ピアノの音色 (愛野由美子のブログです)

クラシックピアノのレッスンと演奏活動を行っています。ちょっとした息抜きにどうぞお立ち寄り下さいませ。

指がフニャリ

2015年09月09日 | レッスンメモ
ピアノを弾くうえでも、フルートを吹くうえでも、歌をうたうでも、なんでも音楽そのものを表現することが一番大事ということは、皆様、百もご承知です。さて、ピアノを弾くということはピアノに自分の代わりに歌ってもらって音楽することなのですが、その動作をつかさどっているのが最終的には指ということになります。

自分の表現したいことが自分の内側(あたま?耳?心?)にあってそれを表現するためにピアノという道具を介して表現する。そのピアノの鍵盤と自分の内側を結んでいる接点は指先。ここにピアノさんと自分との交信場所があるわけです。道具であるピアノが生きたピアノになるのは指を使う魔術師であるピアノ弾きが指で鍵盤と交信した時ということになります。

しかし、自分の内側と手、指などの間には明確な境界線がありません。一生懸命になればなるほど、体は踊らんばかりに揺れて音楽しているつもりなのに、肝心の指にそれがうまく伝わらず、うまく表現できていないことが多々あります。自分の表現したい音楽は確かに体の中にあるのに、実は指がナマケモノになっているということが多いです。体の中の音楽をきちんと指に伝えるためには、体はどんと構えて、指がちゃんということきいてくれているか、その監視役に回らなくてはいけません。指が鍵盤を操り、自分の思うようにやってくれてるかどうか、耳を凝らして監視し続けるのです。ここではこの音が欲しい、と思っているときに指がふにゃりふにゃりしていたら、その思いが伝わりにくいです。指は鍵盤に自分の思いを伝える大事な役目を果たすのですから、しっかりしていなくてはいけません。

指を鍛えるというのはそういう意味で鍛錬して、10本の指がそれぞれに自分の思いをきちんと伝えるエキスパートになってもらうということ。私は時々自分の10本の指先の爪のところに一人ずつ、10人の小人が住んでいるということをイメージします。10人の小人にはそれぞれ個性があって、素直な子や気難しい子。隣同士仲が良かったり知らん顔してたり。そんな小人たち一人ひとりをほめて、なだめて、何度も何度もお付き合いしてもらって、こちらの思い通りに鍵盤の上を仲良く飛び跳ねてもらう! こんなこと数年前にもブログで書いたかもしれませんね。いつもいつも言うは易し行うは難しです。教室でレッスンをしていると、せっかくピアノが大好きになって音楽の魅力を全身で感じてくれて、それを一生懸命表現しようと思っているのに、肝心の指がフニャリになっちゃうという生徒が少なくないというのが現実です。指をしっかり鍛える。改めてこの取り組みを強化しなきゃと思った次第です。
 

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