Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

遺憾に思う、奴隷売買

2006-12-05 | 歴史・時事
先月末に英黒人紙THE NEW WORLDに載ったトニー・ブレアー発言は、近代史を見て現在を語る話題として格好のものである。

その発言内容は、来年三月に奴隷貿易禁止二百年を向かえるに当たって、英国政府が公式に植民地政策を詫びると云うものである。その歴史的な意味合いは、戦後の英国のポスト植民地主義やイラク紛争で傷ついた、嘗ての植民地である米国の子分英国を、再び欧州の枠組みにおいて位置づける効用があるに違いない。

同時にイスラムのテロに苦しむ英国を逆境から救い、正しい政策を進めて行く基礎となる。つまり、大英帝国を過不足無く評価して、尚且つ将来的な英国像を定めるには、重要な契機となる。それは、同じ第二次世界大戦の戦勝国であるフランスなどの連合国にも通じる必要な近代批判であり、ポスト植民地主義に対する歴然とした姿勢を示す事になる。

具体的には、大英帝国の威光を否定することなく、また第二次世界大戦での反ファシズムの勝利を否定することなく、また一銭も奴隷の子孫への保障などで支出することなく歴史的解決するには、「遺憾」しかないのであって、議論されているようにそれ以上の過失を認めることはないであろう。

「その当時、現在では人権蹂躙となることが合法であったのは、甚だ信じ難い。」とする首相の言葉は名言である。

そしてシェフィールド大学ユルゲン・ツィンメラーは、「トニー・ブレアーの同僚がポスト植民地主義に舞台を見出している状況は、それがどれほどの議論を呼び起こしているかを示しており、オーストラリアから米国、またナミビアから日本まで、植民地主義の債務と負の遺産そして謝罪と補償の議論が頻発している。そのモデルは、ドイツのホロコーストでありその過去の扱いであり、何人も植民地に関してはそこまでに至っていない。」とする。勿論そこには、ケニア・マウマウ蜂起での英国軍の行った虐殺も含まれる。

つまりグローバリズムは、過去においては植民地であったインドや朝鮮半島や中国の発言力が強まる状況を用意して、それらの旧植民地の声を 無 視 出来なくなった事情であるとする。そして、生活の中にそれらの旧植民地の製品が満ち溢れるとき、多くの旧植民経済経営大国の国民は無意識ではいられなくなる。ユニオンジャックやエルガーの威風堂々に歓喜する英国一般庶民も、こうして少しづつ学んで行くのである。しかし教育に生かされるには時間が掛かるだろうとされる。

それは、西洋の干渉がその地域的制限から解放されたあとでも、人道的問題として欧州や北米が他国に干渉する場合、自己批判として反映されなければいけないものとなる。

近代における「欧州革命直後の大英帝国のインド暴動、ロシアによるユダヤ人の迫害、第二次世界大戦をポーランド侵攻かもしくはシナ事変を契機とするのかそうではないとするのかの専門的議論は続く」としても、トニー・ブレアーが採る帝国への姿勢は、現実的で中庸と云えるかも知れない。

なぜならば、一方で大英帝国の栄光としてその解放と寛容と国際性を維持しながら、帝国の蛮行の事実を自己反省の中に取り入れることが出来るからである。それも、トロッツキストのイデオロギーが求めているものを含有すると同時に西欧が現在目指す脱近代の政策ともなっているからである。

そうしてこうした動きが、「世界的な 思 い 出 外 交 の終わりの時を告げる。」と云うがさてどうであろうか?

歴史的コンテクストにおける、まさに当時は合法的であった、奴隷売買禁止後の武器輸出の時代をも、その根拠と共に考えてみなければいけない。(続く



参照:
Jürgen Zimmerer "Tony Blairs letzter Coup", FAZ vom 30.11.2006
27/11/2006: New Nation page one, The New Nation
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