心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

赤ちゃんの笑顔に思う

2012-07-08 09:50:39 | Weblog
鬱陶しい梅雨の一週間でした。からっと晴れた暑さは、それなりに耐えることはできますが、ジメジメした空気はいただけません。必要以上に身体に負担がかかります。庭の草花もうんざりといった風情です。愛犬ゴンタも小屋の中で退屈そうです。....うっすらと青空がのぞいた今朝は、久しぶりにゴンタと朝のお散歩でした。
 今夏は、ここ関西圏でも節電が叫ばれています。湿度を別にすれば、今のところ過ごしやすいのですが、いずれ連日の熱帯夜に悩まされることになります。今のうちから身体を慣らしておきましょう。文明が進んで人間様は軟弱になってきていますから、ここらあたりでぴしっとメリハリをつけるのも健康には良いかもしれません。夜は網戸を閉めて窓を全開にして、夜風を少しでも室内に取り込みましょう。梅雨が明けたら、庭の打ち水は欠かせません。熱くなった地面や樹木や草花に水をかけてあげるだけで、夜の気温が数度下がります。昨年は途中で挫折してしまいましたが、今年はクーラー利用ゼロをめざします。

 さて、先日、新大阪駅に向かう電車の中で、かわいい赤ちゃんに出会いました。席があいているのに立ったままのお母さんの胸に抱かれた10か月ほどの赤ちゃん。母親の胸のなかで幸せいっぱいの顔をして母親を見つめていました。ふと私の存在に気づいたのか、じっと私を見つめます。そして、にこりと笑ってくれました。その数秒後、彼はかわいい目を閉じて眠ってしまいました。この世に生を受けて、幸せいっぱいの表情に、何かしら心和むものがありました。
 「幸福」という言葉があります。広辞苑は「心が満ち足りていること。また、そのさま。しあわせ」と言います。岩波書店「語感の辞典」によれば、「生きている喜びをかみしめるほど心の満たされる精神状態をさして、会話にも文章にも使われる日常の基本的な漢語」とあります。
 言い古された言葉ですが、気になる言葉です。以前、古本屋で手にしたアランの「幸福論」(串田孫一、中村雄二郎訳)を、時々思いついたように紐解いてみることがありますが、いつの間にか眠ってしまいます。「続・悩む力」では、「幸福」「幸せ」という言葉の本来的意味が問われたりしています。果たして、幸せって何?単純にして深い言葉を前にして、立ちすくんでしまいます。でも、あの丸々と太ったかわいい赤ちゃんの笑顔は、幸せ以外の何物でもない。理屈ではないですね。仕事場に向かう前の気難しい顔をしていた私に、笑みを呼ぶ力。これ以上の幸せってありません。

 昨日から家内が長男君宅におじゃましています。1歳になろうという孫君とのご対面を楽しみに出発いたしました。一方の私は、先週に続いて夕刻から市内某ホテルで全国規模の懇親会がありました。夕刻までの中途半端な時間をどう過ごすか。考えているうちに、私の足は日本橋界隈のレコード店を向いていました。昨日は何軒かハシゴをして回りました。最後の一軒は、いかがわしいお店も入居している雑居ビルの一画。こんなビルに出入りしているところを知り合いに見られたら誤解されるなあ、と思いながら、それでも狭い入口を入って、小さなエレベーターに乗って2階へ。いったんお店の中に入るとそこは別世界です。さまざまなジャンルの中古レコードがずらり。音楽大好きな店員さんがいて、なんといっても商品を丁寧に取り扱っているお店です。しばし品定めをして楽しみました。
 そして夕刻、手を洗い、昼間の汗をふき、紙袋に入れてきた上着を着て、身だしなみを整える。空っぽになった紙袋の中にレコードを入れてホテルに直行です。クロークに紙袋を預けるやいなや、やあやあと人の輪の中に入っていく....。前日の会議で懸案事項を一歩前に動かすことができましたから、気分的に楽になったのかも。無欲恬淡。とりあえず幸せを感じた1日、ということにしておきましょう。
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