ピアノの音色 (愛野由美子のブログです)

クラシックピアノのレッスンと演奏活動を行っています。ちょっとした息抜きにどうぞお立ち寄り下さいませ。

曲を研究することと弾くこと

2014年04月10日 | レッスンメモ
楽譜にはフォルテやピアノなど様々な演奏記号が書かれています。しかし例えばフォルテと書かれてあっても、実際にどんなフォルテを出すのか、あるいはピアニッシモと指示されているところでどんなピアニッシモを作ればいいのか、具体的に細かな指示まで明らかなわけではありません。その辺はもう、演奏者自身がその楽譜全体を通して読みとらなくてはいけないことです。「楽譜に忠実に」ということをどんなに心がけていても、そこには弾き手による解釈の違いが必ず出てきます。

同じ「ピアニッシモ」でも、ただ小さい音で弾けば良いというのではなく、例えば、それは冷たいピアニッシモなのか、あるいは、ほんのりと暖かさを帯びたピアニッシモなのか、きちんと区別して表現されることが必要な場合があります。さらに、冷たいピアニシモって、じゃあ、その冷たさはどのような冷たさなのか? 氷のように冷たいのか、それとも薄暗い冬の部屋の冷たさなのか。こうやってどんどん掘り下げて行って、曲や音質のイメージをできるだけ具体的に描いて、そうしてそれを音で表す、これが理想だと思います。

ピアノやフォルテだけに関しても深く追求すればきりがないもの。というわけで、私のレッスンでは、「そこのフォルテ、そこ、どんなフォルテなの? 」という感じで生徒に問いかけることも多々あります。それは生徒に自分自身でもっともっと考えて欲しいから。もっともっと自分自身で曲のイメージを確固たるものにしてほしいからです。簡単なのはこちらが一方的に弾き方(解釈)を押しつけることです。問答無用で、「そうじゃないっ、 こうしなさい!」と言えば済むのですから。もちろん時と場合によってはそういう指導も必要ですけれど、ある程度土台ができてきたら、こうした問答を通じて自分で考える習慣を身につけることがとても大事になってきます。その問答の相手が、始めはピアノの先生かもしれませんが、そのうちだんだん楽譜と語り合うようになってきます。自分の問いかけに楽譜自身が答えてくれる。そんなときはとても嬉しいですね。作曲家自身と対話ができたと感じられる瞬間です!

楽曲の理解についてせっかくこんな境地に達しても、実はまだピアノを弾くことの苦悩は続くのです。そう、それを実際にきちんと弾けるかどうかということ。たとえ自分で納得のいく楽曲の理解ができたとしても、それを鍵盤上で再現できなければ全然意味がないです。もちろんこれは簡単にできることではありません。耳と頭と指と自分の持てるものを全部使って、鍵盤に向かうのですがなかなか思い通りにはいきません。鍵盤はどんなときでもいつも通りに整然と並んでいて、こちらの気分にはおかまいなしのツレナイ相手ですが、何とか仲良くなって、指との間の対話がスムーズに行くようにしなければいけません。私にとっては偉大な作曲家と対話するよりも、むしろ、この白と黒の無機質な鍵盤と対話する方が、ムズカシイ・・・。

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