Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

落ちてくる音楽素材

2020-06-20 | アウトドーア・環境
音楽素材を集めている。出かけるときに携行するものである。四時間近く車に乗れば大分聴ける。先ずベートヴェン作曲弦楽四重奏曲作品18-2ト長調はアルテミス四重奏団のCDをコピー、11番「セリオーソ」エマーソン四重奏団の実況、そして確かめるとなぜか12番変ホ長調作品127が再び入っている。

本当に予定時間90分内で可能か?演奏者は二つの四重奏団が代わる代わる入れば殆ど連続演奏も可能だろう。音資料は急いでアルバンベルク四重奏団をダウンロード。

そして作品130ロ長調大フーガ付きはエベーヌ四重奏団、作品135ヘ長調はジュリアード四重奏団とする。

エマーソンは実況ゆえか可成り分厚い響きで、曲に合わせたとは言いながらデリカシーがあまりない。どんな大ホールで演奏するのだろうか。実際にルートヴィヒスハーフェンなどで聴いた時も大オールだった。同じところで弾いた東京四重奏団よりは良かったのだが、この映像はあまり良くない。

ジュリアードの1960年の録音は嘗て言われていたような木で鼻を括ったような演奏では無く柔軟性もあって決して悪くはない。そこでエベーヌの演奏を聴くとなるほど言われているような腕はあるのだがアーティキュレーションが全く良くない。勘違いして大フーガはまだ聴いていないが、そちらの方が山なのだろう。アンサムブルも感覚からすれば、新しい方からアルテミス、アルバンベルク、ジュリアード、エマーソン、エベーヌの感じだ。2004年にミュンヘンでARDコンクールに優勝しているというから、そのアンサムブルを見極めたい。

なぜ世界的に人気があるのかは実演で聴いてみないと分からない。半分を別けて演奏するベルチャ四重奏団の方は先日聴いたシュベルティアーデの実況録音からすると悪くはなかったのだが、さてどうだろう。

先日ベルリンから生放送されたセレナーデの演奏会のインタヴュー部分を無料で観た。キリル・ペトレンコがプログラムについて語っているが、興味深かったのはドヴォルジャークのそれは新版で初めて演奏したという事で、楽員も今までとは違うと話していた。なにが異なるかは作曲家自身が最初の校訂楽譜に書き込んで行ったダイナミックスなどを再び書き加えたというものらしく、新しいものを使うともう元へは戻れないと話していた。

そして二曲とも交響的な作品で、モーツァルトの木管合奏の「グランパルティータ」のここかしこに第一ヴァイオリン第二ヴァイオリンを聞くというのだ、同様に弦楽のセレナードにホルンやティムパニーが聞こえるという。またもやとても面白い話をしてくれた。この指揮者がどのように楽譜から音楽を読み込んでいるかが想像できる話である。

更にベートーヴェンの四重奏曲でも感じたのだが、古典派のモーツァルトにおける民族音楽的な要素に関しての質問に対して、例えば当時はまだヴァルツァーではなかったレントラーにしても明らかで、しかしそこは直截なものでは無くて、丁度ミュンヘンではベルリンよりもそうした音楽が環境の根底にあるという事と似ているというのである。これはシューベルトやマーラーなどにおける引用とはまた異なってとても重要な話題だと思う。



参照:
スイスイと滑るように 2020-06-19 | 雑感
Muss es sein? Es muss sein! 2020-06-16 | 文化一般
コメント
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