Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

差異を見極めて行く

2020-06-15 | マスメディア批評
週末にドイツェオパーベルリンの駐車場でニーベルンゲンの指輪前夜祭「ラインの黄金」が上演された。新聞評が載っている。先ず、そこで演奏されたのはここ暫くスタンダードとなる三分の一がカットされた二時間ほどに圧縮された室内管弦楽版である。ジョナサン・ド-ヴという英国人の編曲のようで、管弦楽団も80人に対して22人の演奏となる。
Das Rheingold auf dem Parkdeck - Deutsche Oper Berlin


批評を読むとそれなりの演出上の工夫が必要であったようだが、例えば席の列の間を歌手が通って行ったりと通常の公演では出来ない体験もあったようだ。反面室内楽編曲自体が室内の小屋を考えてあるので決して必要なところで充分な音量が得られなかったり、または指揮者が調整しなければいけなかった箇所があったようだ。

オープンエアーではスクエアーでも中々音響的には難しいところがある。通常の管弦楽団ならば音量は足りなくはならないが、室内楽は矢張り厳しい。更に二百人なりの聴衆が近くに寄れないという二重苦三重苦がある。コロナ対策が容易ではない所以だ。

実際の演出としてフライヤが連れ去られる場面はディスタンシングでどうしても具体性が欠けるらしいが、そこは最初の数分で券を買い漁ったヴェテランの亡者たちなので全く問題はないだろうと書いてある。

概ね演出上の手直しや歌手の歌う位置など現場的な創意工夫が必要で、それはそれでこうした新聞評の対象となる。そしてこうした行為が出来るというのも公的な劇場の予算の中で行われているからこそで、所謂エンタメとの間には取り分け太いソーシャルディスタンシング並みの線が引かれるところだ。今ここ暫くの活動においてはそこに注目して行くことで、一体何が必要とされるのか、必要ではないのかの差異をしっかりと見極めて行くことになるのではないかと思う。

雷雨が予想されていたようだが、その前線がずれて、最後には夕暮れ風景の中でフィナーレに向かったとされる。虹こそは出ていなかったようだが、こうした体験は深く記憶に残る。



参照:
Ouvertüre auf dem Parkhausdeck, Gerald Felber, FAZ vom 15.6.2020
職人魂に火をつける人 2018-08-27 | 文化一般
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