心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

初秋の嵯峨野を歩く

2015-09-20 10:03:30 | Weblog

 土・日+敬老の日+祝日+秋分の日と続き、5連休となりました。お盆休みが終わり、徐々にスピードアップしてきたところでの連休は、なにやら出鼻をくじかれた気がしないでもありませんが、お休みがいただけるということはありがたいことです。といっても1年後には毎日が休日になるのですが.......。(笑)
 そういえば先日、採用面接に立会いながら、40数年前の自分の姿を思い出していました。まだまだ荒削りな世界観をひっさげて社会への扉を叩く。そんな若者たちに完璧性を求めてもしようがありません。おじさんたちの期待する答えを求めるのではなく、周到に準備してきた答えとは違う視点からさりげない問を投げかける、それにどう答えてくれるのか。彼ら彼女らの日々の生き方に目を向けます。そんな期待感をもって次代を担う若者たちを見つめました。
  さてさて、連休初日の昨日は、初秋の嵯峨野を歩きました。まずは家内が予約していた嵐山日帰り温泉と京料理です。お昼前に旅館に到着すると温泉につかって寛ぎます。そして昼食。3時間ほど滞在して、疲れを癒しました。さあてどこへ行こう?地図を見ながら、ああでもないこうでもないと、いろんなコースを考えます。観光客が集中する渡月橋界隈や天龍寺を避け、奥嵯峨に向かいました。
  まずは有名な竹林の道に入りました。観光客が少なくはなかったのですが、それでも周囲の風景に圧倒されます。大河内山荘、トロッコ嵐山駅を通過、小倉池を横目に常寂光寺に向かいます。次は、江戸初期の俳人・向井去来が晩年を過ごした草庵、落柿舎。師の松尾芭蕉が「嵯峨日記」を書いた所でもあります。私は、この風雅な佇まいが気に入って、学生時代にも友人と訪ねたことがありました。まだ紅葉には早いのですが、柿の実や水引や紫式部の草花が初秋の訪れを告げています。
 次に向かったのは平家物語の舞台となった祇王寺と滝口寺。なかでも滝口寺は観光客が訪れるでもなく、私たち2人だけ。ひっそりとしていました。手入れも十分ではなく、庭も自然任せで、やや寂しい風情のお寺でした。
 その昔、平重盛の侍・滝口入道と建礼門院付きの女官・横笛との悲恋の舞台です。平家物語巻第十「横笛」「高野の巻」に登場します。父の信頼と見初めた女性のどちらを取るか迷った滝口入道は、第三の道、出家の道を選び、この山寺に身を寄せます。風の便りでそれを知った横笛が滝口入道に会いに来ますが、そういう者はいないと突き返す。横笛は泣く泣く帰って行きました。未練が残ったまま別れた女性に住まいを見つけられたからには修行の妨げになると、滝口入道は高野山に移ります。のちに高野の聖といわれる高僧になったのだとか。これって男性の身勝手??
 もとは往生院三宝寺と言われていました。明治初期の廃仏毀釈で廃寺となったあと、昭和の初め滝口寺として再建されましたが、残念ながら茅葺き屋根は今にも朽ちようとしています。祭壇には、滝口入道と横笛の木像が寄り添うように配置してありました。生い茂った庭を眺めながら、この寺の悲しい歴史を思いました。
 連休初日の万歩計は1万6千歩を記しました。今朝は足腰が少し悲鳴を上げています。今日は自宅でゆっくりしましょう。先週種まきをした野菜も、みんな芽が出ています。 これから間引き作業が続きます。夏にたくさんの実がなったゴーヤは片づけましょう。あとは、音楽を聴きながら読書でもして過ごします。「空海の風景(下)」も残すところあとわずか。頭の片隅で平安時代の日本社会が走馬燈のようにぼんやりと浮かびあがっては消えていきます。
 そうそう、次男くんの結婚式の日程が決まったようです。年末の仕事納めが終わった頃だとか。明後日はお彼岸でもありますので、二人を連れて京都・知恩院にご報告の参拝です。夕刻からは京都のレストランに長女一家も合流して婚約お祝いの宴を開きます。私の子育ても完全に終わろうとしています。

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