Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ビオレック氏のワイン講座

2006-12-07 | ワイン
古い記事「公共放送の義務と主張」の切れていたリンクを張り変える。TV放送を否定しながら、TV番組を話題にするのは恐縮であるが、その梃入れされているホームページをみるとやはり面白い。

その人気料理番組の文化程度が楽しめる。やはり民間商業放送では出来ない。番組の作りや雰囲気に関しては該当頁にあるように、再び繰り返さない。唯一つ気になっていた行儀の悪い「立ち食い」の光景も、カット無しに回し続ける番組制作を強調していると云えるのかも知れない。

料理が全て準備されていれば、撮り直しの必要はないのだろう。ゲストが何時もやる手順で料理を作るための準備は、下拵えを含めて、僅かな打ち合わせで出来る訳ではないので、専門のスタッフがリハーサルを何回も繰り返して、VIDEOで打ち合わせしておくのであろう。いずれにせよ、超有名人の長い拘束時間を考えれば、度重なるスタッフのリハーサルは経済的なだけでなくスケジュール合わせをも可能にするのだろう。

さて今回更新されている内容で特に注目をひいたのは番組のビオレック氏のワインへの造詣である。番組でもグラスを傾けるたびにパラダイスに片足を踏み込んでいる氏であるが、「ワイン愛好家として、パーカーなどの点数システムはおバーカーさんで、なんら愛飲の助けにはならない」として、氏のアマチュアーとしてのワインとの付き合い方を多くの頁を割いて表明している。

掻い摘むと、理想主義的原理主義者にはならずにたとえ現地に住んでいても広い視野を欠かさないようにすることで、現在のマインツを居としてからもワイン商とよい付き合いをしていると云うことが明かされる。

これは、辛口リースリングを愛する氏としては、尋常ではないように響く。しかし実際はお馴染み醸造所で直接買いつけしているのだろうが、赤ワインを初めとする外国産のワインに一般視聴者の視点を巧く振っている。大多数の視聴者のワインへの視点を考えるチェコ人らしい賢明さとでも云えようか。

実際の好みは自らのものであって、専門家の推薦はためにならないとしながらも、知識つけて月謝を払いながら、自らの味覚を磨いて行く事は必要だとしている。

そうして、スーパー売りやデパート売りの利用の仕方だけでなく、価格帯によっての選択方法と楽しみ方を教示している。その姿勢と価格設定は順当に思われる。

また料理ワインにも触れて、赤ワインの方がその価格でも飲めるワインが多いがと、逆説すると料理ワインにも、調味料として飲めるワインが必要であるとしているのは良い指摘である。飲んで試しながら、料理に使いたいと云うことでもある。

また、気候から欧州のように食事にワインを飲む習慣のないオリエンタルな料理には必ずしも食中に飲む必要はないとするのも良い意見である。確かに、ワインを飲む習慣の無い地域の食事は、強い香辛料やら醤油やらで味覚が牛耳られているので、繊細なワインの味覚を壊してしまう。それらの料理には、ビールや蒸留酒の方が良い場合が多く、水や茶も決して悪くは無いであろう。

ワインは何も「辛口に限る食中酒」としてだけではなく、食前酒や食後酒としての飲み方をイタリア料理屋で習ったと述懐している。

そう云えば、本日は聖ニコラウスの日である。



参照:
alfredissimo!
Alfred Biolek: Wein wie ich ihn mag
コメント (2)
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