心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

メランコリーな雨の休日

2016-07-09 10:44:23 | 愛犬ゴンタ

 きょうは朝から雨が降っています。そんな土曜休日、朝のお散歩もなくなり、なんとなく落着きがありません。ゴンタ爺さんが亡くなって6日が経ちました。自力では立ち上がることができなかったけれど、老夫婦の家に一定の存在感をもっていたゴンタが急にいなくなった。ぽっかり穴があいてしまったよう。この空間に慣れるまでには、もう少し時間がかかりそうです。昨夜は、ゴンタの幼少の頃から亡くなる少し前までの写真21点をA4用紙1枚に散りばめた写真集をつくり、3人の子供たちに送りました。
 さて、今週は久しぶりに広島に出かけてきました。そして、空き時間をひろしま美術館で過ごしました。広島勤務時代によくおじゃました美術館ですが、決して大きな美術館ではないけれど、ゴッホやミレーやルノワールやモネやマネ、ピカソやマティス、ロートレックやシャガールの素晴らしい作品を身近で楽しむことができること、時間帯によっては入場者が少なく、展示室を独り占めにできること。そこが気に入っています。とはいえ、構造上、絵画に悪戯ができなくなっていて、警備員の方の監視も徹底しています。
 今回も、セブラックのピアノ曲を聴きながら、ゴッホの「ドービニーの庭」を前に椅子に座って30分ほど、ぼんやりと眺めていました。ゴッホ終焉の地と言われるオヴェールで、死の数週間前に仕上げたのだそうです。(下図は購入したポスターを撮影したもの。現物はもう少し明るい色調です)
 ゴッホが生まれたのは浦賀にペリーが来航した1853年、それより20年ほど後に生まれたのがセヴラックでした。南仏の農村を舞台にしたセブラックと、オランダに生まれフランスで活躍したゴッホ。ほぼ同時代を生きた音楽家であり、画家だったわけです。なにやら私のなかで強引につなげてしまっていますが、何かしら時代の空気を感じます。
 年の初めに、島田紀夫著「セーヌで生まれた印象派の名画」、井出洋一郎著「農民画家ミレーの真実」という新書を読みました。絵画にしろ音楽にしろ、作品を点として見つめることはできても、時代の大きな流れの中で見つめることができていません。おいおいお勉強をしていくことにいたしましょう。

 さて、今週の四国遍歴のお勉強は、高群逸枝著「娘巡礼記」でした。300頁のうち三分の二まで読み進んだところですが、大正の初期、二十四歳の若い女性が綴った四国遍歴の記録です。巡礼の道々九州日日新聞に送った原稿は、「娘巡礼記」として百五回の連載になったよう。
 ウィキペディアによれば、高群逸枝は「若い頃より詩人として活躍し、九州新聞などで短歌や詩を発表する。のち、東京にその活躍場所を求めて移転する。アナーキズムと出会って女性史研究を志し、平塚らいてうと共に女性運動を始める傍ら、女性史研究を進め、『母系制の研究』や『招婿婚の研究』などの業績を残し、女性史研究分野の発展に寄与した」とあります。まだまだ女性の地位が低かった時代、こうした自律した女性の登場が日本と言う国を大きく変えていったということなんでしょう。
 
 こうして、気の向くままに本を読んだり音楽を聴いたり絵画を観たりしていると、ある瞬間にふたつが交差することがあります。人の心の在り様を思います。時代の流れのダイナミズムを感じます。楽しいなあと思う瞬間です。南方熊楠の萃点に近いものがあります。
 きょうは夕刻、大槻能楽堂自主公演能 ナイトシアター"ろうそく能”を観に行く予定なので、出かける前にブログを更新させていただきました。聴いたLPレコードは、ラザール・ベルマンの「若き日の肖像」(2枚組)。スクリャービン、ラヴェル、ドビュッシー、リスト、ラフマニノフと盛りだくさんでした。

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