Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

Twitter @pkcdelta
https://www.facebook.com/GifuNeurology/

“私の人工呼吸器を外してください”~「生と死」をめぐる議論~

2009年02月03日 | 運動ニューロン疾患
 2月2日(月)放送のNHK「クローズアップ現代」にて,上記タイトルの放送が行われた.非常に重要な内容と思われたので,以下にその放送の要点を述べたい.

 「私の病状が重篤になったら,人工呼吸器を外してください」このように訴えているのはALS患者さんで千葉県勝浦市に暮らす照川貞喜さん(68歳)である.照川さんは49歳でALSを発症し,その3年後に人工呼吸器(TPPV)を装着した.現在,発症後20年が経過しているが,その間,ALSの実態を伝えるため各地を訪れたり,「伝の心」を使って「泣いて暮らすのも一生 笑って暮らすのも一生(岩波書店)」という著作もなされている.発症後,つねに前向きな闘病生活を送ってこられた患者さんである.

 ALSは徐々に残存する機能を奪う病気である.輝川さんは発症してからの20年もの間,自ら死を選択することの是非についてずっと考えてきたそうだ.海外では非常に関心の高いテーマであり,活発な議論がなされているが,日本ではずっと避けてこられた課題である.

 照川さんは,病状が悪化し意志の疎通ができなくなった時点を「精神的な死,自分の死」と考えた.家族もそれが本人の恐怖心を取り除くことになるのであればとその考えに同意した.照川さんは,意志の疎通ができなくなったら人工呼吸器を停止し,死を求める要望書を,わずかに動く右頬だけで「伝の心」を操作し,9ページにも及ぶ要望書を仕上げ,主治医の勤務する亀田総合病院に提出した.要望書では「意思の疎通ができなくなるまでは当然のことながら精いっぱい生きる.そのあと,人生を終わらせてもらえることは『栄光ある撤退』と確信している」と述べている.尊厳死,安楽死という議論を避け,最後まで生き抜く,だけど最後に「栄光ある撤退」をしたいと言っているのである.この問いにわれわれはどのように答えるべきであろうか?

 亀田総合病院は倫理委員会を設置し,照川さんの要望を認めるべきか,1年間に及ぶ議論を行った.この結果,昨年「照川さんの意志を尊重すべき」という画期的な判断を全会一致で示した.委員からは「照川さんの意志を尊重しないことが,むしろ倫理に逆らうことになる」といった意見や「自分の生きてきた証として,死に対する想いであるわけだから,その重みをわれわれは大切にすべき」といった意見が聞かれた.しかし,現行法(刑法)では呼吸器を外すと医師が自殺幇助罪等に問われる可能性がある.このため,病院長は現時点ではこの要望は受け入れられないとしている(ただし,「患者の選ぶ権利」について今後徹底した議論が必要と述べている).

 照川さんの要望書は,ほかの患者さんや家族にも大きな波紋をもたらした.賛成の声が上がる一方,命を自ら終りにすることは到底,認められないとする意見や,呼吸器をはずすことが法律で認められると,患者自身の本意ではなくてもはずすことが強いられるケースも出てくるのでないかという意見もあった(注).いずれにしても照川さんの要望書は,患者が望む「命の選択」を社会がどのように受け止めるべきか,受け止める準備ができているのかというとても重い問いかけをするものである.

注;個人的には呼吸器を外す権利の是認は,むしろTPPV導入の増加につながるのではないかと思うのだが,いかがなものか?

 ノンフィクション作家の柳田邦男さんは以下のようにコメントしている(多少,表現は違うかもしれないがご容赦願いたい).「あらゆる機能が失われ,コミュニケーションをとれなくなる状態に置かれた時の苦しみは,健常者にはとても想像ができないものである.患者の自己決定を認められないという現在の社会はとても過酷である.こうした患者さんに医学・医療がどのように対応していくべきかという問題に,日本が向き合ってこなかったことが,この照川さんの事例において凝縮して現れ,社会に何が必要なのかを問いかけている.現代医学は延命を目指してきたが,その治療の限界に及んだ時,人工呼吸器をいつはずすのかという議論をずっと棚上げにしてきた,そのことがいま問われているのだ.人工的にひとの命を延ばした場合,どこで終わりにすることができるのか,現代医学と社会の抱えるジレンマといえる問題だ」

 さらに以下のようにも述べている.「人間には生物学的な命だけでなく,精神的な命という面もあり,かつそれはとても重要なものである.まずは命の精神性の重要さをしっかり認めるべきである.このためには刑法を超えた論理,法律が必要になるが,これは倫理委員会を二重構造で作り対応すべきではないか.つまり現場の医療機関を中心に形成され,具体的な話を行う倫理委員会と,より全体的な視野をもって議論する国レベルの倫理委員会が必要だろう.国民全体が参加し,オープンな議論が行われ,かつその議論は個々の事例に対して別々に行われるべきである.社会支援のシステムが必要であり,さらに生きている人を称え,命の精神性を称えるといった文化が必要である」

 私は柳田邦男さんの考えを支持する.ただどのような結論に至るにせよ,まずは今まで棚上げにしてきたこの重要な課題に正面から向き合うことが必要だと思う.神経内科医には,ALSという情け容赦ない病気の真実や患者さんが抱える問題を社会に正しく伝え,「命の選択という権利」の行使の是非についての議論をどのように進めていくべきか示すという意味において積極的な役割を果たすべきと考えられる.最後になるが,ALSにおける人工呼吸器の中止に関して深く考えたい方は,ぜひALSマニュアル決定版!(月刊「難病と在宅ケア」編集部)のなかの「人工呼吸器の中止を巡って(新潟大学脳研究所神経内科 西澤正豊教授著)」をご一読することをお勧めする.

NHK「クローズアップ現代」2009年2月2日放送 
Comments (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神経サルコイドーシスに対す... | TOP | International stroke confer... »
最新の画像もっと見る

6 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (padre de terra)
2009-02-03 22:02:12
ご無沙汰しております。さて、先生はSanDiegoは行かれますか?私は当科の教授と二人で行くこととなりました。またご予定をお教えください。よろしくどうぞ。
返信する
Unknown (管理人)
2009-02-04 03:47:47
お元気ですか.私も今年はデータを携えて参加します.お目にかかることを楽しみにしています.
返信する
つたない考えですが (shin-nai)
2009-02-05 02:10:36
おおむね、同意できるのですが
柳田邦男氏の
>このためには刑法を超えた論理,法律が必要になるが,これは倫理委員会を二重構造で作り対応すべきではないか.
ということでは、
亀田院長の
>しかし,現行法(刑法)では呼吸器を外すと医師が自殺幇助罪等に問われる可能性がある.このため,病院長は現時点ではこの要望は受け入れられないとしている
という問題にこたえられないのではないでしょうか。

刑法の改正は、ハードルが高いかもしれませんが、憲法と比べればずっと楽なはずです。実際、今までも改正されてますし。
国会議員の過半数の賛成でいいのです。有権者がどのような議員を選ぶか、が問題なだけです。
まあ、結局は、有権者が自分自身にも起こりうることとして考えられるかどうか、ではないでしょうか。

これまで自分の受け持ちや、同僚後輩の患者さん・家族をみてると、体験しないことにはやっぱり、
個人的には悲観的観測にたどりつくのがorzですが…

現行法でなんとかする方法として、自己決定権の侵害として主治医を告訴してもらい、主治医が敗訴することにより
裁判所命令でレスピレータがはずせる……無理かな?
返信する
初めてコメントします (さかな)
2009-02-06 22:58:46
以前からちょこちょこ読ませていただいています。
神経内科初心者のものです。

意思の疎通はできないが、意識はある。
なかなかこの感覚が医療者や経験した患者、家族でないと理解できないのではないのでしょうか。
疾患の特性を考えてもらって、刑法でもALSに限り何か違う特例をつけてもらえるようになると道が開けるのでは・・・
そしてそれが人工呼吸器にまつわる全体の議論に広がっていくとさらに良いのですが・・・
返信する
Unknown (一在宅医)
2009-02-13 00:18:42
現在の生業は訪問診療を行なう開業医です。神経内科の出身で、普段は主に神経難病の診療を行なっています。
自分の拙い経験でもALSではこのような意思表示を行なう方を時々経験いたしますが、やはりご本人ご家族とも時期やその時の精神状態、療養環境などでご意向が180度変ることを多く経験します。ご提示の方の場合はさておき、それほど強い意思を持って御自分の命の終焉の時期を迷いなく決めておられる方は少ないように思えます。御本人曰く、「あの時は気の迷いでした」と。

ご紹介いただいた記事は、社会への問題定義としては大切だと思うのですが、個々のケースではすでに現実に起こっている問題であり、また人はそれほど強くはなく思うことが変るのが常であります。しかし、意思の弱い、言うことがコロコロ変る患者を人として否定することが有ってはなりません。
一般論として呼吸器を外すことが是とされる事に反対します。なぜなら、意思表示ができなくなった後に、それでもまだ生きたいと思い直すことがあるかもしれないからです。
返信する
はじめまして (チャミ)
2009-02-13 23:10:56
家族にALS患者を持つ者です。
人工呼吸器の問題、とても関心を持って読ませていただきました。

照川さんは危篤時に外したいと望まれていますが、その他の呼吸器を付けた患者さんが「外したくなる」と思うときはどんな時なんだろう?
そこが一番知りたいです。
返信する

Recent Entries | 運動ニューロン疾患