Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

臨場のデジタルステレオ

2006-12-02 | 
DVDソフトを幾つか入手するに当たって、ホームシアターを設置した。配線のコードなどを、二つ三つ買い足しただけで、旅行用のラップトップをDVDプレーヤーとして使う。DVDプレーヤーソフトは、フリーウェアーのもので、地域コード関係無しに観れるのが良い。おまけに付いてくるようなプレーヤーは廉いのだが、態々購入するつもりもない。

さて、手に入れたDVDの中に初めての音楽DVDが含まれている。バイロイト・ヴァーグナー音楽祭の実況映像である。それ以前にも、劇場映画のDVDソフトは観ていたのだが、音楽ソフトとなると、どうしてもCDやLPなどと音質の比較をしてしまう。しかしこの1970年代の録音の場合、デジタルサラウンドについて語るのは無用であろう。

結果から云うとシェロー演出ブーレーズ指揮の「ヴァルキューレ」の再生音は、大変素晴らしい。つないだオーディオ装置から流れ出した音響に、驚いてしまった。上演当時のスキャンダラスな報道から、ひやひやしながら年末の深夜NHKラジオ放送を実況中継録音で聴いた。しかしカセットテープに録音したその時の音の表情の記憶と今回の印象はかなり異なる。

その管弦楽の音色などには聴き覚えがあったが、その臨場感とタップリと空間に広がる音響には驚愕する。この印象の違いは、二つの理由があって、一つは個人の経験に依拠するもので、もう一つはメディアの技術的な問題と思われる。

技術的問題は、同じ録音のCDを聞き比べてみなければ判らないが、アナログ録音でアナログ中継放送された若しくはLP化されたものと、それをデジタルリマスター化したものでは多いに違うようである。特に劇場のライヴ録音は、マルチマイクロフォンの雑音が多く含まれていて、其れを再びアナログメディアで伝達再生するとかなり輪郭が暈ける。それが、こうしてデジタルメディアで編集後に再生されると、最低限の雑音で立体的な臨場感として表現される事になる。

その反面、映像は今更云うべきことでもないが、そのオーディオのステレオ臨場感には到底及ばない。むしろDVDを再生して映像を見る事で、その臨場感は損なわれる。そのスキャンダルであった演出の要点を見て取って理解する実務的な価値や、初心者がその筋を追う教育的価値は、認めるところである。しかし何よりも視点が動いたり、カメラのズームがオーディオと連動しないこうしたマルチメディア再生は、映像芸術的に無価値に近い。

現在、この楽劇の全集DVDがボーナスDVD付き八枚組で70ユーロ後半以下、CDが十二枚組み70ユーロ前半以下で、通常の市場で入手出来る事から、前者の価値は高い。

音楽DVDが本格的なホームシアターで、臨場感を得る事が出来るかと問うと、こうしたライヴもしくは劇場演出中継映像では不可能と断定できる。それは幾ら大きなプロジェクターを使って、オーディオ装置に投資しても無駄であろう。劇場映画や製作音楽作品ならば価値があるかも知れないが、バイロイトの映像に関しては結果は明白である。

一度、バイロイトの劇場の劇場内の扉から数メートルの別室で舞台へ向けた固定カメラの舞台映像を大スクリーンで鑑賞した経験がある。中継室の窓から覗くような状況は変わらない。その劇場内の臨場感は、漏れてくる劇場内の音以上にオーディオやその映像からは殆ど伝わらない。

バイロイトの舞台の演出の細部などは何度となく述べられている。それを、かつてTVで見かけたもの以上に詳しく観て行くには、時間と演出映像に気をそがれながらの集中が必要となりそうである。しかし、こうして編集された音響や四年間に渡って改良されていった舞台演出のDVDが伝えるのは、当時毎年ラジオ放送で聞いていたものの記憶と比べて、その完成度だけでなく、遥かに強い歴史的臨場感である。
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