心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

季刊誌「kotoba」の特集「読書人のための京都」

2013-09-15 22:50:23 | Weblog

 昨日、家に帰ると何やら騒々しい。長女一家が孫君たちを連れてお泊りのようでした。予期せぬ客にブログ更新もままならず、やっと寝静まったこの時間を利用して書き始めました。とは言え、窓の外は風雨が強まっています。大型台風18号が本州最南端の潮岬沖に迫っている様子。今後の動向に注意しましょう。我が家では今夜、愛犬ゴンタもお家の中で静かにお休みです。
 さて、今日のテーマは、....。1週間の出来事を振り返ってみます。仕事の方は何やらゴタゴタ続きでしたが、さて仕事以外はどうなんだろう....。
 本を集中して読む時間も少なかったので、惰性で森鴎外の文庫を拾い読みしました。まずは「阿部一族」。余命幾ばくもないお殿様の跡を追って殉死を願い出る家臣十数名。家の誉れとばかりに切腹します。その中に、どうしてもお殿様から切腹を許してもらえなかった阿部何某の、その後の生き様が描かれていました。きょう市長選が告示された大阪・堺を舞台にした「堺事件」では、上陸したフランス兵に銃を向けた土佐藩の志士10数名が、その罪に問われ、切腹を命じられます。その場面がまた生々しい。「切腹」を潔しとする時代の出来事でしょうが、上司や国に忠誠を尽くさんとする誉れ高い精神性と切腹が、私のなかでは全く繋がりませんでした。
 そんなことを引きずって歩いていたら、多様性を考える言論誌「kotoba」2013年秋号に出会いました。今号の特集は「読書人のための京都」です。昨日、所用で京都に向かう電車の中でぱらぱらとめくっていました。そのなかに、冷泉家時雨亭文庫常務理事・冷泉貴実子氏の寄稿「冷泉家『守る力』の秘密」がありました。
 「歴史の自覚なしに、文化財は守れない。文化的価値を失うとき、文化財は失われる。誇りを失ったとき、守る力を失う」。冷泉家といえば、藤原定家を祖とする家柄ですが、終戦直後には税金を納めるのに苦労されたようです。大切にしていた屏風、香道具などを売り払って凌いだけれども、しかしながら定家以来の典籍古文書は守ったことが記されています。「これを守ったのは国家ではない」「冷泉家が伝えたから、今、この国に古今和歌集がある」と。浮ついた時代の趨勢に何かしらずしりと迫る重い言葉でした。
 帰る電車の中では、福岡伸一氏の寄稿「京都で生まれた思想~西田幾多郎と京都学派」を興味深く読みました。ここでは、「生命は、変わらないために常に変わり続けているものとしてある。生命は、壊れないように自らを壊し続けているものとしてある」という言葉に改めて考えさせられました。「エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能をになっている」と。動的平衡の、こうした考え方が西田哲学に近しいことを、某哲学者から教えられたのだそうです。そういえば「矛盾的自己同一性」という言葉に、昔ずいぶん悩んだことがありました。
 この日は同志社大学で用事があったので上洛しました。京阪電車の出町柳駅から今出川通りを西に向かって歩くと、御所が見え、今出川キャンパスが見えてきます。その正門を少し歩いたところに、実は冷泉家があります。明治期に建築されたレンガ造りの学舎を眺めていると、ふと不易流行という言葉が浮かんできました。
 久しぶりに寒梅館1階のレストランで昼食をいただきました。券売機で買ったチケットは「八重さんプレートランチ」です。美味しくいただきました。

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