Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

植民地主義意識の開放

2020-06-07 | 歴史・時事
そろそろコンサートへのお勉強を始めなければいけない。ベートーヴェンの四重奏曲マラソンである。第2番ト長調、第11番へ短調、第12番変ホ長調、そして16番ヘ長調、13番変ロ長調大フーガ付きとなっている。

これらの曲はプリントとしてもネットダウンロードでも大した楽譜は無いがパート譜が必要でもないので仕方が無い。それでもそこの棚を見ていると先日探していたシューベルトの有名歌曲のポケットスコア―が見つかった。道理で何曲かは馴染みがあった筈だ。大きな楽譜ばかりを探していた。

それにしても新たなソーシャルディスタンシングによる座席はまだ知らされていない。元々は第2列の真ん中だったので、精々4列目ぐらいの真ん中付近は欲しい。真ん中ならば6列目でも受け容れよう。弦楽四重奏の場合は位置に拘る。優先されるだろうペアーで来る人は弦楽四重奏では半分もいないと思うが、さてどうなるか?なにも無理して400人も入れないでいいだろう。お蔭で各々19ユーロしか支払っていないが。

森から帰路の車中でミネアポリス同様の差別問題がドイツの警察などでもあるという話題からアフリカ専門の教授が話していた。その説によると、西ドイツではナチの犯罪に関しては充分な分析と批判がなされてきたが、それを導く植民地主義に関しては今でも充分な教育がなされていないという。それを象徴するように、重要な政治家がドイツにおける植民地主義の歴史を否定するように、批判的な視座が教育されていないとしていた。これがそのものアフリカやアジアなどへの差別意識となっているという事だった。

恐らく民族人種的なそれどころか文化文明的な差別意識として植民地意識への見解が明晰でないことに立脚するとするのは正しいに違いない。2000年過ぎのムルティカルテュアー議論の時に先ずその植民地主義意識について議論されていたならば成功していたかもしれない。エキゾティズムというのは文化的な植民地主義に違いないからだ。今からすると不思議な気がする。

ポリタンを持って歩いた二十分間ほどの歩行で足が疲れた。普段から舗装道路を歩き慣れている人は感じないのだろう。トレイルライニングシューズの薄手となると腰にまで来た。脹脛から全てが張っている。如何に山道と舗装道路の相違が大きいかを改めて身に覚えた。体に良いのは山道に違いないが、確かに岩壁などのアプローチでは似たような疲れ方がある。それでも身の使い方が違うのがずっしりと体重を乗せた疲れ方とは異なるような気がする。タンクを持って歩いていた時は靴も服装もランニング態勢なので楽だと思ったのだがとても身体に堪えた。精々往復三キロぐらいだった。



参照:
ニューヨークタイムズの報道 2020-05-20 | 音
言質を取るということ 2020-06-06 | 女
コメント
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