日々・from an architect

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沖縄文化紀行(Ⅱ-4) 屏風のある亀甲墓

2006-12-21 11:59:44 | 沖縄考

渡邊欣雄教授の到着が夕方になるというので、先行したメンバーで、昨年見学した那覇市内の風水に関わる場所を廻ることにした。
文化人類学を学ぶ院生とはいえ、風水の研究をしているわけではない。何度も沖縄を訪れた院生はいるが、意識して墓や風水の郷を訪ねてはいない。結局なんとなく僕と、昨年も一緒だった佐志原さんと言う大学研究会のOGでもある民家の研究者が引率して案内することになった。

琉球王家の別邸「識名園」。琉球王朝時代から深い関わりを持ち、琉球文化に大きな影響を与えた中国福州と沖縄の友好を記念して作られた「福州園」。いずれも沖縄を語る上でも風水を検証する上でも欠かすことは出来ない場所だ。
そして僕が皆と行きたかったのは「識名霊園」という墓地である。

一つには霊園の入り口に建てられている「コンクリート流しこみ墓」という墓地業者の宣伝看板をもう一度確認したかったことにもよる。ブロックで無くコンクリートで造ることを売りにしているようだ。建売住宅と一緒だというところが面白い。
沖縄の墓の大半はコンクリートやブロックを使って造られるが、石組みだった亀甲墓が何時からコンクリートになったのか(或いはコンクリートブロック)気になっている。
沖縄で使い始められたコンクリートいう材料と墓との関係、それとブロック。そういうことを実証することで、墓を通した今までとは違う視点からの沖縄文化が浮かび上がるかもしれないと密かに思う。思うだけでなかなか調査・研究にまで踏みこめないのが僕らしいといえば僕らしいのだが・・・

今年の「墓ツアー」はこの識名霊園と、「伊江王子家」の墓だ。東恩名寛淳(ひがしおんなかんじゅん)によると沖縄の最初の亀甲墓とされる。
この伊江王子家の墓は資料が整っていて1687年に建造されたといわれているが、平識令治(へしきよしはる)によると、昨年沖縄紀行で探し当てた世界遺産になった座喜味城を構築した按司「護佐丸」の墓はその前年の1686年に造られたとされており、どちらを沖縄の最初の亀甲墓とするのか研究者の間では確定されていないようだ。
それはともかく明治期には貴族議員も担った名門伊江家は存続されており、二日目に見たその墓は首里の杜の一角に320年の間、密かに佇んでいた。

識名霊園の敷地内の道に車を留め降り立った。同行した学生が歓声をあげる。低い樹木に囲われた一角に幾つもの古い亀甲墓が見つかった。そして見事な(というのも変だが)屏風(ひんぷん)があったのだ。屏風設置の理由は「制さつ」(殺気除け)。そして良い風水を逃がさないためだとも言われる。樹による遮蔽垣と思われる育った樹木が見られるのも興味深い。
墓を見て歓声とはおかしな光景だが、そこが文化人類学者の卵たる所以なのだろう。破風型(家の形)が多いが、亀甲墓も沢山あるし、此処には共同墓はないが、門中(むんちゅう)の表示を見つけるとまたもや歓声が上がる。
研究者一行との風水の旅はこうやって始まった。

「亀甲墓」(沖縄のコトバではカーミナクーバカ)は「かめこうばか」と発音するが、大江健三郎の「沖縄ノート」や若き日沖縄を訪れたエッセイスト沢木耕太郎の紀行文、更に興味深い報告書でもあり貴重な研究書酒井正子氏の、奄美・沖縄「哭きうたの民族史」では,`きっこうばか`とかなが符ってある。しかし他の研究論文では「かめこうばか」とされており、渡邊教授によると「かめこうばか」と発音するのが正しい。しかし`きっこうばか`とあえてかなを符るのは、そういう言い方をする地域があるのかもしれない。そういうことが気になってくる。

中国ではクーカ(亀甲或いは亀殻)という言い方がされ、渡邊教授によると泉州には亀の甲のような文様が刻みこまれているものがあって聞き取り調査をすると、長寿の象徴である亀の形の墓を造るのは、(長寿は祖先(死者)のためではなく)龍脈を通じて墓に埋葬された祖先を敬うことによりその影響を子孫の繁栄に及ぼすためなのだという。これは正しく風水思想の原点だ。護佐丸の墓も伊江王家の墓も、風水を見立てて建造されたと文献にある。

沖縄では亀甲墓を母体に見立てるともいわれる。沖縄文化を語るときに「女性優位男系原理」という言い方がされるが、墓の前庭で母体を前にして食事をしながら祖先を想う風習を考えると、おおらかな沖縄の人の心が汲み取れるような気がしてくる。風水の原点が次第に忘れられ新しい文化として変貌して行く様をこういうところでも感じ取れるのだ。

前述した「哭きうたの民族史」(2005年6月小学館刊)は「哭きうた」といわれる死者を送る供養の歌と哀惜歌の研究書だ。歌の採録と共に死霊との交歓や葬礼などの興味深い事例が記述されている。

その酒井氏が挙げた今の時代の課題は、①ジェンダー(社会文化的性差)、それは国民国家形成を急ぐ公権力による沖縄人(うちなんちゅー)のヤマト化政策に関連して女性が関与する習俗に対する圧力にあるという指摘、②「弔い泣き」の抑制。ヤマトとの通婚による地域と世代による文化ギャップ、そして③火葬移行による葬礼の変革によりともなう死生感の変化、更に興味深いのは人間関係の希薄化による④「ともにいる、気」の希薄化。これは本質的な文化変化といえるかもしれない。鋭い指摘だ。沖縄だけの課題ではないなあとも思う。

沖縄を考えることは今を考えることになるのだ。
その考察こそ文化人類学にとっても、社会に深く関わる建築家である僕の課題でもある。
泡盛、瑞泉`青龍`を味わい良い気持ちになりながら、古の琉球の国に想いを馳せる初冬の一時。この一文を書いているバックで鳴っているのは、沖縄の古歌では無くエバンスのつぶやくようなピアノの音なのだけど。



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