Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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「機内に医療関係者はいらっしゃいますか?」―脳神経内科医の役割―

2018年08月28日 | 脳血管障害
標題のようなアナウンスに新幹線内で遭遇し対応をした経験はあるが,航空機内での経験はない.しかし飛行機に搭乗する機会は少なくないため,もし医学的緊急事態に遭遇したらどう行動したらよいのか以前から勉強はしていた.今回,Neurology Clinical Practice誌に発表された総説は秀逸であり,既報も含めまとめてみたい.

【増加するドクター・コールと,脳神経内科医の重要性】
航空機内での医師の呼び出しが増加している.その理由は乗客数が指数関数的に増加し,疾患を抱える乗客も増加しているためである.このようなアナウンスに医師が名乗り出るかどうかはしばしば議論されてきた. 2013年にNEJM誌に報告された論文では,航空路の約10%をカバーする調査において,2008年から2010年の間に,11920回の医学的緊急事態があり,これは約600フライトに1回,つまり1時間に1~2回の高頻度ということになる.最も頻度の高い症状は失神で(37.4%),次いで呼吸器症状(12%),悪心・嘔吐(9.5%)であった.失神以外の神経症状としては,痙攣6%,精神症状2.5%,脳卒中疑い2%,頭痛1%,耳痛0.4%となっている.失神の原因は神経疾患のみでなく,循環器疾患,精神疾患,呼吸器疾患でも生じるが,しばしば脳神経内科医がコンサルテーションを受ける.

また到着地外着陸が7.3%で生じている.この原因の54%が神経症状であった.さらに飛行機を降りた後,病院受診が25.8%,入院8.6%,死亡0.3%で認められたが, 入院の59.5%が神経症状によるもので,最も頻度の高い原因は脳卒中であった.すなわち神経症状は機内における医学的緊急事態の原因として最も高頻度で,脳神経内科医の果たす役割は大きいということになる.

【機内で神経症状・神経疾患が多い理由】
通常と異なる環境が原因である.海抜35,000フィート(1万メートル超)上を飛行しているが,機外は著しく気圧が低い.このため機内は海抜8000フィート(2440メートル)の状況になるよう加圧されている.ダルトンの法則により,酸素分圧も低い気圧のために低下する.健常人にはほとんど問題にならないが,何らかの疾患を有する場合,低酸素血症が誘因となりうる.その他,脱水,アルコール摂取,睡眠不足等も誘因となる.

【機内の医療に関する基礎知識】
① 医師に決定権はない
機長は機内における全責任を負う.医学的な事柄における判断の責任も機長が持つ.目的地外着陸をするかなどの決定に関して,医師は助言できても,決定権はないことを認識する必要がある.

②目的地外着陸は問題を解決するとは限らない
(1)航路が海上である場合,そもそも到着地を探すことが困難である.(2)着陸できる場所に適切な医療施設があるとは限らない.(3)目的地外着陸は高額な費用がかかる.以上の理由で着陸地変更はしばしば困難であることを認識する必要がある.

③ クルーは医学的訓練を受けている
CAは心肺蘇生,除細動器などの訓練を受けている.機長や地上スタッフも,医学情報を地上医療サービスに適切に伝えるためのトレーニングを受けている.

④ 機内にはEMK(emergency medical kit)と一部の薬剤が装備されている
口腔咽頭エアウェイや静注セットを含むEMKが装備されている(写真).薬剤は最低限装備されていて,この中には鎮痛剤,抗ヒスタミン薬,高ヒスタミン注射薬,アトロピン,アスピリン,吸入気管支拡張薬,グルコース注,エピネフリン,リドカイン,NTGが含まれるが,抗痙攣薬や鎮静薬は含まれていない.ヨーロッパやアジアなどの航空機では,ジアゼパム,ステロイド,気管支拡張薬,産科関連の薬を装備していることもある.ルフトハンザやエミレーツ,エールフランスなどの航空会社は12時間を超える長時間フライト機の一部に病室を準備している.



⑤ 地上医療相談サービスを利用できる
地上医療相談サービスとして,機内における医学的緊急事態に詳しい救急医および内科医の助言を仰ぐ事ができる.具体的にはEMKを使用すべきか,目的地外着陸をするか否かなどについて情報を提供する.このサービスにより,目的地外着陸の増加に歯止めがかかった.ただし機内の医師と地上医療サービスとで意見が異なるとき,どちらに従うかは機長の判断による.

【法律的には義務はないが,倫理的に求められる】
法律上,医師が機内のアナウンスに対応しなくてはならないという公式な規則はない.しかし上記論文で,48%のケースに医師によるサポートが行われた結果からも,多くの医師は名乗り出て,医学的サポートを行っていることが分かる.ヒポクラテスの誓いや職業倫理に基づき,倫理的に正しいこととして行われている.一方,医師が躊躇するのは専門外であったり,機内という困難な状況で対応できない可能性や,治療を行っても良い結果になると限らず,訴訟のリスクがあることが原因と考えられる.

しかし米国においては「善きサマリア人の法」と呼ばれる,訴訟リスクのため,医療従事者を萎縮させないための法律がある(新約聖書で,窮地に陥った人を見捨てず援助したサマリア人の逸話に由来する).善意の行為は,そのせいでかえって事態を悪化させても免責されるというものである.しかし医師は自身のライセンス内,専門の範囲内で対処すべきで,例えば脳神経内科医が外科的行為を行うなどは認められない.飲酒した医師の行為についても議論がある.
一方,脳卒中に関しては目的地外着陸の適応の有無を巡って,法律的に問題となるケースが増えている.これは脳梗塞の急性期治療が大きく変わったことが原因である.

また日本のJALやANAでは医師登録制度が開始されているが,米国と異なり「良きサマリア人の法」に相当するものがないことから,周囲の話では登録は多くはなされていないようである.法整備が求められる.

【アナウンス後の具体的行動】
1.自己紹介し,身分証明書を提示し,自身のもつ資格・専門を説明する
2.可能なら,患者に治療してよいかを確認する
3.必要なら,EMKの中身や自動除細動器が使用可能かをクルーに確認する
4.必要なら,通訳を依頼する
5.病歴聴取,診察,とくにバイタルサインの確認を行う
6.自身の資格内で診断,治療を行う
7.患者の状態が重篤であれば,目的地外着陸を機長に勧める
8.地上医療サービスとの通信,調整を行う
9.症状が安定する,ないし医療スタッフに引き継ぐまで,治療,経過観察を続ける
10.記録を残す
(NEJM2015; 373, 939-45を改訂)

【疾患ごとの対処方法】JNNP 2011; 82, 981-985
① 意識消失
酸素投与 → 低血糖除外,可能ならサイアミン(ビタミンB1)筋注 → 目的地外着陸の検討
代謝,感染,血管,中毒,外傷,低酸素,脱水・低血圧など多くの原因があることに注意.

② 脳卒中
低血糖除外(ブドウ糖投与,一部の飛行機は血糖測定器を搭載,もしくは機内にアナウンスしてもらうがその場合感染リスクも考慮)→ NIHSS→ 脳卒を中疑うとき,目的地外着陸の検討
酸素吸入も望ましいが,量に限りがあるため必要最低量で使用する.アスピリンは脳出血が除外できないため使用しない.脳梗塞では頸動脈病変が高度のヒトが多いと報告されている.

③ 痙攣
周囲のぶつかるとケガしそうなものをよける.衣服を緩める.
自然消失した場合は,てんかん治療歴の確認を行う.けいれん発作が初回発作であることは少なくなく,これは睡眠不足が誘因となっている.抗てんかん薬を内服してない場合,内服させる.
痙攣が反復ないし重積する場合,機内にあればロラゼパム1mg舌下 → 酸素投与 → 痙攣が持続する場合,ロラゼパム再投与ないしジアゼパム10mg筋注 → 目的地外着陸の検討

④ 興奮 
経口ないし舌下ロラゼパム → 持続する場合,ジアゼパム筋注 → 目目的地外着陸の検討

【診断と治療の限界】
① 神経疾患の場合
過去の論文には指摘されていないのだが,以前から問題だと思うのは,打腱器(ハンマー)を機内に持ち込めず,かつ装備もされていないことだ.脳神経内科医は腱反射から多くの情報を得る.過去にカバンの中に入れたままの打腱器を保安検査場で指摘され,凶器になるから手荷物として持ち込めないと言われたことがある.「そんな事件が過去にあるのか?これがないと機内で病人が出ても対応できない・・・云々」と食い下がったが,受け入れられなかった.確かに尖った柄は凶器になりうるかもしれないが,せめて機内に装備してもらいたい(航空会社にお願いしてみようと思う).

② 神経疾患以外の場合
神経疾患は問診と診察で,ある程度は診断が絞れるが,それ例外になるとかなり心もとなくなる.医療機器(聴診器・血圧計・挿管セット・AED)と,装備されている薬だけでは診断・治療に限界がある.そもそも聴診器は機内の騒音で使えると思えない.小型の心電図やエコーは装備できないのだろうか?治療については,救命しうる疾患としては機内食によるアレルギーからアナフィラキシーショックになった場合のアドレナリン投与や,突然の致死性不整脈(VTなど)の際の除細動(AED)による救命はできると思うが,それ以外は救急医でもないと難しいのではないだろうか.

【まとめ】
・機内では神経症状,神経疾患が最も多い.
・目的地外着陸などの最終判断は医師でなく機長が行う.
・EMK(emergency medical kit)と常備薬の中身は認識しておく.
・地上医療相談サービスを使用できる.
・米国では「善きサマリア人の法」による免責があるが,日本ではなく,法整備が望まれる.
・医師は自身の専門の範囲内で対処すべきである.

Neurol Clin Pract 2018 on line
NEJM 2013; 368, 2075-83
NEJM2015; 373, 939-45
JNNP 2011; 82, 981-985

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