心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

今年も「大吉」

2012-01-01 23:45:41 | Weblog
かき曇る 空さえ 晴れて さしのぼる 日かげ のどけき 我こころかな
こころをすなおにし身もちを正しくすればますます運よろしく何事もおもうままになるでしょう 欲をはなれて人のためにつくしなさい 大吉

 2012年元旦の日、家族10人で近くのお寺と神社に初詣に出かけました。恒例の御神籤は、3年連続の「大吉」でした。運をあてにする歳でもありませんが、年初から縁起の良いことに変わりはなく、まずは幸先の良いスタートを切ることができたことに安堵しています。
 ところで、この年末年始は久しぶりに家族全員が揃いました。孫3人を含めて10名の大所帯となり、いつになく賑やかなお正月を迎えていますが、つくづく私自身の年齢を思うことになりました。心の中ではいつまでも若いと思っていたのに、孫たちから「おじいちゃん」と呼ばれると、妙な気持ちになってしまいます。
 そんなある日、4歳の孫君が3歳の孫娘に話している会話を聞いて、その素直さと柔軟な言語能力に驚きました。それは、孫君が孫娘に椅子の座り方と降り方を教えているときでした。何回か「コツ」という言葉を使ったので、孫君に尋ねました。「コツってどういうこと?」。すると孫君「コツってポイントのことだよ」と。そこで「ポイントって何?」と意地悪に尋ねると「それはね、お手本、模範ってことだよ」と答えたのです。
 これが大人なら尤もらしい答えを言うまでに一瞬戸惑うのではないでしょうか。それを孫君は何のためらいもなく答えてくれました。広辞苑で「コツ」とは「物事をなす、かんどころ。要領。急所。呼吸」とありますが、彼の答えは決して的外れではありません。彼は彼なりに言葉を知り、考え、理解をしようとしている。それがこういう答えとして返ってきたのでしょう。いつもゴレンジャーとやらに夢中になっている孫君の言語能力が、いま育まれつつあることを思いました。
 日常の世界では、言葉にいろいろな意味づけを行い、ある種の手垢さえついてしまった言葉の世界。同じ言葉をいろんな意味に用いるために、議論が議論にならないことがままあります。その代表格が政治の世界ですが、誰も、自分の言葉に責任を持とうとしない、そのときどきの空気に流されて言葉が浮遊している。語彙の数の問題ではなくて、自分の心を言葉で素直に表現する術をどこかに置き忘れている。言葉に対する真摯な態度を蔑にして、難しい言葉を用いることで自分を賢く見せようとしている。われわれ大人たちは冷静に検証してみる必要があるように思います。ほんの一瞬の孫たちの会話から、なにやら深いテーマをいただいたような気がしています。

 あと数日でお正月も終わりますが、年末に庭のお掃除をしていたら、松の木の下に赤い実をつけた万両を見つけました。この万両は、植えたものではありません。寒い冬の季節に、ヒヨドリたちがどこからか銜えてきた万両の実を松の枝にとまって食した際、落としていったもののようです。里山の自然も、おそらくこうして次から次へと変化しているのでしょう。思惟性のない偶然の積み重ねが新しい時代を切り開いていく。必然と偶然の在り様は、東北大震災を契機に私たちに新たな課題を提起しているように思います。「運勢大吉」の御神籤を眺めながら、あれこれと思いを強くした2012年の元旦でありました。
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