Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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椿教授の「問診 ―日ごろ心にとめている十ヵ条―」

2014年03月24日 | 医学と医療
昔,私どもの教室に「問診 ―日ごろ心にとめている十ヵ条―」と題する額が飾ってあった.椿忠雄教授(新潟大学脳研究所神経内科初代教授)のことばである.耐震工事の引っ越しのためにどこかに大事に保管され,そのまま行方知れずになってしまっていたのだが,最近,見つかり,あらためて壁に掛けられた.久しぶりに読み直してみて,「これまで先輩方から伝えられてきたことそのものだなぁ」と思った.四番目や五番目は本当に大事なことだと思うし,とくに五番目は5年生のベッドサイド実習で,テーマとして取り組んでもらっている.以下,原文を記載したい.


問診 ―日ごろ心にとめている十ヵ条―
新潟大学教授・神経内科学
椿 忠雄

一,神経病ほど問診が重要な疾患はないと思う.誇張ではなく,診断の八割くらいはこれで大よその見当がつく.最近,一般内科では検査所見の比重が大きくなっているが,神経内科はむしろ問診と病床側の診察が重要である.

ニ,神経病の問診のなかで最も重要なことは,症状はいつおこったのか,初発症状の部位はどこか,急激におこったのか(何時何分という程急激か,それほどではないか)ではないかと思う.どんなときでもこれをおろそかにしてはいけない.

三,問診が重要なことは,単に診断のためだけではない.これを通して,医師と患者の間に精神的親近感ができることである.大学の外来では,問診は若い医師や学生が行うことがある.これは診察医の時間を節約していただけるのでありがたいが,診察の本質からみて,必ずしも好ましくない場合がある.私はどんなに完全に問診(予診)ができていても,患者に何らかの質問をすることにしている.それはすでに得られている情報であるかのようにみえても,書かれた情報とはちかったものがえられるはずである.

四,問診の場合,医師にとって無意味と思われる患者の供述であっても,ある一定の時間は患者の思っていることを述べてもらう.それは患者に満足を与えるとともに,患者の心のなかにあることがわかる.

五,患者の何が,最も苦しいか分かることが大切である.単に主訴という形式的な言葉ではあらわされないものが大切である.患者は案外病気の本質とは別のことで苦しんでいることがあり,これを取り除くことができる.


六,多数の患者が待っており,診療時間に追われているときに,ごたごたと供述されることは医師にとって困ることがあり,患者の供述を適当なところで止めさせることも必要ではあるが,少なくとも,前述のことは忘れてはいけないと思う.

七,公害や災害事故の問診で,患者の供述は必ずしも事実でないことがある点で,難しい問題がある.この場合でも患者を非難してはいけない.多くの患者は故意に虚偽の供述をしているのではない.私は患者の供述を言葉通りにきき,主観を加えずにその供述を記述することにしている.このようなことで,かえって真実を見いだせることが多い.

八,問診は診察のはじめだけに行うのではなく,診察の途中にも随時会話をして,情報を深めるのがよいと思う.むしろ,それによりほんとうの供述がえられるように思われる.

九,医師が患者に敬意をはらうという態度で問診をすることが望ましい.一般に患者は弱者,医師は強者の立場になりやすいので,詰問口調になりやすい.しかし,よく聞いてあげるということが,その後の診察に大きなプラスになるであろう.

十,神経病の場合,問診は,言語障害,精神症状,知能,意識状態の検査にもなることを忘れてはならない.



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クロイツフェルト・ヤコブ病における病名告知,治療の検討@日本臨床倫理学会

2014年03月02日 | 認知症
日本臨床倫理学会(第2回年次大会)@東京に初めて参加した.一昨年,発足した学会だが,今大会のテーマが「臨床現場で考える倫理」であるように,日常臨床の現場で困っている倫理的問題を持ち寄り議論する場を目指している.認知症や神経難病も重要な問題として取り上げられていた.基調講演も「希望・尊厳・倫理と認知症の人々」とのタイトルで,ニューヨーク州立大学のStephan G Post先生によるものであったが,dementiaという人間性を貶める病名はやめて,the deeply forgetful(!)という言葉を使用すべきとの主張であった.認知機能により人間を判断するのではなく,その人間性に価値を見出す努力をするよう訴えていた.認知症患者さんのなかにも,その人の持つアイデンティティーを継続して見出すことは可能で,そのことが周囲のものに希望をもたらすのだとおっしゃっていた.

また治療に関する自己決定に関する講演もあった.演者の主張は,現代の医者の最大の問題は,治療の選択に関して「どうしますか?」と聞きすぎで,重大な選択になればなるほど,(医学的知識が十分ではない)患者と家族に選択を委ねようとしている,それは本当に「自己決定の尊重」なのだろうか?単に医師の義務を矮小化しているのでは?というものであった.個人的にはずっと演者と同じように考えており,共感しながら拝聴した.

また,一般演題で,究極の認知症とも言える「クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)における病名告知,治療の検討」を報告した.以下,その内容をまとめたい.

近年,筋萎縮性側索硬化症などの神経難病においても,病名告知や治療方針の自己決定が多くの患者に対して行われるようになった.しかしCJDにおける病名告知は,急速進行性の認知症に伴う意思決定能力の喪失や,病初期における診断の不確かさによる告知時期の逸失などの理由で,従来,行われることはほとんどなかった.しかし,近年,頭部MRI拡散強調画像(DWI)により発症早期の診断が可能になったことから,診断時において認知機能が保たれている症例を見出す可能性が考えられる.このため,我々は,CJD患者における病名告知や治療方針の自己決定の現状と問題点について明らかにすることを目的とした研究を行った.

方法は症例集積研究(ケースシリース)として行った.2003年~2012年に新潟大学医歯学総合病院に入院し,WHO分類によりCJDと診断した症例を対象とした.発症からDWI異常信号を検出するまでの期間,発症から診断までの期間,診断時の認知機能(改訂長谷川式簡易知能評価スケール;HDS-R),病名告知の有無,栄養管理などの治療に関する自己決定の有無(Bernard Loの基準に基づく)を検討した.

さて結果であるが,対象は18例(66.3±14.3歳,男:女=7:11)で,sporadic CJDは14例,genetic CJDは4例であった.発症からDWI異常を検出するまでの期間は中央値1.5ヵ月(0.3~48ヵ月),診断確定までの期間は中央値2ヵ月(0.3~48ヵ月)であった.発症後2ヵ月未満で診断に至った症例は8例であった.HDS-Rは中央値5.0点(0~29点)であり,診断時21点以上であった症例が4例(sporadic CJD 2例,genetic CJD 2例)存在した.本人が希望されCJDの病名告知に至った症例は2例で,両者とも治療方針を自己決定した.これらの2例は身辺整理をし,家族への別れと感謝の言葉を残し,家族に見守られるなかで死を迎えた.

異常,DWIを用いた早期診断により,診断時において認知機能が保たれるCJD患者が存在することを示した.また本人や家族が希望する場合には,病名告知や治療方針の自己決定を検討する必要が考えられた.CJD患者において病名告知を行う意義は大きい.そのメリットとして,①患者の知る権利の尊重,②患者が残された人生をどのように生きるかという自己実現の達成,③財産管理を含めた身辺整理,④患者自身による終末期の治療法の選択が考えられた.一方,デメリット・問題点として,①医師が病状説明を繰り返す時間的余裕のなさ,②患者が病気と死を受容する時間的余裕のなさ,③病名告知が患者に与える衝撃の大きさへの家族の憂慮が考えられた.

また病名告知を行う際に考慮した点として,①最初に誰に告知をするか?,②患者さんの病前性格はどうか?(告知に耐えられるか),③本人が病名を知りたいか?どの程度,知りたいか?④ 告知後のサポート,家族へのグリーフケア,遺伝カウンセリングは可能か?が挙げられた.

さらに治療の自己決定に関しては,本当に病状を理解し,治療を選択する能力があったのかについての評価が難しく,病名告知のあり方や検証の方法についても検討が必要と考えられた.DWIによる検索が広く行われれば,認知機能の保たれたCJD患者が増加する可能性があり,今後十分な議論が必要と考えられた.

本研究は臨床神経学に掲載予定で,発表スライドは以下にアップロードしました.

スライド

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