Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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橋田さんの“安楽死宣言”から「死の医学」を考える

2017年10月07日 | 医学と医療
NHKクローズアップ現代+の「橋田壽賀子 92歳の“安楽死宣言”」を見た.「渡る世間は鬼ばかり」などで知られる日本を代表する脚本家に対するインタビューである.「安楽死・自殺幇助」と「死の医学」について改めて考えさせられた.

1)自殺幇助により息を引き取ったALS患者
番組で一番,衝撃的であったのは,ALSと思われる米国人男性が,自殺幇助(他人が自殺しようとするのを手助けすること)により亡くなる場面であった.死の直前のインタビューに「人生に疲れたわけではない,病気に疲れたんだ.これからも人生を楽しみたい,しかしそれができないんだ」と答えた男性は,タイマーで人工呼吸器のスイッチが切れるようセットしたあと,医師が処方した大量の鎮静催眠薬を自ら飲み,その後5分ほどして息を引き取った(写真上).ALS患者さんにおける自殺の問題については,当ブログにおいて二度ほど取り上げたが(下記),実際の場面を見たのは初めてであり,強いショックを受けた.
 自殺幇助を支援する民間団体で外国人も受け入れているのは,スイスにある「ディグニタスDignitas(尊厳)」のみであり,上記の自殺幇助もこの団体により行われた.世界各国から毎年数百人の入会があるという.医療記録を分析し,生き続けるのが困難だと判断され,かつ本人の判断能力が保たれていた場合のみ,致死薬が処方される.ただしスイスでも安楽死は違法で,自殺幇助のみ可能である.よって最後の瞬間は,医師が注射や点滴をするのではなく,上記のように処方された致死量の薬を自分で飲む必要がある.
 ただし入会した人で,実際に自殺幇助を受けるのは全会員の3%ということである.これは積極的に自殺幇助を望んでいるわけではなく,「人生の質の問題を改善できる選択肢を求めて入会するため」と解釈されている.ちなみに日本では積極的安楽死はもちろん,医師による自殺幇助も認められていない(写真下).

2)橋田さんが考える安楽死

橋田さんが安楽死を望む理由は「世の中の役に立たず,迷惑だけかけるようになったら生きていたくない」「ただベッドに横たわって死を待つのは嫌だ.まして,意識のない状態で延命措置をされてしまうなど,まっぴらごめんだ」という言葉につきる.また「生や死のあり方は人それぞれさまざまであって,人生の閉じ方は自身で選ぶべきもの」という考えだ.安楽死はその選択肢の一つであって,それが担保されていれば,不安を抱えず生きていけると考えている.上記の「人生の質の問題を改善できる選択肢を求めている」ことと同じように思える.
 さらに橋田さんは「安楽死はあくまで本人が希望して,家族が納得して,医師や弁護士など第三者の専門家が認めれば叶えられるという制度の上で行うべき」と提案している.いろいろな意見があると思うが,個人的には橋田さんの考えは十分に納得できるものであった.

3)「死の医学」の必要性
橋田さんの著書の「安楽死で死なせて下さい (文春新書)」も併せて読んだが,そのなかには医師に向けた印象的な言葉が出てくる.
①大学の医学部は,患者を少しでも助ける方向にエネルギーを注いで,死のことを学生に教えてこなかった.だから,死のことは苦手だと思っている医者が多い(対談をした鎌田實先生のことば).
②治療しなければ罪という文化の見直しが必要である.病気を治して患者の命を救うことはもちろん大切だが,患者をいかに幸せに死なせるかという医療分野だって,もっと発達していいはず.その人のプライドを守って,平穏に死なせてあげることも,お医者様の大きな使命であってほしい.

医学部で「死の医学」を十分に教えていないという指摘は事実であると思う.自身の経験を振り返ると,人間の死について初めて真剣に考えたのは,大学院生の時に日当直のアルバイトをした老人病院で,栄養を胃ろうから摂り,コミュニケーションも不可能なお年寄りの死亡診断書をたくさん書いたときであったように思う.当直しながらキューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」,柳田邦男の『「死の医学」への序章』から,立花隆の「脳死」や「臨死体験」に至るまで死に関する本を何冊も読んだ.担当する疾患の特徴のため,患者さんの死にはほとんど立ち会わない診療科もあるが,このような経験がなければ,「死の医学」は苦手であると思って当然だろう.

4)「死の医学」における神経内科の役割
逆に「死の医学」に近い位置にあり,「その人のプライドを守り,平穏に死なせることも医師の使命である」という問題に,真摯に取り組んできた診療科のひとつが神経内科ではないだろうかと思う.それにはALSという疾患の存在が大きい.「人工呼吸器を装着すべきか?」という究極の難問を提示するところから関わり,装着しないことを選んだ患者さんやご家族が,近い将来迎える死を少しでも納得できるものにするために,何ができるのかみんなが悩んできた歴史がある.
 番組の中でも,安楽死について悩む人々は,神経疾患の人が多かった.安楽死制度を認めてほしいと求める寝たきりの妻を介護する夫,安楽死を認めてほしいと願う反面,どんな状態でも生きていくべきではないかと悩むパーキンソン病類縁疾患の患者さん,「安楽死はあなたのことはもう面倒見れないと言われているに等しい」と考え,強く反対するALS患者夫婦と,神経疾患と安楽死は密接なつながっていると改めて認識させられる.すなわち,難病や認知症といった進行性で,長く付き合う必要のある病気を担当する神経内科医はこの問題を避けて通れないということだ.生かすだけの医療に専念するのではなく,患者さんのもつ個々の死生観に目を受けて,さまざまな選択肢を提供する医療を目指す必要があるのではないだろうか.

92歳の“安楽死宣言”橋田壽賀子 生と死を語る(NHK)
安楽死で死なせて下さい (文春新書)
過去のブログ記事
“私の人工呼吸器を外してください”~「生と死」をめぐる議論~
ALSにおける自殺の検討



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