジャネイロで20日開幕した「国連持続可能な開発会議」(リオ+20)で採択される宣言(成果文書)から、日本やブータンなどが提案した「幸福度」指標に関する内容が削られた。「経済成長の制約になりかねない」と警戒する途上国が反対したという。
幸福度は国内総生産(GDP)に代わる豊かさの物差しとして注目される。ブータンが独自指標を導入しているほか、日本や経済協力開発機構(OECD)なども開発に乗り出している。
政治宣言の原案では「幸福の程度を測る手段としてのGDPの限界を認識し、GDPを補完する指標の開発に合意する」との内容が盛り込まれていた。その後先進国と途上国との対立が先鋭化。幸福度についても「GDPは引き続き大事な要素」とする途上国グループが反対、「幸福の程度を測る手段としてのGDPの限界を認識する」との表現は削除された。
さて、ブータンという特異な国の国王夫妻が来日したことにも気をよくしてか、元より精神的な満足感ばかりを重視して経済合理性を蔑ろにしがちな我らが日本政府は国際会議で「幸福度」指標を提案していたわけです。原発事故後に勢いを強めた文明論的な風潮に背中を押されたところもあるでしょうか。そして私には至極当然の反応と思われますが、途上国からの反対に遭って立ち消えとなったことが伝えられています。提案した側――我らが日本ですけれど――は、この結果を予測できなかったのでしょうかね。本気で「幸福度」指標化が歓迎されると考えていたとすれば、それは思い上がりにもほどがあるというものです。
とかく精神的な豊かさを称揚するばかりで、経済的/物質的な豊かさを「悪」と捉えがちな日本にとって、ブータンという不思議な国は理想郷に映るのかも知れません。まぁ、お幸せな国であるのは確かだとしても、だからといって問題が無いわけではないのですが、不都合なことは「なかったこと」にして自身の世界観を補強してくれる部分だけをピックアップするのが、日本的な評価システムでもあるのでしょう。北朝鮮より乳児死亡率の高い国を、何かにつれ「子供を守れ」と喧しい国の住民が肯定しているというのも不可思議な話ですけれど、ダブルスタンダードを気にして日本人は務まりません。
そうでなくても全てのブータン人が幸せというものではない、ブータン国民にも自国の体制に不満を持つ人はいるでしょう。独特の価値観を構築するという点では概ね成功しているとしても、あくまで特異な例外であって、一般化するには危ういようにも思います。自分がブータンの流儀を参考にする程度ならいざ知らず、それを他人や他の国に押しつけよう、売り込もうとするなら、民主主義の押し売り以上にタチの悪い傲慢さと言わざるを得ません。
「親父とは離婚していて…。お金には困ってました。兄貴が貯めていたお金を母ちゃんが黙って生活費に充てて。二人は大喧嘩です。けど、たった1万円ですよ。愛があればお金なんていらない、という人もいますけど、それは本当の貧乏を知らない人が言うことですよ」
以上はサッカー福田健二選手のインタビューからの引用です。ファンにとっては今更のことですが、福田選手の母親は氏が小学校5年の時に自殺しました。日本にもなお経済苦から死を選ぶまでに追い詰められる人がいるわけです。今でこそ福田健二はそれなりに名前の知られたサッカー選手ですけれど、金銭的な事情でサッカーを続けられない可能性も少なからずありました。途上国と呼ばれるような地域に目を移せば、より過酷な状況に置かれた人もまた珍しくないことでしょう。お金がない、経済的に貧しいということがどれほど不幸なことか、それを理解できない人だけが「愛があればお金なんていらない」と言えるのです。
今なお日本を先進国に含めていいのか流石に躊躇せざるを得なくなった時代ですけれど、一応は「先進国」である日本が「途上国」に向けて「幸福の程度を測る手段としてのGDPの限界」を説法する、これがどれほど傲慢極まりないことか、それを自覚できていないとしたら人間性を疑います。途上国においてはまさに経済的な貧しさこそが諸々の問題の根源になっている、日本においてすら貧困に苦しむ人は増えるばかりという中で、経済的な豊かさを「限界」と称して、その代わりに「幸福度」という精神論を差し出すような連中は人間のクズだと思いますね。
「お金のために仕事をする。冗談じゃない。仕事は生きることそのもの」「きれい事に聞こえるかもしれないが、利益を求めず、ただお客さまのありがとうを求め~」「会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです」とはワタミの社長の言葉です。自殺者を出すまで従業員を追い詰める企業で幸せも何もあったものではないというのはさておき、金銭的な価値よりも精神的な豊かさを「善」とする、そうした世界観はまさに日本を象徴するものなのかも知れません。ワタミの社長自身は非難を浴びることも多いですけれど、ワタミ的なるものは実は日本に広く根付いているのではないでしょうか。
貧しい国民をだますための政策ですよね。
日本も不景気だからお金なんていらない
精神的幸福度なんて言い出している訳ですね。
本当にそう考えているんなら、
新入社員と社長の給料の差は5倍以下
なんて法律を作ってもらいたいですね。
ブータン政府の公務員をしていた御手洗瑞子さんというかたが言うには
「ブータンが夢の国なんて幻想もいいところ。所得格差が大きく経済は海外に依存している」
御手洗さんを扱うサイトは、御手洗さんがブータンのいいところばかりを語っているように編集していますが、前述のことを語ったのも事実です。
ブータンでは国民の7人に1人が難民として逃げ出している事実がありますし、服装は規制され、煙草も禁止ですし、同性愛は終身刑。
情報が入らないので自分の国を理想郷と信じている北朝鮮や、映画「ヴィレッジ」で描かれたような閉鎖空間で幸せと思い込んでいるアーミッシュの村と同じでしょう。
私は好きな服を着たいし、嗜好品にまで大きなお世話をされたくない。男と寝ようが女と寝ようがそんなことまで国に口出しされるのは真っ平です。
「幸福度指標」などというものは、自らの人気取りのために国力を減退させている日本が、なんとか国民を欺こうとするために考えだしたものでしょう。ここ10年間、主要20ヶ国の中で平均賃金が減少しているのは日本だけ。そんな不都合な事実だけはおおっぴらに発表しないのに。
ブータンの良いところは御手洗さんも言っていたように「仕事なんて好きなことしかしなくてもいい」という感覚を持っていることぐらいですかね。でもこれは日本では広まらないでしょう。
なんせ雇用側の「いいとこ取り」だけが跋扈する国ですから。
まぁ経済的に豊かになるのが難しい国で「代わり」としては致し方がないのかも知れませんけれど、日本のように経済的に豊かだった国で幸福度と言われると、それは単に経済政策の誤りをごまかしているだけなんじゃないかという気がしてきますからね。日本が本当にやるべきは別にありそうなものですが。
>Bill McCrearyさん
ブータンの真似をするぐらいならアメリカの真似をする方がまだしも簡単でしょうね。あくまで参考程度であって、それを指標として国際舞台に持ち出すのは馬鹿げた話です。
>プチ左派さん
仰るようにブータンにも負の側面は多いはずなのですが、妙に好意的な報道ばかりが続きましたね。ご祝儀的なものはあったにせよ、あそこまで一面的に肯定的に迎えられるというのもどうかと思うのですが、それだけ今の日本人の「好み」に合っているのかも知れません。経済的な豊かさを諦めさせ、慎ましさを強いるような嗜好は、左右双方にも見受けられるところですし。
参加者の一人が「経済状態が悪くなっても脱原発を」みたいなことを言っていました。
この人が生活保護バッシング許さん!なんて言っていたら、チョットなぁ・・・
経済を好転させることで多少なりとも解決できる問題が幾らでもあるはずなのに。
余談ですが、今日“経済評論家”佐高信が岩手に来て脱原発を訴えてたそうです。
この人、1度でもワタミを批判したことがあるのでしょうか。
陸前高田の件も過労死の件も批判を見聞きしたことがありません。
(『週刊金曜日』では批判したのかな?10年以上読んでないのでわかりません)
岩手に来たついでに岩手の脱トヨタ依存(関東自動車の工場があります)を訴えたら
ちょっとは評価していいかな(苦笑)。岩手も第2の愛知となりつつある・・・
脱原発が第一な人には、他人の経済的苦境なんてどうでもいいことなんでしょうね。日頃は貧困問題に関心がある風を装っている人でも、脱原発という大義の下ではボロが出ると言いますか、勝手に「脱原発という幸せ」を押しつけては経済問題その他諸々を犠牲にすることに何の躊躇いもない、そういうパターンがあまりに多いです。
テレビでブータンの王様を祝う(?)祭りの踊りを見ていて、私も北朝鮮を連想しました。
統計もどのようにとったのかわかりませんよね。中国のGDPの数字も正確ではないと言われていますし。途上国や後進国の政治形態や統計は、先進国と同じようには考えられないと思います。
「経済状態が悪くなっても脱原発を」とか「命よりお金なのか!」と言う人は、本当の”貧しさ”を知らないのかもしれません。
岩手4区住民さんのコメントは意外でした。東北の工場は海外移転などで職を失った人が多いと聞いていましたので、工場があることに賛成の人が圧倒的に多いのかと思っていました。
あと岩手には東京エレクトロンの工場とか他にもいくつか大きい工業団地がありますよね。
都市部の人は、過疎地域(かつ東北のように自然が厳しい地域)の実情を理解できない(理解しようともしていない)ように感じることもあります。
私は都市部の出身ですが、東北の過疎地域に滞在したことがあります。車がないと生活するのは大変難しいです。不燃ごみですが、出す場所が7~800m先だと聞いたときは驚きました。
東北の過疎地域は共働きの家庭が多く(そうしないと家計が成り立たない)、さらに家で野菜を作ったりして生活をまかなっている。子どもたちも殆どが公立の学校に行きます(私立の学校自体が殆どないですけど)。
月~金は会社やパート勤めして、土日に畑仕事をする。田んぼをやっている人は、仕事から帰ってきて夜中に田んぼの水を見に行ったりもするそうです。
働かない人は白い眼で見られ、話題は近隣の噂が多く、噂が伝わるのも早い。よそ者には冷たい一面もあるようです。
自然は豊かですが、不自由な面も多くあります。
それでも食べていけるだけ、世界の多くの貧しい国の庶民に比べればマシなのだと思います。
先進国でもスラム街などで、食べるため、生きるために盗みや麻薬などの犯罪に手を染める子供たちも多いですよね。本当の”貧しさ”とは、生きるために手段を選ぶ余裕はない。ブータンの難民の話も同様だと思います。
世界の中でも、日本という国はそういう”貧しさ”を経験している人が少ないのではないでしょうか。
だから「経済状態が悪くなっても脱原発を」と安易に言えるのかと。
いずれにしても、東北復興のためにも安定したエネルギー供給は欠かせませんね。
私は福田健二選手を存じ上げないのですが、「親父とは離婚していて…。お金には困ってました」の件は読んでいて胸が詰まりますね。
うちも貧乏でしたから。ていうか、今も貧乏だわ(笑)。
フリーターやらニートやらが騒がれていた数年前、当時の私もなかなか定職にあり付けず悩んでいたので、某県Y市にある『若者支援なにがしセンター』なる施設に相談へ行った際にこんな経験をしました。
ある日、女性のキャリアカウンセラー(私はこの輩をカウンセラーとは認めていませんが)に「○○さんにとって“働く意味”とは何?」と訊ねられたので、私は迷わず「生活の糧を得るためです」と答えました。
するとカウンセラーは怪訝そうな顔をしながら、「それは違う!」と絶叫し(苦笑)、続けて、「仕事を通じて社会を幸せにし、そして自分も幸せに(以下略)」、「お金のためだなんて、そういう目的意識を持たない人が“漂流フリーター”になるんです」などと言っていましたね。
私の実体験として、こういうワタミ的な思想はビジネス界よりも教育界や労働系・教育系のカウンセラーの間で信奉されているように感じますね。
今は『育て上げネット』やら『NEWVERY』やら次々と勃興した怪しげなNPOが「働く意味とは何か?」とか「やりたい事が見つからないなら、社会のために働け」なんてのたまいながら、各学校に出張授業している時代ですからね。
こういう精神論に酔いしれるオ○ニー的な連中こそ、社会に出て働いて下さいって感じですね。
長くなってしまいましたが、私はお金のため、生活の糧を得るために働くという考えはこれからも変えるつもりはありません。
だって、間違ってないもん(年甲斐もなくぶりっ子)。
工場の働き口があっても、都心の本社での働き口に比べれば薄給で不安定、にも関わらず自治体からズルズルと補助金を吸い上げるばっかりみたいなところもありますからね。ネガティヴな側面もあるのだと思います。ともあれ、経済的な貧しさ、余裕のなさから生活には諸々の制限がかかってくるもの、一部の満足している人にとっては十分であろうとも、別の人からすれば苦しい状況かも知れない、景気が上向けば色々なものが好転すると期待される中で、「経済状態が悪くなっても~」とは少なからず身勝手な発言に聞こえるところです。
>雑民子さん
後は就職セミナーに招かれるコンサルタントとかですね、経済誌の「お約束」と言いますか、くだらないビジネス本の受け売りみたいなことを繰り返すばかりで役に立つことは何も言えない、そのくせ自分の正しさにだけは絶対の自信を持っている、そういうタイプを目にすることも多いでしょうか。必要なのは給与/豊かさなのに、どうも道徳で上塗りされたような戯れ言が幅を利かせる日本ですが、途上国の反発を買ったのは何故かを自省して欲しいものです。