日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

土浦邸のこの写真はどうだ!

2011-01-16 10:15:06 | 建築・風景

10月末に行われるUIA(国際建築家連合)2011東京大会に連携して、DOCOMOMO150選展をやることになった。場所は東京駅から皇居に向う行幸通りの地下通路にあるギャラリーである。ショーウインドウ形式で4ブースに分かれている。
展覧会名は「DOCOMOMO Japan150―未来への遺産 Future and legacy」。ネーミング提案をしてくれたのが一世代若い人たち、というのが嬉しい。世界から来る建築家に見てもらうためにバイリンガルで構成する。

一つの課題はこの時期、こういう経済状況の中でどうしようかということだがそれはともかく、150選の組み方だ。20選と100選展「文化遺産としてのモダニズム建築展」では、事務局長として実行委員会を支えたが、もうそろそろ良いだろう、今回はキュレーターをやりたいといった。
それもまたともかく、2回の建築展では年代を追ったが、ブースに合わせて地域を4ブロックに分けての展示はどうかと考えた。そこで見えてくるものがあると思っているからだ。
モダニズム(モダンムーヴメント)建築と都市、日本の風土と選定している建築の1,920年代から70年代という時代と地域との関連性、現在(いま)の地方都市の抱える問題にも踏み込めるだろうか。著名建築家がこんな地にも建てている。何故だ?なんて考えてみる。

ヒントを得たのは、都城市民会館の保存活動をやった地元の建築家ヒラカワヤスミさんが中心となって行ったDOCOMOMO展だった。市長に送呈するために選定プレートをもって飛び、シンポジウムで話したりしたが、市の美術館での展覧会で、会場の床に大きな日本地図をおきその上に選定した建築を箱にして一つづつ積み上げた。東京が盛り上がっているのに驚いたが、菊竹清訓さんの都城市民会館の色を変えた箱が誇らしげに置いてあるのが眼に焼きついたのだ。
ではと思って東京に建っている150選のリストを数えたら、三分の一を越える52あった。ちなみに僕が見た建築は120あまり、近くでいつでも見学できる建築があるので、近々130近くにはなるだろう。少ないのか多いのかは僕には良くわからない。全部とはいかない。住宅も難しいが、鹿児島の内之浦宇宙観測所に行こうと思ったって無理だろう。でも行って写真を撮ってきた歴史の研究者がいる。ちゃんとシフトレンズで。

前段は報告だが僕がここで書きたいのは写真のことなのだ。
実行委員会を立ち上げるために何度か準備のための会合を行った。DOCOMOMOメンバーはいわば建築好き人間の集まり、老若男女(?)何をいってもいいというのが原則なので、僕はいつも勝手なことをいっていて苦笑されたり、気色張られたりする。ことに写真では。

資金が厳しいのはわかっているので、100選展のときの関係者の理解や協力を得て保管してあるパネルを使わせてもらうことになるかもしれないが、そうなったとしてもそのあと選定した50選の写真問題がある。可能であれば現在アーカイヴスとして収録してある写真を使いたいが問題はクオーリティだ。では僕が!とつい口が滑ったが、いや1枚はいい天気のとき順光で正面からちゃんと撮った写真が欲しい、とのたまったのは会場構成担当の鰺坂さんだ。建築に対する敬意としてと。

まあね、とも思った。東京中央郵便局の清水襄さんの写真は、この建築を撮ったどの写真家の写真をも凌駕していると思うが、季節を、つまり光の高低を考え早朝の5時に撮ったというし、丹下さんの代々木の体育館は、NHKの許可を得て屋上で一夜を過して日の出をまって撮ったのだと聞かされた。村井修さんの驚くべき写真もある。そんなことは知っている。

しかしである(大げさナ!)。とはいえ、人のいないシフトのきちんとした写真がその建築を捉えているのか。
これは結構な課題で建築界でも写真家の中でも今まで数多く論じられてきたが、僕の漠然たる思いは、人が使いそこで生活するために建てられたのが建築、人の気配がなくてもいいのかということだ。曇りもあれば雨や雪もあるし夕方にも夜にもなる。そういう情景の中で撮った写真ではその建築を表現したとは言えないのだろうか?

さて、掲載したのは、DOCOMOMOで選定した「土浦邸」。
扉が開いているので人の気配がある(こじ付け)。雲が窓に映っていていい味わいがあると思はない?人が生きていて味わう自然を写し撮っているではないか。皆の苦笑する顔がみえてくる。
ちなみに正面から24mmのシフトレンズでは入らないので、超広角で撮ってフォトショップでシフトとほんの少し色彩修正した写真をみせた。僕自身どうもおかしいと感じていたが、即座にみながなんだか「変?」といった。

<僕の撮った写真を使うことについてはお住まいの方の了解を得ています>


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4 コメント

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敬意とは ()
2011-01-17 12:44:42
客観性とは無関係でも許される時があると思うのです。
接する側の主観として敬意が払われていれば(程度問題ではありますが)それが敬意ではないかと。
建築の「正面」は人に置き換えた時は下手をすると資料としての「証明写真」になっちゃうようにも思えますし、その建築の表情を、魅力を、存在意義を映し出した写真であれば(例えディテールだったとしても)正面で無くともいい建築写真なのではないでしょうかね。
写真にはずぶの素人mの戯言としては建築と係る人が映っている、人の息遣いが感じられる写真が好きですね。
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人の息遣いを感じる写真を! (penkou)
2011-01-20 10:07:12
mさん
mさんの言われること、そうだと思ってかいてみたのですが。いずれにしても150選を紹介するための展覧会なので、写真のクオーリティの問題は大切ですね。そして、建築とかかわる人の想いが写っている、人の息遣いが感じられる写真、更にどこかに品格を感じ取れる写真で構成したいものです。
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キュレーター! (moro)
2011-01-24 10:21:09
キュレーターが良いですね!格好良いです。是非、是非!会場を訪れるのが楽しみです。
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いい展覧会に! (penkou)
2011-01-26 10:13:52
moroさん
ありがたきお言葉!いい展覧会にしなくては(決意表明)
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