1月最後の日曜日、ゴンタ爺さんと早朝散歩を終えると、久しぶりにお風呂で身体を洗ってやりました。お風呂好きのゴンタ爺さん、暖かいシャワーを浴びて目を細めていました。
さて、今週のクラシックプレミアム28巻は「ピアノ名曲集」です。グルダ、ルプー、アシュケナージ、ラベック、ワイセンベルク、ミケランジェリ、アルゲリッチ、ロジェに内田光子。ピアノのメロディーが、部屋に充満しています。さあて、ブログ更新でもしますか。
今日の我が家は、私とゴンタ爺さんの二人だけです。実は昨日の午前3時、長男君に3人目の子が誕生しました。私にとっては5人目の孫になります。3200グラムの元気な男の子でした。連絡を受けた家内は、さっそく上京です。でも、いろいろと用事があるらしく、いったん帰阪したあと再度上京するのだとか。一昨日は、近くに住む長女宅で、インフルエンザに罹った孫長男君が病院に行っている間、孫次男君のお世話をしていました。お祖母さんの存在感を十分に発揮してくれています。やはり女性は強い!!
一方の私は、お気軽なもので、昨日は仕事を片付けると、天満橋から大阪城を横目に、難波宮の跡地をぶらり散歩しながら、大槻能楽堂に向かいました。演目は能「正尊」。普段とは異なる時間の流れと空間に身をおいて、しばし幽玄の世界をさ迷いました。
能「正尊」は、平家物語巻12の「土佐坊斬られ」の場面です。梶原景時の戯言を真に受けた頼朝が、義経を殺害するために土佐坊正尊を鎌倉から京に差し向けた。義経と武蔵坊弁慶から上洛の目的を問われた正尊は、熊野参詣のためと嘘をつく。しかし義経は、正尊が軍勢を率いて義経を討とうとする動きを見抜く。ほどなく義経暗殺計画は失敗する。ざっと、こんなシナリオでした。
これまで観てきた能楽とは異なり、登場人物はワキ、シテ、ツレなど12名。静御膳役を務めた子役も凛々しい舞を見せてくれました。お囃子の笛、鼓、太鼓も、素晴らしい演奏でした。
それにしても能は不思議な芸術です。舞台と橋掛りという限定された空間の中で、スローモーション映画でも見ているような演者の静の動き、しかしその動きの中にも緩急があります。地謡が場を盛り上げます。曲が終わり、演者が一人また一人と、橋掛りを通って退場していくと、場内から満場の拍手が湧き起こり、ふっと我に返ります。
私の能楽体験は、まだ1年に過ぎません。日本古来の舞台芸術とはいえ、子役や若手の演者もいて、裾野の広さを思います。客席は概ね男女半々。和服姿の女性もちらほら。能楽堂独特の匂いが場内を漂います。
昨日、開演前にぼんやり宙を見ていたら、高校時代の古文の授業を思い出しました。古文は苦手だったのに、東京の女子大を卒業したばかりの、美しい古文の先生に甘い憧れのようなものを抱いた時期がありました。そんなことを考えながら周囲を見渡すと、女性客の皆が古文の先生に見えてきました。(笑)
開演前に詞章(セリフ)が配られるので、とりあえずざっと目を通しますが、舞台の上の演者の詞章は3割程度しか理解できていません。それなのに終わってみると、舞台にのめり込んでいる私がいます。現世の疑心暗鬼、泥々しい人間関係は忘却の彼方。頭の中が空っぽになり、だだっ広い草原の中に佇み心地よい風を全身に浴びている私がいます。これが能楽の楽しさなんでしょうか。
帰り道、馬場町界隈を歩いて、天満橋に向かいます。ジュンク堂書店に立ち寄って「平家物語」(角川ソフィア文庫)を買って帰りました。
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