一昨日に書いた月光ソナタのエントリーのコメント欄で、ペダルについてのやりとりがありましたので、今日はそのことについて書いてみたいと思います。
月光ソナタでペダルの使い方がなぜ問題になるかといえば、それはベートーヴェンが楽譜に書き記したイタリア語の指示を文字通りに受け止めてその通りに弾くとかなり変なことになってしまうからです。これはベートーヴェンの時代のピアノ、つまりフォルテピアノと現代のピアノの構造が違っているということからくる問題です。
まず、ベートーヴェンが楽譜に自ら書き記した言葉(指示)から見ていきましょう。そこにはこの第一楽章全体について「Senza Sordino」で弾くように、と書いています。これをそのまま訳すと Sordino(弱音器)無しでという意味です。現代のピアノでSordinoといえば左ペダルのこと(ソフトペダルのこと)ですが、ここではそう理解してはいけません。なにしろベートーヴェンが月光を作曲した当時のウィーンのフォルテピアノには、そもそもペダルがついていなかったというくらい、現代のピアノとは構造も音もちがっていたのです。
ここでのベートーヴェンの意図を現代ピアノに置き換えると、Sordinoは右ペダルで操作するダンパーのことを意味するということになります。私が高校生の時から使っているヘンレ版の楽譜(かなりぼろぼろ)にはこの点についてちゃんと説明が書いてあります。「Senza Sordino」は「Without Dumper」を意味していて、これはつまり「With Pedal」ということなのです。これなら意味は分かります。要するに右ペダルをずっと踏み続けてダンパーを上げたまま、つまり音を鳴りっぱなしにして弾きなさいという指示です。しかもこの第一楽章全体を通じて!
さて、ベートーヴェンの指示の意味は分かりましたが、これを実際にその通りに現代ピアノで弾く人は少ないでしょう。それはあまりにも音が濁りすぎて(前の音が鳴り続けるので次の音にかぶってしまう)聴こえてしまうからです。この点についてパウル・バドゥラ=スコダは、日本で行った公開講座で次のように述べています。「現代のピアノで全く同じペダリングを使用することはできません。そうしてもまるでピアノが壊れているか、あるいはペダルをきちんと踏めない初心者のような演奏になってしまいます」。スコダは、シフのレクチャー録音に名前の出てきたエトヴィン・フィッシャーのもとで助手を努めるなど、その伝統を受け継いだ名ピアニストです。
一方で、あくまで作曲家の指示通りに音楽を再現することを目指す人たちは、現代ピアノではなくて、わざわざ当時のフォルテピアノを復元したものを使用して演奏することにチャレンジしたりしています。バッハの楽曲などでよく見られる、古楽器による当時のままの演奏を再現するという試みですね。これは確かに興味深い試みだと思います。
しかし、面白いのは先日紹介したアンドラーシュ・シフです。シフは現代ピアノでも、あくまでベートーヴェンの指示通りのペダリングを行うべきだと主張しています。
現代ピアノでベートーヴェンの指示通りのペダリングをすることについて、シフは色んなピアニストたちに尋ねてみたことがあるのだそうです。「するとみんな『そんなこと現代ピアノでは出来っこない』という答だった。それじゃ、実際にそれを試してみたことはあるのかいと聞いてみると、みんな『いや、やったことなんかない。だけど出来ないんだよ』という答えだった。やりもしないでそんなことを言うのは、私はおかしいと思います。ベートーヴェンは本当に偉大な作曲家なんだから、彼自身がわざわざ注記した言葉にはもっと真摯に向き合わなければいけない、そこにはちゃんと理由があるはずだから。」
こう言ってシフは現代ピアノで実際にペダルを踏んだままで弾いてみせます。その際ペダルは一番下まで踏み込むのではなくて、浅めに、3分の1程度のところがちょうどいいと言っています。こうして弾くと前の音が次の音にかぶさって、音が濁ったように聴こえるのですが、それがかえって、暗い「死のイメージ」にふさわしい、これこそが作曲家の意図していた特別の意味のある音なのだと語っています。
ダンパーペダルを踏んだままのシフの演奏がこれです。
さすがシフですね。私には真似出来ません。シフが3分の1ペダルを踏んで、少し霧がかかったような効果を出して弾いているのは、お見事です。この濁り具合が絶妙な暗さとどんよりした重苦しい雰囲気をよく表現していると思います。
さて、3月1日のリサイタルでは現代ピアノの代表選手、スタインウェイのフルコンを使用するので、ダンパー上げっぱなしの術は、ちょっと使えません。どのように弾くつもりかといえば、あくまでオーソドックスなペダルの踏み変えを基本としながらも、ペダルの踏み変えのタイミングをずらしたり、踏み込みの深さに注意を払うことによって、ベートーヴェンが意図した音の重なりや濁りの効果を出すようにしていこうと思っています。
いつかフォルテピアノで弾く機会があったなら、ダンパー上げっぱなしという指示通りでトライしてみたいと思っています。
参考:
「ベートーヴェンのペダル パウル・バドゥーラ=スコダによる公開講座」
「Andras Schiff:the lectures」
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月光ソナタでペダルの使い方がなぜ問題になるかといえば、それはベートーヴェンが楽譜に書き記したイタリア語の指示を文字通りに受け止めてその通りに弾くとかなり変なことになってしまうからです。これはベートーヴェンの時代のピアノ、つまりフォルテピアノと現代のピアノの構造が違っているということからくる問題です。
まず、ベートーヴェンが楽譜に自ら書き記した言葉(指示)から見ていきましょう。そこにはこの第一楽章全体について「Senza Sordino」で弾くように、と書いています。これをそのまま訳すと Sordino(弱音器)無しでという意味です。現代のピアノでSordinoといえば左ペダルのこと(ソフトペダルのこと)ですが、ここではそう理解してはいけません。なにしろベートーヴェンが月光を作曲した当時のウィーンのフォルテピアノには、そもそもペダルがついていなかったというくらい、現代のピアノとは構造も音もちがっていたのです。
ここでのベートーヴェンの意図を現代ピアノに置き換えると、Sordinoは右ペダルで操作するダンパーのことを意味するということになります。私が高校生の時から使っているヘンレ版の楽譜(かなりぼろぼろ)にはこの点についてちゃんと説明が書いてあります。「Senza Sordino」は「Without Dumper」を意味していて、これはつまり「With Pedal」ということなのです。これなら意味は分かります。要するに右ペダルをずっと踏み続けてダンパーを上げたまま、つまり音を鳴りっぱなしにして弾きなさいという指示です。しかもこの第一楽章全体を通じて!
さて、ベートーヴェンの指示の意味は分かりましたが、これを実際にその通りに現代ピアノで弾く人は少ないでしょう。それはあまりにも音が濁りすぎて(前の音が鳴り続けるので次の音にかぶってしまう)聴こえてしまうからです。この点についてパウル・バドゥラ=スコダは、日本で行った公開講座で次のように述べています。「現代のピアノで全く同じペダリングを使用することはできません。そうしてもまるでピアノが壊れているか、あるいはペダルをきちんと踏めない初心者のような演奏になってしまいます」。スコダは、シフのレクチャー録音に名前の出てきたエトヴィン・フィッシャーのもとで助手を努めるなど、その伝統を受け継いだ名ピアニストです。
一方で、あくまで作曲家の指示通りに音楽を再現することを目指す人たちは、現代ピアノではなくて、わざわざ当時のフォルテピアノを復元したものを使用して演奏することにチャレンジしたりしています。バッハの楽曲などでよく見られる、古楽器による当時のままの演奏を再現するという試みですね。これは確かに興味深い試みだと思います。
しかし、面白いのは先日紹介したアンドラーシュ・シフです。シフは現代ピアノでも、あくまでベートーヴェンの指示通りのペダリングを行うべきだと主張しています。
現代ピアノでベートーヴェンの指示通りのペダリングをすることについて、シフは色んなピアニストたちに尋ねてみたことがあるのだそうです。「するとみんな『そんなこと現代ピアノでは出来っこない』という答だった。それじゃ、実際にそれを試してみたことはあるのかいと聞いてみると、みんな『いや、やったことなんかない。だけど出来ないんだよ』という答えだった。やりもしないでそんなことを言うのは、私はおかしいと思います。ベートーヴェンは本当に偉大な作曲家なんだから、彼自身がわざわざ注記した言葉にはもっと真摯に向き合わなければいけない、そこにはちゃんと理由があるはずだから。」
こう言ってシフは現代ピアノで実際にペダルを踏んだままで弾いてみせます。その際ペダルは一番下まで踏み込むのではなくて、浅めに、3分の1程度のところがちょうどいいと言っています。こうして弾くと前の音が次の音にかぶさって、音が濁ったように聴こえるのですが、それがかえって、暗い「死のイメージ」にふさわしい、これこそが作曲家の意図していた特別の意味のある音なのだと語っています。
ダンパーペダルを踏んだままのシフの演奏がこれです。
さすがシフですね。私には真似出来ません。シフが3分の1ペダルを踏んで、少し霧がかかったような効果を出して弾いているのは、お見事です。この濁り具合が絶妙な暗さとどんよりした重苦しい雰囲気をよく表現していると思います。
さて、3月1日のリサイタルでは現代ピアノの代表選手、スタインウェイのフルコンを使用するので、ダンパー上げっぱなしの術は、ちょっと使えません。どのように弾くつもりかといえば、あくまでオーソドックスなペダルの踏み変えを基本としながらも、ペダルの踏み変えのタイミングをずらしたり、踏み込みの深さに注意を払うことによって、ベートーヴェンが意図した音の重なりや濁りの効果を出すようにしていこうと思っています。
いつかフォルテピアノで弾く機会があったなら、ダンパー上げっぱなしという指示通りでトライしてみたいと思っています。
参考:
「ベートーヴェンのペダル パウル・バドゥーラ=スコダによる公開講座」
「Andras Schiff:the lectures」
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すばらしい記事ですね。
本当に、ペダルは奥が深いです。
でも、あれこれ試行錯誤して響きを探すのは、
とても楽しいことですよね。
どうもありがとうございました♪
2014年3月12日いずみホールでシフが月光を全楽章をアンコールで弾いてくれました。
ブログに「シフがペダルを踏み変えていないように見えた。」と書こうと思ったのですが、本当かなとちょっと疑いも出てきて、検索したら、なんと、、、ゆみこ先生のブログにたどり着きました。
私、最近目が悪くなっていて、1楽章の時、オペラグラスを持っていないことを後悔しました。でも2楽章、3楽章でははっきり踏み変えているのがわかったので、やはりあのセンザソルディーノを実際にしていたのだなと思いました。
演奏は、どよーんと多少濁りをひきずるのですが、それは幻想風ソナタに相応しいものでした。
この記事を私は見逃して?いや忘れて?いたようですが、こうやって素晴らしい記事に出会えて嬉しいです。FBでの「シフに行きます。」のつぶやきに反応してくださったのもご縁です。(^^♪
やはり、幻想的な暗い雰囲気になるのですね。実際、濁りが気になることはなかったですか?なんだか、もっと聴きたくなりました。
幽霊のしわざかと思いました。
でもこちらのブログを拝見し納得しました。
ドンジョバンニの葬送のシーンが元になっているならば
納得です。よっしーさんのブログです。
http://blogs.yahoo.co.jp/atsunori517/53905922.html