Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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続 ナチスと神経内科.Anton症候群 -Gabriel Antonの業績が抹消された理由-

2017年09月24日 | 医学と医療
回診でAnton症候群について議論をした.名称の由来になったGabriel Anton(図左:1858-1933)に関心をもち,文献を渉猟していくうちに,予想外のことを学ぶことになった.

【Anton症候群とは】
Anton症候群は稀ではあるが有名な症候群である.視力障害があるのに,本人は見えていないという自覚がない.つまり,全部または一部の視覚を失っていながら,本人は見えていると証言をするのだ.視覚障害の証拠を示しても,作話により視覚障害を否定する.このため家族や医療スタッフは,目が見えないことに気がつくのに数日かかることもある.

これは病態失認(anosognosia)のひとつである.皮質盲に伴う病態失認をAnton症候群,片麻痺に伴う病態失認をAnton-Babinski症候群と呼ぶ.Antonが初めてこの症候を記載したわけではなく,初めてその病態生理に関する仮説を示したため,その名前がついた.Antonは視覚野と身体自己像を認識する中枢(これがどこかまでは記述していないが,頭頂葉と考えられる)のあいだの線維連絡が遮断されたため,病態失認が生じると考えた.現在使われる神経ネットワークや離断症候群の概念に通じる考えである.

原因としては脳卒中が多く,その他,PRES(posterior reversible encephalopathy syndrome),副腎白質ジストロフィー,ミトコンドリア脳筋症,子癇前症などが報告されている.また後頭葉てんかんの発作後に生じ,徐々に改善するという報告もあるが(Clin Neurol Neurosurg. 2012),個人的にも同様の経験をした.

【Antonの輝かしい業績】
Antonは1858年,当時オーストリア領であったボヘミアに生まれた.プラハ大学(ドイツ語大学)で医学を学んだ.彼が神経学の指導を仰いだのはキアリ奇形で知られるHans Chiari,ピック病で知られるArnold Pick,そしてPickの師であり,マイネルト基底核で知られるTheodor Meynertという錚々たる教授陣だった.彼は大脳発達障害に関する研究を行い,1889年に精神・神経科教授となり,現代医学に貢献する輝かしい多岐にわたる業績をあげた.

まず舞踏運動(コレア)の病態機序を解明した.シデナム舞踏病を研究し,その責任病巣を線状体とした上で,線条体は下位にある淡蒼球などを抑制的に制御するため,線条体が障害されると下位中枢の作用が亢進し,運動過剰になると説明した(田村はこの功績をもってAntonを「錐体外路系研究の祖」と呼んでいる).それまで舞踏運動に関して,Pickは錐体路の機能亢進が原因と主張し,Charcotは舞踏運動固有の線維束が存在すると主張していたことを考えると,Antonの先見性には驚かされる.

またAntonは神経損傷患者のリハビリテーションを行い,現在の神経可塑性の概念の基礎を作った.加えて,水頭症と頭蓋内圧亢進の関係を見出し,治療にも取り組み,脳梁穿刺術(内シャント)を発明した(図右).Antonは神経学の中心的存在になったが,ナチ政権成立した1933年に75歳で亡くなった.

【Antonの業績が抹消された理由】
 しかし私は,Antonのこれほどまでに輝かしい業績を今回,初めて知った.おそらく多くの神経内科医もそうではないだろうか.文献を読み進めていくと,田村とKondziellaによる2つの論文にたどり着き,彼の業績が抹消された理由が分かった.Antonは「民族衛生学(racial hygiene),優生学(eugenics)」を強く支持していたため,英語圏の研究者からその存在や業績を抹消されたのだ.

「民族衛生学」は,民族の存亡に関わる疾病や現象への対策を考える学問である.具体的には遺伝性疾患の予防や撲滅,精神障害,犯罪などの根絶,さらに人口調節など民族の保全・充実を目的とする.ナチスドイツは,ゲルマン民族の優位性を維持する手段として,この「民族衛生学」の考え方を採用し,そしてその強化を試みた.つまりユダヤ人,ジプシー.同性愛者,回復の見込みのない精神病患者などを「生きる価値のない生命(Lebensunwertes Leben)」と法律で定め,ホロコースト(大量虐殺)のプログラムを行なった.その理論的根拠となったのが「民族衛生学」であり,Antonはこの学説を強く支持した学者の1人であった.Antonはナチ政権成立前に亡くなったためホロコーストには関わっていないが,HallorvordenやSpatzなど多くの医師・医学者はこれに関与した.このなかには優れた学問的業績を残した人も少なくなかった.

【私たちは何を学ぶべきか?】
まず私たちが知っておくべきことは,ナチスによるホロコーストは,単に人間の狂気や残虐性の結果起きたのではなく,未熟であったとはいえ科学的な学問に基づき,導き出された政策であったという点である.ナチ政権成立前夜の時期において,ドイツ全土の大学病院に多数の弟子を擁していたというAntonの主張が,ナチの指導者のみならず医師,医学者に大きな影響与えたことは疑念の余地がないと言われている.「医学は政治と同調しやすい(ナチスと神経内科参照)」ことを改めて認識し,医学における倫理教育を確実に行なう必要がある.

もうひとつ知っておくべきは,HallorvordenやSpatzと同様,医学研究の業績は政治的な理由で抹消されうるという点である.これはその非人道性から当然だという意見もあるだろう.一方で,田村は「学問が政治から独立して発展するためには,異なった時代や社会の体制からの視点で,過去の研究の研究者の言動を批判することは当然良いとしても,業績まで抹消してはならない」と述べている.私もAntonが「民族衛生学」を支持し,それを政権に委ねる結果になった点は非難されてしかるべきと考えるが,あれほどの第一級の業績を残したことまで無にするのは学問が政治から独立しているのか,健全な状態と言えるのかと考えてしまう.

「ナチスと神経内科」と題した2つのブログ記事を記載したが,いずれも医学は政治と相互に強く影響を及ぼし合うことを感じさせるものであった.新しい生命科学技術が急速に発展する現代においても,この点は意識しておく必要があるように思われた.

田村直俊.Gabriel Anton (1858-1933)と消された業績.神経内科68;403-8, 2008
Kondziella D, et al. Anton's syndrome and eugenics. J Clin Neurol. 2011 Jun;7(2):96-8.
Cheng J, et al. Occipital seizures manifesting as visual loss with post-ictal Anton's syndrome. Clin Neurol Neurosurg. 2012 May;114(4):408-10.






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利根川進先生の講義@世界神経学会議(京都)

2017年09月21日 | 認知症
【利根川博士は憧れの人】
世界神経学会議にて,1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞された利根川進先生の講演を,感激しながら拝聴した.いまの若者が山中伸弥先生のお話を聴いて目を輝かせるのと同様に,当時20歳であった私は,利根川先生がご自身の研究について語った「精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか (文春文庫)」を貪るように読んだ.この本は,大学院を卒業して,自分の進むべき方向が分からなくなった時,偶然読み直し「一人の科学者の,一生の研究時間なんてごく限られている. 研究テーマなんてごまんとある.ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでいたら,本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終わってしまうんですよ」という言葉を見つけて,自分が脳梗塞の創薬研究を一から始めるきっかけになった本である.

【研究に一貫性は必要か?】
実は山中伸弥先生も利根川先生の影響を受けたそうだ.山中先生はiPS研究に辿り着く前,数年で2,3回も研究テーマを変えている.山中先生は「日本では研究テーマの一貫性が評価の対象になっていますが,それについて先生はどうお考えですか?」と質問をされたと述べておられる.「別に持続性なんかなくたっていいと思います.面白いことを科学者はやるべき.僕は割と飽きるたちですから,同じテーマを一生やるなんて考えられない」という利根川先生の言葉に,山中先生は救われたそうである.実際,利根川先生自身もノーベル賞受賞の対象となった「抗体の多様性生成の遺伝学的原理の解明」から,研究テーマを大きく変え,記憶の研究に取り組まれた.スケールは違うかもしれないが,私もいろいろなテーマに取り組んできた.これは利根川先生のことばの影響が少なからずあると思う.

【記憶研究の現状 ―記憶の書き換えはすでにできる―】
記憶研究は光遺伝学(オプトジェネティクス)の開発により大きく発展した.驚くべきことに,映画「トータル・リコール」や「インセプション」のように,動物実験レベルでは,記憶の書き換えがある程度可能になっている.光遺伝学は,神経細胞にチャネルロドプシンという蛋白を発現させると,ブルーライトを当てることで(写真左),マウスを生かしたまま,特定の神経細胞の活動を恣意的にコントロールしたり,複数の神経細胞の活動を同時に記録したりする技術である.利根川先生らは以下のことを明らかにした.

1)記憶は特定の神経細胞群の回路に蓄えられている.つまり記憶は,海馬の歯状回にある記憶痕跡細胞群(エングラム細胞群という)のなかに,核酸やタンパク質に暗号化されて保存されている.例えば,ある部屋に入ると電気ショックを受けるような「嫌な記憶」をマウスに覚えさせたあと,同じ部屋に入れると「すくみ現象」が生じるが,これは「嫌な記憶」が特定のエングラム細胞群に保存されたため生じる.光遺伝学でこれらの細胞群を刺激すると,異なる部屋で,電気ショックを与えなくても「すくみ現象」を再現できる.
2)「嫌な記憶」ではなく,オスのマウスがメスのマウスと一緒に過ごすような「楽しい記憶」に変えると,それぞれの記憶を保存するエングラム細胞群は,異なる場所(扁桃体基底外側核の後方と前方)に存在し,かつお互いを抑制しあう.
3)アルツハイマー病(AD)の記憶障害は,記憶を新しく作れないのか,記憶を正しく思い出せないのかいまだ不明であるが,ADのモデルマウスで,海馬の歯状回のエングラム細胞群を直接,光遺伝学で活性化すると「失われた記憶」を回復できた.写真右はADマウスの海馬の歯状回のエングラム細胞(緑色)で,この細胞への内側嗅内皮質(赤色)からの入力を光刺激によって増強すると,記憶が回復することができる.もしかしたらAD患者の記憶も失われておらず,思い出せないだけかもしれない.
4)記憶には「誰が,いつ,どこで,どうした」という情報があるが,この中で「誰」という情報は,海馬の中の腹側CA1領域という場所に貯蔵されていた.マウスでこの領域を刺激することで,ほかのマウスの記憶に,恐怖や快感の記憶を人為的に植え付ける(書き換える)ことができるようになった(いわゆるメモリー・インセプションで,まるでSFの世界).
5)記憶は海馬から大脳皮質へ転送され,固定化されると考えられてきたが,このとき大脳皮質(前頭前皮質)のエングラム細胞群は成熟し,逆に海馬のエングラム細胞群は脱成熟する.つまり記憶想起に必要なエングラム細胞群の活動の場が,海馬から大脳皮質に切り替わるのだ.
6)記憶の書き込みと想起は,海馬のなかの別の回路が担当していた.背側CA1領域から直接,内側嗅内皮質に情報を伝える直接経路は記憶の書き込みに,背側CA1領域から背側海馬支脚を経由して内側嗅内皮質に情報を伝える間接経路は記憶の想起に重要である.

このように利根川先生らのマウスの「エングラム細胞」の研究は,ヒトの記憶研究に,近い将来,大きな発展をもたらすものと思われる.記憶にはさまざまな不思議な現象がある.覚えておくべき試験勉強の要点を簡単に忘れる反面,まったく大切でないことをよく覚えていたり,何かやろうと思って部屋に入ったとたんなぜか忘れてしまうことがある反面,関係のない場面でふと別の記憶が蘇ったりする・・・おそらくこれらの現象は,エングラム細胞の研究で説明されてしまうのではないだろうか(エングラム細胞の誤作動?).さらに認知症の治療も,将来はエングラム細胞に残された記憶を取り戻すことが目標になる可能性もある.ただただ圧倒され,基礎研究と臨床では乖離があることを実感するとともに,あらためて「面白いことを科学者はやるべき」と思った講義であった.





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