心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「十五夜能」

2014-09-07 09:20:16 | Weblog

 どうも最近、お天気が不安定でいけません。昨日も、午後お出かけのときは残暑がぶり返したような暑さでしたが、ビルの中で過ごして一歩外に出ようとすると、雨が降っていました。傘をもってきていなかったので、雨を避けながら街路樹の下を歩くのが精一杯でした。実は、昨日は、大阪城にほど近い大槻能楽堂で開かれた十五夜能「三井寺」を家内と一緒にご鑑賞でありました。早めの夕食を済ませ、6時半の開演に間にあうように雨の中を急ぎました。

 この日は、まず中西進先生のお話し「月の能『三井寺』の魅力」を拝聴します。今の平和な時代と違い、中世の頃には「人さらい」があったと。そういえば私も子どもの頃、遅くまで外で遊んでいると、母から「人さらいが来るよ」と言われて家に帰ったことがありました。また、「月」という言葉の意味についても興味深いお話がありました。私にはファンタスティックなイメージしかありませんが、先生いわく、もう一つの意味にクレイジー、精神に異常をきたす意味があるのだとか。十五夜能に相応しい、わくわく感が場内に広がりました。
 まずは狂言「月見座頭」。月見に纏わる座頭(盲人)と上京の男とのやり取りが観客を中世の世界に誘います。そして、いよいよ「三井寺」ですが、行方がわからなくなった我が子を思うまあり狂女となる母が、八月十五日の月見を楽しむ僧の一行がいる三井寺に向かい、そこで我が子、千満丸に出会うという物語です。我が子を思う母の姿が象徴的に表現されたものでした。
 驚いたのは千満丸役の長山芽生さん。まだ小学生低学年と思しき女児でしたが、姿勢を崩すことなく、1時間余りにわたり舞台に座し、母との再会の場面には長いセリフを語ります。ふと世阿弥の「風姿花伝」第一「年来稽古條々」を想起しました。帰って読み返すと「7歳。この芸能においては、おおよそ7歳が初稽古となる。この頃の稽古では、子供が自然にやりだした事に、生まれもった美点が見つかるものだ。舞や働き、また謡やいかつい動きでもよいが、なにげなくやりだしたなら、その子の心のままにやらせてみることである」とあります。能楽というお家に生まれて身近にお能に接しているのでしょう。今後の成長を期待しましょう。
 さてさて、きょうはお能一辺倒になりましたが、急に秋めいてきて過ごしやすい休日を迎えています。朝、TVニュースを見ると、島根県出身のテニス世界ランキング11位の錦織圭さんが全米オープンでジョコビッチを破って決勝に進出したとか。最近、日本の若手スポーツ選手たちの活躍ぶりが目立ちます。「最近の若者は.....」なんて嘆くことの不自然さを思います。若者たちの元気溌溂とした表情がこぼれる「場づくり」が、初老の域に達した者の最後のお仕事なんでしょうね。きっと。

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