Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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運転免許に関連する認知症診断の問題点

2019年04月30日 | 認知症
昨今,高齢者や認知症患者さんにおける自動車運転事故が注目を集めている.さまざまな論点があるが,今回は主に医師サイドの問題,つまり運転免許に関連する認知症診断のあり方を議論したい.八千代病院認知症疾患医療センター川畑信也先生著の「知っておきたい改正道路交通法と認知症診療」は示唆に富む本であり,この内容と最近,警察庁から出された報告書のデータを示しつつ議論したい.

【医師は改正道路交通法における認知症の診断の流れを理解する必要がある】
2017年3月,高齢者に対する運転免許更新の厳格化を目的に改正道路交通法の運用が開始された.75歳以上で免許更新を希望するものは「認知機能検査」の受検が義務付けられている.総得点100点のうち49点未満は第一分類(記憶力,判断力が低くなっているもの)とされ,すべて医師の診断書の提出あるいは臨時適性検査が義務付けられている.医師は診断書で,必ず以下の7つの項目のいずれかにチェックを入れなければならない.この点で,初診の時点で正確な診断を下すことができなくても経過観察が許される通常診療と大きく異なる.

①アルツハイマー型認知症,②レビー小体型認知症,③血管性認知症,④前頭側頭型認知症,⑤その他の認知症,⑥認知症ではないが認知機能の低下が見られ,今後認知症となる恐れがある,⑦認知症ではない.


「第一分類と判定された高齢者の多くは基本的に認知症に進展しているとの視点で診療を進めていくべき」と川畑先生は指摘されているが,私も同様の意見である.このため⑦「認知症ではない」と記載するためには絶対に認知症ではないとの証拠固めをする必要がある.認知症なのか否かの判断ができないときには⑥を選択する.この場合,半年間は確定診断を下すことに猶予が与えられるが,認知症の診断に消極的であったり,自信がないという理由で判断の先送りをした場合,交通事故のリスクがある状態での運転を認めることになってしまう.

【医師は正しく認知症の診断を行わねばならない】
2017年11月に「月刊交通」誌に掲載された「改正道路交通法に基づき提出される認知症診断書の現状と課題」 によると,診断書の内訳は,認知症(上記①~⑤)が19.1%,⑥認知機能低下が57.1%,⑦認知症ではないが23.7%であった.また平成30年度の警察庁報告書「認知機能と安全運転の関係に関する調査研究」でも認知症(①~⑤)が18.8%,⑥認知機能低下が59.8%,⑦認知症ではないが21.4%と報告されている.つまり第一分類の相当数は認知症に進展している可能性があると考えられるにかかわらず,認知症と診断される割合がわずか20%弱ということになる.警察庁報告書でも⑥の判定保留が2/3と割合が高いことが指摘されている(図).川畑先生は「認知症との診断に自信を持てない,診断したくないとの思いの結果,認知症以外の病名が記載されているのではなかろうか」と考察している.認知症患者さんが交通事故を来すリスクを考えると,診断書を作成する医師は適切に認知症を診断する能力がなくてはならない.


【しかし運転免許に関連する認知症診療は,通常の認知症診療以上に診断が難しい】
運転免許に関連する診療と,物忘れ外来等の通常診療には大きな違いが存在する.すなわち,前者では①認知症が軽微,軽度の患者が多く,そもそも診断が難しい,②物盗られ妄想や暴力行為,幻覚などの周辺症状(BPSD)を示す患者が少ない,③(①②のために)家族が認知症との視点で患者を見ていない,④患者本人が診療に前向き,協力的でないことが挙げられる.①②のような症例を簡便に認知症と診断する方法はなく,詳細で丁寧な問診,診察,神経心理検査,画像検査を行い,総合的に臨床診断を下すしかない.

【運転免許に関連する診断では,家族から認知症を疑う病歴を聴取しにくいことを認識する】
上述のように,認知症が軽微,軽度の場合,かつ目立った周辺症状を示さない場合,家族はおかしいと思わず,生活にも支障はないと考えるため,本人が運転免許を更新したいと述べても反対しないことも多い.このため,家族から物忘れ症状の進行の悪化を聴取できる事例は少ない.家族の話を鵜呑みにしないことも必要である.
また家族との議論において,とくに程度が軽微である事例や診断書作成に納得されていない事例では,不満にともなうトラブルが生じる可能性がある.家族の態度からトラブルが予想される事例や,認知症の診断が難しい事例は,かかりつけ医,非専門医は専門医に紹介したほうが無難と思う.

【家族と医師は自主返納制度を有効に利用する】
警察庁報告書(図)を見てわかるように,免許断念のなかで最も多いのが自主返納である.自主返納のきっかけは自分からが66%(からだが弱ってきた>高齢者による事故のニュースを見た)で,残り32%は家族(家族からの一言)である.医師の勧めは1%未満と想像以上に少ない.第一分類となった場合,家族はその意味の重さを認識する必要がある.医師も診断書作成を依頼された際,自己返納制度を積極的に伝える必要がある.家族や医師が自主返納の勧める方法としては,①年齢,運動機能の衰えを伝える,②交通事故の重大さを伝える,③賠償金や罪の重さを伝えるといった方法がある.

【認知症の病型ごとの問題を知る】
最後に,認知症の種類によって交通事故や交通違反の内容に違いがあることを知っておくべきである.「レビー小体型認知症や血管性認知症ではとくに交通事故を起こしやすい」ので注意が必要である.逆に交通事故や違反の種類は,認知症の病型を推定することにも役立つ.以下,病型ごとの特徴をまとめる.

①アルツハイマー型認知症:記憶障害や見当識障害,注意障害が原因となる.交通違反(赤信号無視や一時停止違反など)が多い.自分で起こした事故について覚えていない,あるいは適切に説明できない.
②レビー小体型認知症:視覚認知障害によって物損や追突,中央線越えなどの事故を起こす.覚醒度の変動や一過性意識消失によって人身事故を起こしうる.
③前頭側頭型認知症:社会的規範を守れず,速度違反で捕まる.また交通事故を起こしても我関せずで,現場から立ち去ったり,事故関係者への執拗な攻撃が見られる可能性がある.
④血管性認知症:運動障害(片麻痺や運動失調)や思考動作の緩慢が原因で事故を起こしやすい.

【終わりに】
医師は運転免許に関連する認知症診断が難しい理由(とくに家族からの病歴聴取の難しさ)や,認知症ごとの運転リスクを正しく理解する必要がある.認知機能検査で第一分類となっても本人が運転継続を希望した場合,家族や医師も客観的に運転を継続することの是非を考え,その結果によっては診断書作成前に自主返納を勧める必要がある.安全と引き換えに生活の足を手放した高齢者へのサポートのあり方が問われていることは言うまでもない.遠方の専門病院への通院回数を減らすために,近隣のかかりつけ医を探し連携するなど医師にもできることはある.

川畑信也.知っておきたい改正道路交通法と認知症診療(中外医学社2018)
平成30年度 警察庁事業「認知機能と安全運転の関係に関する調査研究」(2019. 3月)
川端信也.認知症患者における自動車運転の実態.日本精神科病院協会雑誌35. 455-462. 2016




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大脳皮質基底核症候群の背景病理はFDG-PET低代謝パターンで推定できる

2019年04月27日 | その他の変性疾患
大脳皮質基底核変性症(corticobasal degeneration; CBD)という名称は病理診断名として使用され,代わって大脳皮質基底核症候群(corticobasal syndrome; CBS)という名称が臨床診断名として使用される.CBSの背景病理は,CBDのほか,アルツハイマー病(AD),進行性核上性麻痺(PSP)などさまざまな疾患が認められる.将来の病態抑止療法を成功させるためには,正確な背景病理の診断が必要であるが,臨床像や頭部MRIから背景病理を予測することはきわめて難しい.

今回,イタリアから,背景病理の生前診断にFDG-PETが有用であるという研究が報告された.研究の目的は,①背景病理ごとに特定の低代謝パターンを示すのではないか?そして②背景病理によらず,共通して低代謝を呈する部位は存在するのか?という2つの疑問を検討することである.①に関しては,著者らは異なるタンパク質ミスフォールディングは(CBSを呈しても)異なる脳内病変(=低代謝)分布を来すはずと考えたのだ.

対象はCBS 29例で,いずれの症例もFDG-PETが行われ,かつ剖検により診断を確定した.内訳はCBS-CBDが14例,CBS-ADが10例,CBS-PSPが5例であった.また年齢をマッチさせた健常群13例を加え,FDG-PET所見の比較を行った.

結果であるが,CBSの3群間で運動,認知に関するスケール(Mattis Dementia Rating Scale およびfinger tapping score)において有意な相違は認めなかった.問題のFDG-PET所見は,健常者と比較すると,以下の違いを認めた.

1)CBS全例:perirolandic areaや基底核,視床を含む一側性の前頭・頭頂部の低代謝
2)CBS-CBD:1)と同様であるが,より顕著で,対側の基底核まで含む低代謝
3)CBS-AD:外側頭頂・側頭葉と後帯状皮質を含む,後方,非対称性の低代謝
4)CBS-PSP:内側前頭部と前帯状皮質を含む,前方の低代謝


また3群の比較で,唯一,一次運動野の低代謝が背景病理によらず共通して認められた.

以上より,CBSでは異なる背景病理はそれぞれ特有の低代謝パターンを呈する可能性が示唆され,FDG-PETがCBSの背景病理の推定に有用であるものと考えられた.FDG-PETと病理診断を行った症例を29例も集積したことは本当に大変なことであるが,それでも各群の症例数は十分とは言えず,さらに症例を集積し,FDG-PETを用いた生前診断の有用性を検証する必要があろう.

Pardini M et al. FDG-PET patterns associated with underlying pathology in corticobasal syndrome. Neurology. 2019;92(10):e1121-e1135.



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「非定型パーキンソニズム ―基礎と臨床―(文光堂)」近日刊行のお知らせ

2019年04月23日 | その他の変性疾患
ずっと作りたいと考えてきた書籍が,多くの仲間や先輩の先生方のお力を借りしていよいよ完成し,5月の日本神経学会学術大会に合わせて刊行されることになりました.本書は洋書にしかなかった「非定型パーキンソニズム」に関する専門書で,エキスパートの先生方に「将来,非定型パーキンソニズムに取り組みたいと思う臨床医,基礎研究者が増えることに貢献するような書籍を作りたい」とご執筆を依頼し,ご快諾を得てできたものです.

第Ⅰ章総論では詳細な症候の理解や,疫学,バイオマーカー,リハビリテーション等について議論し,第Ⅱ章各論では疾患ごとの歴史,診断基準,mimics,画像・病理所見,治療をご提示いただきました.さらに第Ⅲ章では病態解明と治療法の確立に向けた最新情報をまとめていただきました.いずれの項目でも,今後の課題をご提示いただき,本邦からの新たな知見やエビデンスの発信に貢献することを目指しました.

病態抑止療法への取り組みで大きく変貌する多系統萎縮症,進行性核上性麻痺,大脳皮質基底核変性症,レビー小体型認知症などの診療を理解するための最高の書籍に仕上がりました.ぜひご一読ください.

非定型パーキンソニズム ―基礎と臨床―(文光堂)






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新たな髄膜脳脊髄炎「自己免疫性GFAPアストロサイトパチー」についての検討

2019年04月21日 | その他
髄液抗GFAPα抗体が陽性で,ステロイド治療が奏功する新たな疾患「自己免疫性GFAPアストロサイトパチー」が報告されている(JAMA Neurol 2016; 73: 1297-1307;Ann Neurol 2017; 81: 298-309).この疾患の臨床像はステロイドを含めた免疫療法が有効な髄膜脳(脊髄)炎で,特徴的な画像所見として傍脳室部の線状・放射状の造影所見と脊髄における中心管周囲病変を認める.約2割で悪性腫瘍を合併することも報告されている.しかし本邦における検討は十分ではないため,岐阜大学脳神経内科の木村暁夫准教授らを中心とするグループで検討を行った.

方法は,当科が経験した炎症性中枢神経疾患225例[自己免疫性疾患(自己免疫性脳炎,MS,NMO,MOG抗体関連疾患など)98例,感染性疾患58名,原因不明69名]と非炎症性神経疾患35例を対象として,cell based assay(CBA法)およびラット脳スライスを用いた免疫染色の双方で髄液抗GFAPα抗体を検索した.その後,抗体陽性例の臨床・画像所見や治療反応性を後方視的に検討した.

さて結果であるが,CBA法では炎症性中枢神経疾患225例中14例(6.2%)の髄液で抗体陽性で,ラット脳免疫組織染色でも全例でアストロサイトが陽性に染色された.抗体陽性の頻度は,当科が同一期間中に経験した抗NMDA受容体抗体脳炎と同等で(13名),自己免疫性GFAPアストロサイトパチーは日本人では決して稀な疾患ではないことが分かった.

抗体陽性例の臨床診断名は,原因不明の髄膜脳炎8例,ADEM 4例,抗NMDAR脳炎1例,梅毒性髄膜炎1例であり,平均年齢42歳,男女比は8:6であった.2例で腫瘍を合併し,いずれも卵巣奇形腫であった.その他自己抗体として,1例で抗NMDAR抗体を認めた.初期症状は発熱(93%),頭痛(79%)が多く,発症から入院までの日数は平均9.8日,経過中に意識障害(79%),髄膜刺激徴候(71%),振戦・ミオクローヌス (64%),腱反射亢進(57%),排尿障害(57%),小脳性運動失調(43%),精神症状 (36%),呼吸障害(29%)を認めた.

検査所見では,持続する低Na血症を高率に合併し(57%),SIADHに伴うものと考えられた.髄液検査では単核球優位の細胞増多(平均168/μL)と蛋白量の増加(平均183 mg/dL)を認めた.髄液細胞増多は遷延し,正常化が得られるまでに発症から数ヶ月を要した.多くの症例で急性期に一過性の髄液ADAの上昇を認めた。頭部MRI異常所見を64%に認めた.T2WIやFLAIRでは,大脳白質(A),脳幹(B,C),基底核(D)に高信号を認めた.また視床の後部の高信号(矢印;D,E)は,傍脳室部の線状・放射状の造影所見(矢頭;F)とならび本疾患に特徴的な所見と考えられた.

治療については,13例(93%)で,発症から平均14日目にステロイド点滴治療が開始され,7例(50%)でプレドニゾロンの後療法が平均177日間施行された.予後は良好でmRSの中央値が5(入院時)→2(最終観察時)であった.入院期間は中央値48日,後遺症として3例に排尿障害を認めた.再発例は認めなかった.

以上の検討で今回明らかになった点は以下の3点である.
1)運動異常症(振戦,ミオクローヌス,小脳性運動失調),自律神経障害(排尿障害),低Na血症を合併すること.
2)髄液所見では,単核球優位の細胞増多は数ヶ月持続し,急性期に一過性のADAの上昇を認めうること.
3)特徴的な画像所見として,視床後部に異常信号を呈すること.


本疾患における抗GFAP抗体の意義については,おそらく病原性はないと考えられている.既報では,GFAP特異的CB8+ cytotoxic T cellが病態に関わるという説や,他の未知の抗体が病態に関わっているという説が記載されている.ただし,一般的にcytotoxic T cellが関与する病態は免疫療法に抵抗性であるため,なぜ,本疾患は治療反応性が良いのかは明らかにされていない.抗GFAP抗体以外の因子(サイトカイン,ケモカイン,ミクログリアなど)が重要な役割を担っている可能性も指摘されている.

結論として,自己免疫性GFAPアストロサイトパチーは,本邦では決して稀ではなく,原因不明の髄膜脳脊髄炎やADEMでは鑑別診断に挙げる必要がある.ステロイド反応性は良好であるため,上記の特徴を念頭において早期に診断し,治療を開始する必要がある.

Kimura A et al. Clinical characteristics of autoimmune GFAP astrocytopathy. J Neuroimmunol.2019;332:91-98.



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90歳になっても神経細胞は新生し成熟する! ―アルツハイマー病治療へのインパクト-

2019年04月09日 | 認知症
アルツハイマー病(AD)は,記憶に関わる神経細胞が変性し,徐々に失われていく疾患として捉えられてきた.今回紹介する論文は,この定説を否定しうるものであり,先日紹介したADは歯周病菌によりもたらされるという研究に匹敵するほどのインパクトがある.アミロイドβやタウを中心に進められてきたAD治療研究であるが,最近の驚くべき報告を読むと,まだまだ想像もつかない発見がこれからなされるのではないかと思わずにいられない.

【背景:覆された定説】
学生の頃,「成人の脳では,新たな神経細胞は決して生まれない」と教わった.これはスペインの神経解剖学者で「巨人」とも言われるラモン・カハールが,他の臓器と違って,脳には生まれたばかりの未成熟な神経細胞がまったく見当たらないという記載に基づくもので,以後,定説となった.ところが20年ほど前,米国ソーク研究所から,この説を否定する研究が報告された.げっ歯類の検討で,記憶を作り出す「海馬」の「歯状回(小児の歯のような隆起が一列に並んでいる部位)」に,例外的に神経細胞が生まれ続けているという報告であった.成体海馬における神経細胞発生(adult hippocampal neurogenesis;AHN)と呼ばれる現象である.この細胞が減少すると,学習と記憶も衰退することも明らかにされた.

問題はヒトではどうかということだが,2018年になり,ヒト成人脳における神経細胞の新生は「ある」という報告と「ない」という報告,つまり相反する研究論文が続々と発表された.この理由は,死者脳の検索では,ドナーの生前ないし死後の状態がさまざまであること,さらに神経細胞の新生を調べる実験プロトコールも研究室によってさまざまであることが影響していると推測されていた.とくに未成熟神経細胞のマーカーとして広く利用されている「ダブルコルチン」は細胞骨格の微小管と結合するため,標本の固定条件をきわめて厳密に決めないと検出できない恐れがあった.このため,ヒト成人脳の海馬(図A)の歯状回における神経細胞の新生を正確に評価する方法の開発が求められていた.

【ヒト成人脳における未成熟神経細胞の観察技術が開発された】
最新号のNature Medicine誌に,スペインの研究グループが,未成熟神経細胞を可視化する実験プロトコールを発表した.具体的には死亡から脳組織の固定までの時間を短縮し,標本の固定条件を最適化し,自家蛍光を抑制し,抗原を賦活化し,そしてダブルコルチンの複数の抗体を検証した.さらにさまざまな細胞マーカーを用いた免疫染色を行い,未成熟神経細胞の発生から成熟神経細胞に至るまでの各ステージを判別できるようにした.この努力の結果,以下に示す2つの知見が明らかにされた.

【知見1:健常者では87歳になっても神経細胞の新生と成熟が見られる】
43~87歳の13名の健常成人の海馬歯状回を対象として,未成熟神経細胞の成熟化の過程を示すさまざまなマーカーを用いた免疫染色を行った.この結果,未成熟神経細胞は老化とともに減少はするものの,先行研究よりもはるかに多い細胞が87歳のヒトにおいても存在し,さらにさまざまな成熟段階の神経細胞も確認された.ダブルコルチン陽性細胞は海馬歯状回にのみ存在し(図Bの赤い細胞),この細胞から派生したと考えられる分化細胞が存在していた.つまり,ヒト海馬では,一生,新たな神経細胞が生み出され,その神経細胞は既存の神経ネットワークに組み込まれて,学習や記憶などの海馬の機能を維持するものと考えられた.

【知見2:AD患者では神経細胞の新生は減少し,成熟化も顕著に減少する】

次に52~97歳までのAD患者45名の海馬を検討したところ,ダブルコルチン陽性細胞は病期の初期から著しく低下していること,また年齢とは無関係にADの病期が進むほど低下することが明らかになった(図C).さらに神経細胞の分化マーカーを用いた研究から,ADでは未成熟神経細胞の成熟過程が強く抑制されていることも示された.つまりAD脳では未成熟神経細胞は存在するものの,脳回路には組み込まれず,記憶や学習に役割を果たせない可能性が示唆された.

【AD治療への応用と日々の生活への影響】
今までの治療の標的はすでに存在する神経細胞を守ることが目的であった.具体的な標的はアミロイドβやタウであった.しかしもし今回の研究が正しく,「海馬における未成熟神経細胞の減少と成熟の阻害」がADの独立した原因の一つであるなら,アミロイドβやタウに対して治療を行っても,ADを改善できない可能性も出てくる.逆に成体海馬における神経細胞発生や成熟を促進する治療が開発されれば,記憶の低下を抑制し,場合によっては回復できる可能性も生じる.
今後の課題は,未成熟神経細胞の減少がADの原因なのか結果なのかを完全に明らかにすること,もし原因であれば未成熟神経細胞からの成熟過程が,なぜADで抑制されるのかを明らかにすることであろう.動物モデルの検討では,運動やたくさんの刺激がある環境にいることが歯状回神経細胞の増加に良いことも明らかになっている.今後,さらにどんな生活習慣や治療がより良い効果をもたらすか検討が進められるだろう.

【最後に】
本研究はAD治療へのインパクトだけでなく,多くの人を元気づけるものだと思う.脳の神経細胞はある時期から減り続けるのではなく,高齢になっても歯状回にて新しく生まれ続けるのだ.だからこそ私たちは高齢になっても,日々のさまざまな経験を記憶していけるのだ.「年だから物が覚えられないのは仕方がない」と消極的になるのではなく,「海馬では一生,記憶に関わる神経細胞が作られるのだから,頑張って新しいことにチャレンジしよう」という気持ちをもつことが生活を豊かにし,結果的にADに対しても抑制効果を持つように思う.

Adult hippocampal neurogenesis is abundant in neurologically healthy subjects and drops sharply in patients with Alzheimer’s disease. Moreno-Jiménez EP, et al. Nat Med. 2019-03-25 (on line)




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